第五章 convey 第九話 三年と言う時間
“ここ何十年も私が動いてもピクリとしなかったニダーナの針を君の仕事が動かしたんだ。ぜひ君に手伝ってもらいたい。というより君にこの弁護人の職を継いでほしいのだ。今日、呼び出したのは、この話をするためだったんだよ。ああ、一から説明しなきゃならなかったから、話が長くなった”
係長は唖然として思わず口が大きく開いた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。人間の守役をなんで猫の私が継がなきゃならないんですか! だいち私にも仕事があるんだ。見えている以上、その話を信じないわけじゃないが付き合ってはいられませんよ。人類が助かったとしても、仕事をクビになったら私が路頭に迷うじゃないか」
困惑する係長に八津目は両の掌を見せて制止した。
“何を言っているんだ。人類がいなくなれば介護職もなくなるじゃないか”
「!」
係長は固まり顔をくしゃくしゃにしながら、ゆっくりと頭を抱えた。
“ではこうしないか? 仕事は無理に休まなくていい。仕事中にプランツのことで何か見つけたら報告してもらい、しばらくの間は仕事が終わってから私に付き合ってもらう。それとこう見えても、私は今の人生ではそれなりに成功してね。いわゆる投資家というやつだ。成功した暁にはまとまった報酬を進呈しよう。これくらいでどうかね”
八津目は指を三本出した。係長は指を見て呟く。
「三……万」
八津目は首を振る。
「ひ、ひゃ、ひゃ」
八津目は更に首を振った。
「せー!?」
八津目はニヤリとしながら頷く。
「ウソでしょ!」
今度は係長が大きな声を出し、またその席に注目を集める。
係長は頭を下げて回りに会釈をした。一気に係長の顔がほころぶ。
「税金はちゃんと納めなさいよ」
顔を近づけ小声で八津目は囁いた。メジャーリーグのボブルヘッド人形のように係長は小刻みに首を振った。
「でも、なんでそこまでして。八津目さんは弁護人と言ってもあくまで植物側の立場なんでしょ? 人類が滅亡しても本体ほ植物がいれば生き延びられる」
八津目はニダーナを懐にしまうと、グラスを傾けゆっくりと回す。
「妻だよ。私は妻を心から愛してしまった。妻は今年で75歳だ。せめて彼女が生きている間は、この世界を守ってやりたいのだ」
先ほどまで緑色だった八津目の瞳は山崎の琥珀色と同化し穏やかな表情になっていた。
係長はグラスを両手で持ち、八津目のグラスに軽く当てた。
「出来るだけのことはしましょう」
「清々しいほど現金だね君は」
「だって私、猫ですよ? 人間のために無償で協力しようって方が変です」
目を合わせ微笑みあう係長と八津目。
グビと一口飲んだあと、八津目は毛量の多い白髪の頭の中に手を突っ込む。
そして、頭に入れていた手の甲を係長の目の前に見せた。
そこには、先ほど爪から変化した白いカメムシが乗っていて、係長をじっと見つめている。
「この子は私の分身だ。この子を通して遠くでも私と意思の疎通が出来る。まぁ携帯電話とでも思ってくれ。間違っても潰さないでくれよ」
白いカメムシは羽を広げると係長の頭の上に乗り挨拶をした。
“よろしく”
驚いて係長は寄り目で額を見ようとする。その表情を見て八津目は笑い出した。八津目の笑いに少し恥ずかしくなった係長は山崎のグラスに手をかけた。
「あの」
係長が山崎を飲もうとした瞬間、マスターがテーブル席まで来て話かけてきた。
「係長さん。来てます、たぶん」
「は? 何が?」
マスタ―は係長に顔を近づけ入り口の方をこっそり指さす。
「たぶんこの間の新人さんです。店の入り口がさっきから不自然に空いているので防犯カメラで見てみたら、ずっと店内を覗きこむようにして、その……」
係長はため息を大きくついてグラスから手を離した。
「……どうやって……位置情報では帰っていったはずなのに」
座席から飛び降りて、係長は八津目に会釈する。
「八津目さん、申し訳ない。今夜はもう」
八津目はクスっと笑う。
「あんまり叱ってやりなさんな」
「でも、度が過ぎます」
マスターは座席から小さなコートを取り、係長に着せる。
「好きなんですよ。係長さんのことが」
「好きっていえばなんでも許されるわけじゃないでしょ」
係長は、マスターにも軽く会釈をしてカバンを背負い歩きだす。
……だが、すぐに立ち止り、八津目の方に振り返った。
八津目はグラスの酒を口に流しこんでいる。
「あのさっきの『新しい自分』ってのは、そんなに短時間で作れるものなのですか? さっきのこの子みたいに……」
係長は胸ポケットに隠れた白カメムシを八津目に見せる。
口の中の山崎を味わいながら、八津目は首を振った。
“その子は、体のほんの一部を切り離したにすぎない。私が死ねばこの子も死ぬし寿命はせいぜい二週間という所だろう。係長さんのように全く新しい自分を作り直すとなれば、おそらく人目のつかない所に身を隠し三年以上は生成に時間をかけなければならないと思う。本体の植物でもそうだからね”
「三年……ですか」
係長は少し寂しそうな表情をした。
八津目も何か気持ちを汲むように何も言葉を出さなかった。
「では」
係長は四足歩行で店の中を走りだし、瞬く間に店の猫用入り口に向かった。
「ありがとうございました」
マスターは深々とお辞儀をする。
八津目は、係長の残していった山崎のぬるま湯割りをぼーっと見つめる。
「そうか。つらいな……」
持っていたグラスを置き、天井の証明を仰ぐようにして八津目は席に寄りかかった。マスターは八津目の呟きに、不思議そうな顔をした。
猫用入り口から係長が外に出ると、先ほどの買ったばかりの服を着た美里が制服のジャケットを頭から被りながら、人間用の扉を少し開けて中を覗いていた。
「いい加減にしないか! 店にも迷惑だぞ!」
係長は大きな声で美里を叱った。だが美里は目を見開いて喜んでいる。
「くろ!」
美里の首元に@スピーカを剥がした跡がある。
「そうか、バスに@スピーカを置いてきたのか。まったくもう! ホントにこれから警察にでも行ってやろうか?」
だが、@スピーカを付けていない美里には、係長の声はただの猫の声にしか聞こえない。久しぶりに聞く猫の声に反応したのか、美里は身震いをして喜んでいる。
「くろ! かわいい声! くろの家何処なの? 教えてー」
美里は係長を抱きあげる。腕の中で係長は頭を抱えた。
「もう!これじゃ会話にならないな。こんな時間に一人で帰らすわけにもいかないし……」
係長は繁華街の方を指をさす。
「こっち?」
美里は係長の刺した方向に歩きだす。歩いている間に係長は@スピーカで会社の連絡網にアクセスし美里の連絡先を確認し、自宅に電話をかけた。
『はい。六条坂です』
若い男性の声。
『夜分に申し訳ありません。私、介護のねこやの黒猫係長でございます』
電話の向こうで、何か慌てふためいてる様子。
『もしかして、くろ? くろなのかい?』
係長の眉の辺りがピクリと動く。
「あの、申し訳ありませんが、私は『くろ』さんではありません。そっくりなようですが別の猫であり介護のねこやで係長をやっているものです」
電話の男性が、我に返ったように冷静な声を出しきた。
『すみません。取り乱しました。どういったご用件でしょうか? 美里ならまだ帰宅しておりませんが』
「はい。美里さんは今、ここにいます。どうやら私の事をつけてきたようで駅前の繁華街に@スピーカを付けずに一緒におります」
『ええ! す、いや申し訳ありません。その、美里にとって、くろはですね……』
「いえ、そのお話は結構です。とにかく時間も遅いですし明日はインターンの仕事もございます。このままバスで返すことも出来ますが、もう午後九時を回ります。どうしましょうか?」
すると、電話の相手は沈黙し何か家族で話しているようだ。
係長のちいさな声に美里が気が付いた。
「くろ。電話してるの?」
係長は美里に街道沿いのバスロータリーの方向を指さす。美里はうなずいて方向を変える。
『わかりました。私と母がすぐに向かいます。駅前でしたら十五分もあれば着くと思います』
「承知いたしました。ではロータリーでお待ちしております」
係長は電話を切って長い吐息を漏らすと、ニコニコして夜の街を歩く美里を下から見上げた。
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