第五章 convey 第六話 プランツ

 「いらっしゃいませ、係長さん。あら走ってきたんですか?」


 マスターは、いつもの笑顔で係長を出迎えた。


 「あ、ああ、ちょっと、たまにはね」


 息を整えながらカウンターに近づく。背後の猫用入り口を見るが入ってくる気配は無かった。

 ほっとしたような表情で係長は、改めてマスターを見上げて微笑みを返した。いつも座っているカウンター席の奥に向かおうとすると、マスターが右手で奥のテーブル席を指す。


 「お待ちですよ」


 係長が、テーブル席に目線を移すと八津目がグラスを上げて微笑んでいた。


 「ありがとう。いつものもらえる?」


 「かしこまりました」


 係長は四足歩行からニ足歩行に切り替え、カバンを下ろしがら八津目にゆっくりと近づく。


 「すみません。お待たせしましたか?」


 対面の席にカバンを置き、係長はコートも脱いで畳み始める。


 「いやぁ、暇なんだ。待つも待たないもないさ」


 係長が座席の横にある猫マークのスイッチを押すと、もこもこと席の高さが上がっていく。座りながらテーブルに前足が乗せられるほどの位置まで操作すると、係長は席に飛び乗った。

 テーブルの上には、いつもカウンターの端にあるバラの鉢植えがあり、八津目の前には、残り半分ほどの山崎がグラスに入っていた。高級な香りが漂っている。


 「八津目さんはいつも同じですね。他のお酒は飲まないんですか?」


 「たしなむが、ウイスキーが一番好きなんだよ」


 係長は言葉を返さず、納得したように何度か頷く。


 「お待たせしました」


 マスターは、係長の前に猫の足マークのコースターを敷くと、傾けて飲める猫用のグラスを置いた。マタタビウイスキーのぬるま湯割りが注がれている。


「ごゆっくりどうぞ」


 丁寧に会釈をするとマスターはカウンターに戻っていく。途中で他の猫客に呼び止められ笑顔で対応していた。

 係長はそれを見ながら、微笑みを残して八津目に目線を移す。八津目はグラスを片手にニコッと見つめかえした。


 「さて、やっとお話の時間ですね」


 「ああ、やっとだな」


 コースターの上に八津目はグラスを置く。

 するといきなり植物の『言葉』で係長に話しかけてきた。


 “確認だが、キミはこの声が聞こえるんだね”


 係長は頷いた。


 「はい」


 “声は聞こえるが、この方法で言葉を発することは出来ない。ということかね?”


 「そうです。私は、物心がついた時からこの声が聞こえましたし、『何か白いモノ』が見えていますが、彼らに対する話の仕方はわかりません。だから私の言葉がわからないモノは心を閉ざし話してくれなくなった者もいました」


 係長は、八津目から目を逸らさず、まるで今までの悩みを吐露するように話した。


 “そうか、やはりな。うーん。さて、何から話したものかな”


 八津目はバラの鉢をチラッと見るとテーブルの真ん中に鉢をずらした。


 “バラくん、出てきたまえ。少し話に付き合ってくれないか”


 八津目が、その特殊な『言葉』で話かけるとバラの鉢植えの根元に小さな『白いモヤっとした何か』が沸き上がってくる。それは係長を見ると手を振ってきた、ように見える。


 係長も微笑みで挨拶に答えた。


 「バレてたってことですね。カードのからくりは……」


 「最初からね」


 ニヤリと笑い八津目は普通の言葉で返した。係長は苦笑いをする。

 “この白いモヤっとしたものは、『プランツ』という生き物だ”


 「プラ……」


 係長が復唱しようとすると、八津目は太く大きい人差し指を振った。


 “悪いが、声に出さないでくれ。極力聞かれたくない”


 係長は、細かく何度も頷く。

 優しい目で、八津目はバラのプランツを見つめた。


 “プランツは普通の動物には見えない。植物の思念体のような存在だ。バラ君のように、鉢植で株分けされたモノは、力も弱く薄く姿を現すのが精一杯だろう。科学的に言えば紫外線や赤外線よりも、もっと外の光に反応している。現在の人間の技術では、この光の色があることさえ気づけないだろう”


 バラのプランツから係長に、八津目は視線を戻した。


 “神社の一件。あそこにいた白猫のナギを覚えているかね”


 係長はすこし息を止める。


 「はい」


 八津目の眉間にしわが寄る。


 “ナギもプランツだという事は理解できるかね?”


 まるで緑色の液体が入ったかのように、八津目の瞳は急にエメラルドに光った。係長の前足に力が入る。


 「はい。、すこし光って見えるので」


 “ああして、何百年、何千年とその地で根をはり、思念体であるプランツの層を厚く出来るモノは、自分の姿を身近な動物に似せて形を作っていくのだ。いや姿、形だけではないか。内臓などの肉体構造、生殖能力までまったく同じに作っていくからな。ナギほどのプランツならば光の屈折を変え他の動物や人間に見えるようには自在にすることが出来る。この言葉が通じないかぎり、私にも普通の動物とプランツの動物とで区別はつかないほどだ”


 係長は、少し前のめりになった。


「神社にいたあの猫の集団も全部ですか?」


 “そうだ。あの山に神社が立てられてから歴史も古い。神木も何本もある。ナギを筆頭に形を成したプランツが沢山いるのだろう。君は都会育ちで知らないようだが、世界にはそんな場所は沢山ある。あの神社の山はナギに影響されて猫の形が多いが、他の場所ではもっと様々な形のプランツが生活している”


 八津目は、グラスに手をかけ天井を見た。


 “鹿や猿、熊、鳥など場所により様々だ。そしてプランツは生物の進化におおいに貢献してきた。その場所で生物が生きやすくするためプランツは試行錯誤で色々な形を作り、交配し新しい種類の動物を作ってきたのだ”


 八津目はすこし背もたれに寄りかかり両手を広げた。


 “植物達は、この世界の母のような存在だ。二酸化炭素を酸素に作り変え、動物たちの進化を促し、いつも世界を支えている。彼らには明確に生態系保存の意思があり、すべての生き物に愛を持っている”


 八津目はバラの鉢植えを見る


 “だろ?”


 鉢の中のプランツは、ニコリと微笑んだように見える。

 係長は目を丸くしながら沈黙していた。


 急に、八津目はグラスを持つと一気に残りの酒を飲み干す。

 係長は慌ててテーブルに乗り出した。


 「いけない、そんないっぺんに。また体に障りますよ」


 八津目は、大丈夫と言わんばかりに右の手のひらを係長の前に出す。

 そして、親指を係長の目に近づけてきた。


 係長はびっくりして、少し下がる。


 見せられた右手の親指の指紋だけが、極端に少なかったからだ。

 異様な指だった。


 手を引っ込めると、八津目は目をつむりその手で自分の額を揉みだす。


 “私も……”


 すこし顔をあげると、緑がかった目で係長を見つめた。


 “私もプランツなのだよ”


 係長は体をこわばらせた。

“プランツはその生物の姿に形作れば、その生物のように歳を取り一生を終えていく。病気にもなる。他の光の屈折を上手く利用して見えるようになったプランツは普通の生き物と区別がつかない。だが、一点だけプランツである特徴がある。その植物がプランツを作るたび年輪のようにどこかに回数が、カウントされていくんだ。私の場合は右手の親指なのさ”


 「年輪?」


 八津目の目線は、じっと係長を瞳を捕らえ続けている。係長の方から視線を外し、ゆっくりと後ずさりをするように席に座り直す。艶やかな漆黒の毛並みのしっぽが、ゆらゆらと揺れる。

 自分の前足の震えがなぜか止まらないことに係長は気づいた。


 “自分の体だ。もう解っているのだろう? 君のしっぽの先にある輪の数を……”


 八津目の言葉に係長の目がぴくっと動揺した。

 しっぽだけが、意思に反してうねり続ける。八津目も俯き空になったグラスを見るでもなく宙を見つめた。


 二者の間に沈黙が流れ、店内の雑音だけが響く。


 いきなりへびでも捕まえるように、自らのしっぽを係長は掴んだ。

 掴んだ前足を震わせながら、目線をしっぽの先に合わせる。

 艶のある自慢のしっぽの先、黒い毛をかきわけた地肌には、9個の輪っかがあった。

 八津目は背筋を伸ばし、膝の上に両手を置き係長の金色の瞳を見つめた。


 “係長さん。君も、プランツなんだよ”


 前足から力が抜け、係長のしっぽがすり抜けるように落ちていく。


 “だから我々の言葉も、バラ君の姿も見えるんだ。係長さんである今よりも前の記憶が、断片的にでもあるんじゃないかね?”


 係長は八津目を見つめたまま、しばらく動くことが出来なかった。


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