第五章 convey 第七話 前世
係長は、線香花火が好きな老齢の女性の夢を思い出し考えこむ。
(あれは夢ではなく、前世の記憶だっていうのか?)
突然、目の前にグラスを当てる高い音が響く。八津目が係長のグラスに自分のグラスを当ててきた。
“大丈夫かね?”
我に返った係長は、しっぽを離して小さく二度頷いた。
両目を
疲れたような顔で、マタタビウィスキーのぬるま湯割りの入ったグラスを見つめた。
「私はてっきり夢や妄想かと思っていました……」
八津目は背もたれに寄りかかり、カウンター席でシェイカーを振るマスターを遠目に見つめた。
“私はね。実は昔の君に会ったことがあるんだ”
八津目の表情が少し緩む。
“はじめてこの店で会ったときに和菓子屋の話をしたことを覚えているかね?“
「奥様のおつかいを頼まれたって、大福のおいしい『うさぎののれん』とかいう」
“君はその店を知っていただろ? その店があったのは平成の前、昭和の時代のことだ。ネットになど載るはずもない小さな和菓子屋だ。この時代に生きる黒猫君には知る由もない店だ。前の君は飼い主に抱っこされて来店した。その時も黒猫だった”
その言葉でうっすらと係長の脳裏に記憶がよみがえった。
……道路から陽炎が経っていた。
……夏の日に水色の着物を着た高齢の女性に抱っこされている自分の記憶。
……首には赤いリボン。
……近くの動物病院に行った帰り。
……着物の女性が『おいしい大福』というのぼり旗につられて入った店。
……ショーケースの中から和菓子を迷って選ぶ女性の横顔。
……そして、商品を支払った時、店の年老いた主人が自分の頭をひとなでした。
……その主人は……
係長は目を見開き、顔をあげ八津目を見た。
「思い出したかね? 私の顔を」
八津目は普通の声で言った。
……和菓子屋の主人は八津目だった。
“君とはそこで、この言語で少しだけ話をした。その時はまだ君は『言葉』の話し方を知っていたんだ。あれから相当経っているとはいえ、これだけ形のある黒猫のプランツと街中で遭うことは稀だからね。私は、はっきり覚えていた。だが君はまるで私のことを覚えていないのでおかしいと思い、今まで様子を見させてもらった。変に隠していたようで申し訳ない“
八津目が少し頭を下げると、係長は軽く首を振った。
“プランツの生きてきた記憶や経験は本体の植物に蓄積され、本体の植物が再びプランツを作った時に記憶も継承される。当然自分がプランツだという自覚も持っている。だが君は自分を本物の黒猫だと思っていたばかりか、話し方すら覚えていない。つまり君は、本体の植物を知らないということではないだろうか?”
係長は大きく頷いた。
“だとすれば、ここからは私の推測だ。君の本体である植物が何であるかはわからない。だが昭和から現代にかけて、様々な場所が開拓され住宅地になったり施設になったりした。その土地の中に君の本体の植物があり、分身である君だけが生き残ったのではないかと思う。昔は割と見かけたんだ。君のような『はぐれ者』を。前の君と前の私が出会ったのはざっと七十年前だ。そんなに猫のプランツが生きられるわけがない。おそらく君はなんらかの理由で、そのまま消えることをを拒み、自らプランツを生成し生まれ変わったのではないだろうか“
「自分で生まれ変わった?」
思わず係長の眉間にしわが寄った。
“作れるのだよ。プランツはプランツを”
八津目は、右手の人差し指をテーブルの上に置き、係長にだけ見えるように左手で隠した。
係長が注目していると、その指の爪は膨らみ始め徐々に形を作っていく。
その膨らみは次第に足が生えはじめ、触覚を出し白いカメムシに変化した。
“自分の体積が限界だがね”
驚愕で係長は絶句する。
白いカメムシは羽を広げ、飛び上がると八津目のもしゃもしゃの頭髪の中に入っていった。
“おそらく衰えた体を君は新しい子猫のプランツに作り変え転生を繰り返した。だが本体の植物を介さないプランツ生成は劣化する。だから君は『言葉』も忘れ自分がプランツだということさえも判らなくなってしまったと考える”
係長はテーブルの上から天井を見上げた。
たまに見る昔の飼い主の夢。それは朧気であり切なくも、温かく優しい夢だった。それが現実であったという嬉しさと、主人たちとの別れの寂しさが同時に係長の胸の中を締め付けた。
係長は静かにマタタビウイスキーを一口飲んだ。
「つまるところ、私はそのなんとかっていう存在で、死んでもまた生き返るかもしれない……ということですか?」
八津目はまだ俯いたままだ。
“わからん。だが普通はその形の動物の一生分くらいしか、プランツには活動エネルギーが与えられない。それから考えると、今君が生きていることは奇跡であり、言いにくいが君に次があるとは到底思えない”
係長は鼻で笑った。
「じゃあ、要するにこの黒猫係長としての人生、いや猫生で終わる。それだけじゃないですか。なんだ普通じゃん。なんか変な話だなぁ。宝くじ当たって、実は去年の番号でしたみたいな話ですよ。打ち明けなくても良かったんじゃないですか? そっとしておいてくれれば」
係長はマタタビウイスキーを、ピチャピチャ飲みはじめた。
“その通りだ。今の君の人生、いや猫生の謳歌ぶりを見ていると。君がプランツであることを忘れたのは、もう最後は普通の猫として生きたいと思ってのことなのかもしれないしね。だがね、本題はこれからなんだ。申し訳ない”
「本題って……」
係長は飲んでいた舌を止め、嫌味たっぷりなため息を一つついた。
八津目は胸の裏ポケットから、金の懐中時計を取り出しテーブルの上に置いた。
係長も何度か見かけた時計。あの神社の件の時も八津目はこの懐中時計を取り出し何か言っていた。あの時と違い変な光は出していない。
”私やナギが人間や猫のプランツを作ったのは、その種族に特別な思いがあったからに違いない。仲間に入りたい、共に生きていきたいと望んでそうなった。だが悠久の時を生き、ある種特別な力を持つプランツは必要以上に普通の動物たちと関わりを持ってはいけないという暗黙のルールがあり、その種族プランツの一番の古株は、更に太古より生き延びる大植物達にその動物種族の代表として認められ、その種族を導き見守る役目を与えられる。人間の場合は私がその役目を担っている”
係長は、マタタビウイスキーを飲み干してしまう。八津目はそれを見て、手をあげマスターを呼んだ。
「同じものでいいかね?」
「おごりですか?」
「いいだろう」
「では、八津目さんと同じものを」
マスターが微笑みながら歩いてくる。
「お待たせしました。今日はお二人で何の悪だくみですか?」
係長は含み笑いをする。八津目もニヤリと笑う。
「何、ちょっと世界を救う話さ」
「あら、壮大なお話。 ご注文は?」
「山崎のダブルを二つ。だが、係長さんはぬるま湯割にしてくれ。ストレートは強すぎる」
「はい。かしこまりました」
マスターは美しい姿勢からお辞儀をして、空いたグラスを二つ持つと、またカウンターの方に戻っていく。
「おもしろい冗談ですね」
係長はすこし目をとろんとしている。
「あれ、ストレートのが良かったかね? 君はいつもぬるま湯割りだろ?」
八津目は太い眉をあげた。
「世界を救うってところですよ」
座り直し、両手をテーブルの上に出して、懐中時計を握る八津目。
そして、係長の目をじっと見つめた。
“それが、冗談でもないんだよ”
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