第五章 convey 第四話 エレベーター
◆◇◆◇◆
「では、明日より訪問させて頂きます」
所長と係長は、シューズカバーを外し玄関に降りようとしていた。
美里はもうドアを開け外に出て待っている。
ケアマネの小林は、まだ話があるらしく奥の部屋で母親と残っている。
眞知は係長を見つめる。
「あの、係長さん。もう一度抱っこさせてもらえませんか?」
係長は一瞬、間を置いたが脱ぎかけたシューズカバーをつけ直し眞知の足元に座った。
「どうぞ」
眞知は係長を抱きあげ、ぎゅっと頬ずりをする。香水のいい匂いを感じて係長は、少し赤くなった。眞知は、すぐに係長を下し顔をじっと見つめる。
「ありがとうございました」
「い、いえ、ではまた明日」
係長はシューズカバーを脱ぎ玄関を出ると静かに扉を閉めた。
エレベーターまで続く廊下の柵から、階下の街が見渡せる。天気の良いせいもあるが、遠くの山々もくっきり見えていた。所長は立ち止って、しばし景観に見入っていた。
「しかし、すごいマンションね。よほどの金持ちじゃないと住めないわよ。こんなところ」
羨ましそうに所長がつぶやく。後ろで係長も『うんうん』と頷いている。
美里は興味無さそうに『三〇F』と書かれたエレベーターの下階行きのボタンを、何度も押していた。
「美里ちゃんもお嬢様って話だけど、こんな感じなの?」
「いえ、ウチは一軒家なので。あのもう喋ってもいいですか?」
「え、いいけど」
美里は静かに所長の背後でたたずんでいる係長をじろりと見る。
「くろ。さっき、ちょっとニヤついてたでしょ」
係長はピクリと体を硬直させる。
「な、なにを言ってるんだね君は。利用者に笑顔で接するのは私達アニマルケアラーとしてはだね」
「そっちの話じゃない! 帰り際のハグのあとの顔! なにあれ! くろって女なら誰でもいいわけ!?」
係長はビクっとしてしっぽを膨らませた。
「な、なにいってんだ! 心外だぞ」
「まぁまぁ、美里ちゃんも抱っこさせてもらったら?」
係長は驚いて所長を見る。
「な、何を言ってるんですか。しょ」
間髪入れずに美里は係長を抱きあげた。
『チーン』ベルを叩くような音がしてエレベーターが開く。
美里は係長を抱いたまま、エレベーターに乗り込んだ。
所長は乗らずに手を振った。
「あたし、もう少し景観を楽しんでから降りるわ」
係長は驚愕の顔で所長を見下ろす。
「所長?!」
静かにエレベーターの扉が閉まりだす。
「しょちょぉぉぉぉ!」
完全に扉が閉まり、所長の顔が見えなくなる。
恐る恐る見上げると憤怒の表情で、美里は係長を見つめていた。
美里の指が係長の小さいネクタイをはらう。
「え」
くい。
手慣れた手つきで係長のジャケットの小さなボタンを外す美里。
「ちょっと」
くい、くい、くい。
今度はワイシャツのボタンを、ひとつ、またひとつと外していく。
「ちょっと、ちょっと待ちたまえ。こういうのは」
係長のふさふさの黒いお腹が露わになる。
「ひゃ!」
美里はぺろりと舌なめずりをしはじめ、熱い息がお腹にあたる。
鼻先を近づけ、くんくんと係長の身体中の匂いを嗅ぎはじめた。
「あの女のいやな匂いがする」
「や、や、やめ……」
係長の絶叫が遠のいていくのを聞きながら、所長は三十階のエレベーターの前で合掌していた。
◆◇◆◇◆
この街は、歴史も古く政令指定都市だけあって駅前はかなり大きな繁華街になっている。ロードサイドの商業モールが賑わう時代になって久しいが、この街の駅前は今でも衰えることなく栄えている。土日ともなると人口が減っているこの国に、どこにこんなに人がいるのかというほど混雑している。
そして、ほとんどの人間がマスクを着用している。
契約の見学に行った次の日。
学校制服の美里は慣れない電車から、駅のホームに降り立った。案内板を見たあと、人の流れにのって階段を下りる。沢山の人に紛れて美里はキョロキョロしながら地下街の改札を出ると、何かを見つけて手を挙げる。
地下街案内図の貼ってある駅の大きな柱の前から、仁科陽葵を含めた私服の仲良し三人が手を振っていた。
「ごめん、遅くなった」
美里は急ぎ足で近寄ってくる。
「美里の場合、ちゃんと来れただけ偉い」
「いや、迷った。普段バスと自転車ばっかりだし、駅前とかあんまり来ないもん、私」
「補習無事終わったの?」
「うん。今日で終わりだって。で? 今日は何食べるの?」
「違げーよ。食べに来たんじゃないでしょ。どっか寄ってもいいけど。服買いにきたんじゃん。あたしら四月から大学だし、少し大人っぽいの探しに行こうって。美里だって社会人でしょ?」
「おお。しゃかいじん」
「とりあえず、ネット見て評判の良いとこから行ってみようよ」
「じゃ、こっちね」
地下街の方に向かって友達二人が@スピーカのスクリーンを開きながら、先行して動く。陽葵と美里は、となり同士で先行した二人の後ろを歩き始めた。
「陽葵は、結局大学行くんだね」
「うん。漫画家は絵だけじゃなれないし、世の中のこと知らないとだから、勉強はしないとね。それに両親と約束いっぱいしたよ。在学中に資格を三つは取れって言われてる。前途多難てやつよ」
「すごいなぁ。頑張ってね」
「うん あ。マチちゃんだ」
地下街の壁に十メートルもある長く大きく張られているポスターを見て陽葵は立ち止った。
そこには、スタイリッシュな服を着ながらインタビューをする1人の女性モデルが映っていた。歩いていくと季節ごとの服を着たそのモデルが何種類も映っている。
「ん? んん!?」
美里はそのモデルをよく見る。
それは昨日、所長や係長たちと契約に行った時遭った、八田眞知だった。
「この人、誰?」
「うわ、美里。マチ知らないの? 今一番の世界的なインフルエンサーじゃん。この人が宣伝するとなんでも人気になっちゃうって人だよ。あんたこの人知らんのはマズイよ」
「ふえー」
美里が眞知のポスターの前で立ち尽くしていると、先行して進んでいた二人が戻ってくる。
「だめだ。さっきの店、閉まっちゃったって」
美里が、びっくりして戻ってきた友達の方に振り向く。
「なんで? まだ午後一時だよ」
「昨日、マチが紹介してた店なのよ。生地からこだわって作っていてデザインもしっかりしてるとか。紹介したのパーカーだけなのに店の服、全部売り切れたらしいよ。ネットニュースになってる」
「いんふるえんざ おそるべし」
美里は改めてポスターの眞知を、口を開けて見つめた。
陽葵は美里の肩にやさしく手をのせる。
「美里。その平仮名っぽい喋り方バカっぽいから、いい加減やめなさい」
「すみません」
美里と陽葵は目を合わせてくすっと笑う。
「でもなんか……」
美里はまたポスターの眞知を見て呟く。
「私、この人なんか苦手」
陽葵はすこし驚いた表情で美里の顔を見る。
「あ、あっちの店に行ってみよう」
検索していた友達二人が行先を決めたらしく進みはじめる。
美里と陽葵も二人に続いて歩きだした。
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