第五章 convey 第三話 八田眞知
◆◇◆◇◆
大きなタワーマンションの地下駐車場で所長と係長、美里は自動運転車を降りた。
美里はすでにマスクをつけている。
エレベーターで一階に登るとホテルのような豪華な装飾があるエントランスが広がっていた。床は大理石調だ。パネルタブレットのAIコンシェルジュがおり、その前のロビーチェアにスーツを着たマスクをした人間の男性が座っていた。男性は所長に気づくと立ち上がり近づいてきた。
「介護のねこやさん。どうもお久しぶりです。マリー苑のケアマネをやっております小林です」
所長は軽く会釈をする。
「どうもお久しぶりです。今回はずいぶん急でしたね」
「すみません。利用者家族が猫ヘルパーさんをご指定でして、それも……」
小林と名乗った男性は係長を見た。
「黒猫の」
所長も美里も係長を見る。
「はい?」
◆◇◆◇◆
玄関を入ると、その女性は係長を見るなり胸の前で手を組んで感嘆の声を上げた。
「やだーかわいい!! すごいホントに黒猫さんなんだー」
女性はふわっとしたミディアムの髪でグレーやブルーが所々にメッシュで入った髪型をしてグリーンのパーカー、部屋の中とはいえ時期外れのホットパンツにブラックのタイツを履いていた。目も特徴的に大きくメイクもしっかりされている。大きな 瞳で係長を見つめて微笑む。
係長も照れながら微笑みを返した。
ピクリと美里の眉が動く。
係長は背中に寒気を感じて毛が逆立ち、ちらっと美里を見る。
美里はガラス玉のような目をしながら係長を無表情で見つめ返した。
「どうも、介護のねこやの所長をしております。よろしくお願いいたします」
所長が玄関で挨拶をすると後ろで係長もお辞儀をする。
「
「はぁ……」
八田眞知と名乗った女性はポケットからデジカメを取り出すとフラッシュをたきながら、パシャパシャとシャッターを切りはじめる。玄関で固まる係長と所長。美里は冷ややかな視線を眞知に送っている。
「あの、お邪魔してもよろしいでしょうか?」
所長の言葉で、やっと撮影を止める女性。
「ああ、どうぞ」
眞知はしゃがみ、おもむろにまたデジカメを構える。
おそらく動画を撮っているのだろう。
係長が靴に部屋用シューズのカバーを付け、お辞儀をして廊下にあがる様子をカメラフレームで追っている。
「いい……いいわ、黒猫さん。あなたは社員さん?」
「はい。係長をさせていただいております」
「係長さん。いい。ダンディーだわ」
眞知はカメラを下げたと思ったら、いきなり係長の頭を撫でた。
「毛並みもいいのね。つやつやー」
びっくりしてしっぽを膨らませるが、係長は作り笑いを浮かべる。係長が眞知に顔を向けた時、玄関で立ち尽くす美里が視野に入った。口元は無表情だが、明らかに殺意のような鋭い感情を秘めた瞳が眞知に向けられている。
「あ、あの本日は見習いの者が同行しております。彼女も入室させてよろしいでしょうか?」
係長の言葉に眞知は玄関の美里とケアマネの小林を見た。
すっと女性の顔から笑顔が消える。
「あぁ、人間もいるのね」
ぷいっと係長に顔を向けると、眞知はまた笑顔に戻った。
「さぁどうぞ。奥にリビングがありますからー」
態度の落差に、美里は思わず口を半開きにしてしまう。
「ちょっと変わってる人なんだよ。気にしないで」
ケアマネの小林さんが美里に小声で耳打ちした。
「はぁ」
廊下の奥の引き戸を開けると十五畳ほどの広いリビングだった。
システムキッチンとつながっており、高そうなデザイン家具やオブジェのようなインテリアライトが並んでいる。ガラスの丸いテーブルを囲むように、見るからに柔らかく体が沈んで行きそうな高級ソファーが並んでいた。
そこに、一人で六十歳過ぎの女性が座っていた。
あまり見ないセーターのような毛糸編み込みのスウェットを着ている。
女性は左手に包帯を巻いていた。
美里を見てその女性は会釈をする。美里も慌てて会釈を返した。
「あら、お友達? かわいらしい子ね。いらっしゃい」
一番最後に入室したケアマネの小林が、手刀を切って美里や所長、係長の前に出 る。そしてソファの女性にお辞儀して挨拶をはしめた。
「おはようございます、八田さん。所長さん、こちら八田さんです」
所長がすばやく丁寧にお辞儀をする。
遅れて係長がお辞儀をしようとすると、眞知が急に係長を抱きあげて女性の目の前に持ってきた。
「お母さん。ほら今度お世話になる介護の黒猫さんだよ」
一瞬、係長は目を白黒させたが、すぐに我に返り女性に首だけで会釈した。
「黒猫さん? あらかわいいわねぇー」
所長が眞知の後ろで咳払いをして、もう一度会釈する。
「おはようございます。八田さん。介護のねこやでございます」
女性は目を丸くしてメインクーン所長を見つめた。
「あら、すごい喋れる猫ちゃんなのね」
「ねー。カワイイでしょー」
係長は眞知に抱かれたまま作り笑いをしていると、また美里が目に入る。
今にも美里の目から殺人光線が出そうなほど、スゴイ表情でこちらを凝視している。
「すみません。八田様。準備がありますの下していただいてよろしいでしょうか?」
「ああ、ごめんなさい」
眞知はそっと係長をおろす。メインクーン所長がソファーを触る。
「すみません。私が所長でございます。よろしくお願いいたします。お母様がこちらにお座りですし、このソファーでお話をさせて頂いてよろしいですか?」
「はい。どうぞ、どうぞ」
眞知はソファに手をかけ、逆の手で他の人を誘導した。
所長とケアマネ小林が会釈をしながら、母親の対面に座る。
係長と美里はソファの端の方に座った。
眞知は所長にいきなり頭を下げる。
「今日は、いきなりお呼びたてして申し訳ありませんでした。母が急に退院になって、ケアマネさんにも昨日お会いしたばかりでして……。半年前から外せない取材が明日あり、明後日からは出張で困っていたところ、ケアマネさんが急遽動いてくれて小林さんもありがとうございます」
眞知が会釈すると、小林は少し頭を横に振った。
所長は顔をあげて眞知を見る。
「取材……と申しますと?」
「私は国内のミクロで流行している商業施設や仕事を紹介するインフルエンサーをしています。基本的に毎日帰宅はしますが、仕事がら取材が多いし休みもバラバラなんです」
眞知は美里をチラッと見た。
「あの、それで一応こういう仕事なので、あまりその家族の事とか住所とかそういうの漏れたら困るんですけど、個人情報漏洩とか大丈夫ですか?」
「はい。それはお約束します。どんな些細な事でも医療、保険、介護以外にそういった情報を漏らすことは禁じられています」
眞知はもう一度美里を見る。見られて美里は少し怪訝な顔をする。
「 あの、失礼ですけどこの方は? この方から私の情報が漏れるとかないですよね?」
「大丈夫です。その辺りは徹底させます。ね?」
係長が間髪入れずに答え、そして美里に返事をうながす。
注目が集まった美里は、係長を見つめた。
「喋っていんですか?」
係長は事務所でのやりとりを思い出しつつ、ゆっくりうなずく。
美里は眉をひそめ、目をぱちぱちさせて口をとんがらせた。
「い、いんふるえんさって何ですか? あの風邪のヤツですか?」
眞知が少し驚いた表情になる。
係長が焦って立ち上がり美里に耳打ちする。
「インフルエンサーはSNSとかで情報発信する影響力のある人のことだよ。とにかくここは、『はい』。利用者さんの個人情報は誰にも話しちゃダメって話してるんだろ!」
「あ、なるほど。はい!」
所長と係長が焦りながら眞知の顔を見ると、眞知の口元は少し緩み美里から目線を外した。
「まぁいいわ。私のこと黙っててね」
「はい」
美里は頷きながら答えた。係長は眞知を見て胸をなでおろして再び座った。
ガラスの丸テーブルの上に、所長は書類を並べる。
「それで、ケアマネと病院からすでにお母様の基本情報は頂いています。若年性アルツハイマーということで間違いないですか?」
所長の質問に眞知の目の色がすっと暗くなる。
眞知の母親も、俯いていた。
「はい。母はずっとシングルで私を育ててくれて、私の仕事がうまく回るようになってから、私のサポートのために早期退職をしてもらっていました。お恥ずかしい話なのですが、私は仕事上、家では部屋で作業することが多く外に出ることも多い。母の変化に気づいたのが遅かったんです。ずっとおっちょこちょいだと思っていて、買い物に行って帰って来られなくなったり見当違いのものを買ってき始めて、そこで変だと気づきました」
所長は、小さくうなずく。
「なるほど、お察しします。みなさん家族の変化は近いほど気づかないようです。それで私ども『介護のねこや』を指定されたのはどうしてですか?」
所長は母親の方を見る。
「というのも我々は、スタッフのほとんどが猫ですので寝たきりの方や、車いすの方の活動を主にしているのです。はっきり申し上げますが、立位状態からの移乗移動の対応はできません。もし転倒した場合は猫では十分な助けになりません。お母さまの状態を見るかぎり人間の介護の方が向いていると思われます」
ケアマネの小林が眞知をちらっと見る。視線に気づき眞知も視線を合わせる。
「ケアマネさんにもそれは言われました。母はまだ充分に生活能力があります。歩行も食事も入浴も1人で出来ます。転倒の心配はあまりないかなと。だから見て頂きたいのは、私が留守中の食事の時間に料理をしないようにと、服薬をお願いしたいんです。左手のケガも、私が目を離した隙にハサミで食材を切ろうとして指ごと……幸い、その時は私が家にいたので救急車で入院してくっつきましたけど」
眞知は母の右手を握り、顔を見る。
「やっと楽をさせてあげらるようになったのに……」
眞知の話に母親は沈黙したまま、じっとケガをした左手を見て、物憂げな顔をしていた。
美里は母親の表情を見て唇に力が入る。
美里が何か言いかけ一息吸った時、隣の係長が突然立ち上がった。
しっぽを立て、4足歩行でソファの背面をつたり母親の背後から隣に来る。
そして、下から金色の瞳で母親を見つめ額をこすりつけた。
母親は、途端に微笑んで係長の頭を優しくなでる。
係長は、なでた母親の手に更に押し当てるように頭をつけた。
「ありがとう」
母親が優しくお礼を言う。
すると係長は、母親のひざの上に乗り始め、顔に自分の頬をこすりはじめる。
「あら、あらあら」
母親は笑顔になり、係長の体を優しくなで続けた。眞知は、それを見て両手を握り笑顔になる。
「これです! 私はあなた達にこれをお願いしたかった。@スピーカ以前はウチにもずっと黒猫がいたんです。人間ではこの癒しは得られない」
所長が頷きながら、書類を入れ替えた。
「では、定期巡回としては『ねこや』が服薬と安全確認を担当して、緊急コールでは人間の介護サービスを使うのはどうですか? 我が事務所も、本社は人間の訪問介護会社ですので、よろしければご紹介しますが……」
小林も頷く。眞知がテーブルに身を乗り出した。
「普段はこの黒猫ちゃんが毎回来て、緊急時は人間が来るということですか?」
係長は所長と目を合わせると、母親の膝の上で身を起こして答えた。
「いえ、残念ですがそれはローテーションで他の猫も訪問します。私共にも休みが必要ですので、どうしてもシフトで動いています」
眞知は残念そうな顔で係長を見つめる。
「そっか。仕方ないですね。でもなるだけあなたに来て欲しいな」
眞知は微笑んで係長の鼻を指で、ちょんと触った。係長は照れたように目線をそらす。
ハッとなってチラッと美里を見る。 だが、美里は部屋に飾ってある写真を見つめていた。
その写真の中で若い頃の母親が畳の上で黒猫を抱いていた。
黒猫の目の色は金色ではなくグリーンがかったシルバー。そして今のマンションとは全然ちがうアパートの畳の部屋の中のようだった。
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