第五章 convey 第一話 白い動物たち


 薄暗い早朝――。


 車一台ほどの岩がごろごろと転がる山肌は、頂きが近いことを示している。

 その岩の間を川のように濃い霧が流れ、横に広がる常緑樹の森にも広がっていた。

 

 日光の当たらないこの森の中は、木々以外にあまり背の高い草花は育たない。

 コケ類やキノコなどは生えるものの、永年にわたって落ちた常緑樹の葉がふかふかの地面を作るのみだ。


 「はぁ、はぁ、はぁ」


 息をする度に、本当に肺が毎回ぺちゃんこになっているかのような喘鳴が静かな森に抜けていく。

 常緑樹の幹に寄りかかり、八津目は天を仰ぐようにして気道を確保した。


 「こりゃ、年寄りにはきつすぎる……はぁ、はぁ」


 八津目は、山には似つかわしくないコートとスーツ、そして革靴で登っていた。ご丁寧に中折れハットまでかぶっている。

 ぜーぜーと呼吸しながら、自ら歩いてきた足跡を見る。

 柔らかい腐葉土の地面に八津目の深い足跡が続いてた。息を整えながら、森のすぐ横に転がっている巨大な岩の群れを見る。

 濃霧で薄暗いため岩はシルエットでしか見えない。


 「あっちは、あっちで、もう私には越えられんしな」


 八津目が湯気混じりの息を吐いていると、足元に白いリスがどこからか現れた。

 一瞬、目が合う。

 程なくして、山頂のほうに駆け出していく。八津目はボーラーハットをとって、リスの後ろ姿に挨拶をした。


 今度は、枝を地面に付き刺したような「ばすっ、ばすっ」という足音が、背後から聞こえてくる。振り返ると、立派な角を持った大きな白い鹿が、歩きづらそうにやってきた。休んでいる八津目の横を通り過ぎ山頂に向かっていく。


 八津目はまた会釈する。

 鹿の後にヒグマ、アライグマ、猿、うさぎなどが続々と霧の中から現れ八津目を追い抜くように、様々な動物たちが通り過ぎていく。


 みな一様に白い。アルビノのようだ。

 ポケットからハンカチを取り出し額の汗を拭うと、八津目は重い体を樹から離した。荒い呼吸でまた上を目指して登りはじめる。


 するとまた背後からドスドスと大きな足音で白い猪が歩いてくる。

通り過ぎる際に、八津目がまたハットを取り挨拶をしようとすると、猪の上には、神社の大木の枝にいた白猫のナギが揺られながら器用に座っていた。

 冷たい目線を八津目に送るも、何も語らず猪と共に上に進んでいった。

 八津目はボーラーハットを深く被り直し大きく息を吐いた。


 しばらく八津目が森を上り進めると、木々の間から開けた場所が見えた。


 そこには、大人が20人は乗れそうな大きくて丸みを帯びたの白い岩があり、そこを中心に沢山の小石が河原のように敷き詰められている。なぜか草花はおろか、コケすらむしていない。


 こんな山頂近くでは不自然であり、だがなにか温かみのある場所だった。

 そこから上は霧が無く朝日が差し込んでいて、暗い森の中からはその場所が眩しく感じられる。

 動物たちはその岩を囲むように集まっていた。獣だけではなく鷹やフクロウ、小鳥も沢山集まっている。


 そしてやはりみな、白い。

 どの動物も八津目がたどり着くのを待っているように薄暗い森の中をじっと見つめていた。やっとの思いで森から出た八津目は、ボーラーハットをとり、朝日が眩しそうに目を細める。

 

 八津目は動物たちに向かって一礼をした。

 無数の視線の中、大きな岩まで歩く。

 動物は八津目の動きを、見続けている。

 八津目は、おもむろに懐から金の懐中時計を取り出し、岩の上に置いた。


 その瞬間、金の懐中時計からピンっと軽い音がする。


 動物たちは懐中時計を一斉に見た。

 懐中時計から金色の光が漏れだしたと思いきや、いきなり弾ける。

 時計を中心に光の輪が瞬く間に広がっていった。

 八津目をはじめ動物や鳥、ナギたちの体をその金色の光の波は通りすぎる。

 光の輪は広がり続け、霧の森を通り、山を越え、まるで星を包みこんでしまう勢いでどこまでも進んでいった。


 懐中時計からは、金色の光が液体のように漏れ続け、その光は空に向かって流れていく。

 八津目は、目をつむり胸に手をあて深呼吸をする。

 そして、静かに目を開けた。

 白い動物たちは、八津目をまたじっと見つめている。


 静寂がその場を支配する。

 太い眉を上げて八津目は大きく息を吸い口を開いた。


 ”さあ、はじめましょうか”


 上空から見ると、山裾は霧が掛かってまったく見えない。

 八津目たちのいる場所から山頂までは、まるで白い海にポツンと浮いている島のように見える。

 新しい一日を告げる陽光ようこうが、その島と霧の海をオレンジ色に美しく染めていた。


◆◇◆◇◆


 「みさとー、美里! もう7時半よ。インターン行くんでしょー」


 階段の下で六条坂美里の母親が、フライ返しを持ちながら声をかける。


 無音。 反応がない。


 母親はため息をつき、階段を上る。


 「みさとー、みさとちゃーん」


 階段を上って目の前の部屋が美里の部屋だ。

 母親は美里の部屋を開けた。


 「あ、ママ、おはよー。見て見て。仕事用のリュックに付けるホルダー作ってみたの。カワイイでしょ?」


 パジャマを着て、ぼさぼさの髪で美里は学習机の椅子から、クルリと母親の方に向く。

 デコレーションで飾ったアクリル板のキーホルダーを得意げに見せる。

 アクリル板の中にはスーツを着た係長の決め顔入っていた。


 机には何枚も写真を切り取ったクズが散乱している。


 「そ、そう。カワイイわね。もう準備しないといけない時間でしょ。あとでちゃんと掃除しなさいよ」


 「はーい」


 美里は、立ち上がるとホルダーとリュックを大事そうに抱えて母親を横切って階段を下りていった。


 「……」


 母親は美里の部屋を改めて見る。


 机にはおろか天井や壁などに何枚も貼られたおびただしい数の黒猫の写真。

 スーツを着たものや車を運転するもの、中にはレジ袋を着た黒猫もいた。


 「ホラーかよ……」


 母親は、大きくため息をつくと、静かに美里の部屋を閉めた。


◆◇◆◇◆


 朝の街道は人が多い。

 バス停で待つ人々、集団登校の小学生、自転車通勤をする人も沢山いる。

 駅に向かう人がほとんどの中、鼻歌まじりの美里は車道わきの自転車専用道路を 人々とは逆の流れにペダルを漕いでいた。


 「ん?」


 何かを見つけて美里はブレーキをかける。


 風呂敷だ。

 ガードレールでよく見えないが、歩道を。風呂敷を持った何かが移動している。美里は身を乗り出しガードレール越しにのぞき込んだ。


 「あれ? くろ?」

 ガードレール横で風呂敷をしょって歩いていたのは、黒猫係長だった。


 「なんだ、君か。おはよう」


 「なに、その包み。お弁当じゃ……ないよね」


 「ふふふ。よくぞ聞いてくれた。これはね便利アイテムの数々だよ」


 「便利アイテム?」


 「いやぁ、昨日雀荘で大勝ちしてねぇ、いやぁ我が博才がおそろしいよ。ははは」


 「えー良かったじゃん。いくら勝ったの?」


 「三千円さ。ふふん」


 係長は鼻息を大きく吹いた。


 「そ、そう。良かったねー。それで?」


 「いや、それでさ。雀荘のお兄さんがね。困ったなぁ子供のミルク代が無くなっちゃったわー。って言いだしてね」


 「ミルク代? あの人子供いたの?」


 「そうなんだよ。そう言われたら話を聞かないわけにいかんだろう」


 「まぁ、うん」


 「だろ? それでね。『実は裏ルートでこれから販売するバカ売れ間違いなしの新商品をたまたま持ってるから、それで勘弁してくれないか?どこかで売れば元は取れるよ!』と提案されてね。」


 「で、買ってあげた……ってこと?」


 「そうさ。でも、私のような一匹暮らしには不要なモノばかりでね。会社で誰か買ってくれないかと思ってさ……見てみるかい?」


 係長は風呂敷を地面におろし。結び目をほどき始める。

 美里は、自転車から降りてスタンドを下げた。


 「ほらこれ、キャベツスライサー! どんなキャベツもこれで千切りに出来ちゃうんだって! すごいだろ? 実演してもらったんだがこれが切れる切れる」


 風呂敷にはこれが五個入っていた。


 「次はこれさ、魔法のぞうきん。ファイバー繊維で出来ていてどんな油汚れもひと拭き!一家に一枚あれば掃除も簡単。これも実演してもらったんだけど。すごいんだよ。フライパンの油汚れも簡単に落ちるんだ」


 風呂敷にはこれも五枚入っていた。


 「最後はこれ。アクリルキーホルダー。好きな写真を挟んでお好みのキーホルダーに出来ちゃう! これ結構いいだろ? 雀荘のお兄さん。これに子供の写真入れていてね。これが可愛かったんだ」


 美里はとっさに、カバンのアクリルキーホルダーを外しスカートのポケットに隠した。風呂敷にはこれも五個入っていた。


 「どう? みんな便利だろ? 欲しい人いっぱいいるよね」


 「これ、全部でいくらしたの?」


 「勝ち分、三千円ポッキリさ。一個五百円で売ったら七千五百円の売り上げになるから四千五百円の儲けが出るんだって。すごいだろ?」


 「え! いやいやこれ全部ひゃっきん……」


 本当の価格を言おうとすると、係長はキレイな金色の瞳が美里の目に入る。その瞳の美しさに美里は、ドキッとして思わず言葉を失う。潤い豊かな係長の瞳はウルウルと光を乱反射させていた。

 じっと言葉を待つ係長。

 あまりの愛らしさに美里はわなわなと体が震えはじめる。

 係長は美里を見つめたまま、小首をかしげた。


 「あうっ」


 思わず美里は身悶える。

 「んんー!」と声にならないうめき声を上げながら、突如係長を拾いあげて抱きしめた。そして自分の顔の前に係長の顔を持ってきて、金色の瞳に熱視線を送る。


 「結婚しよう!」


 「は? ふざけんな!」


 係長は美里の左耳を思い切り噛む。


 「ぎゃー!」


 激痛で係長を空中で放す美里。係長は華麗に着地した。


 「君はやっぱり一回病院に行きたまえ!」


 「……本気なのに……」


 「通報すんぞ!」


 係長は両手をグーにしながら大きな声で叫んだ。

 美里は左耳をさすりながら前屈みにして係長に顔を近づけた。


 「でも会社の人に売るのはやめようよ。配ったら? きっとみんな喜ぶよ、便利グッズ。係長さんなんだしさ」


 「ん? そ、そうかな」


 「うん。あと今度いっしょに買い物行かない?」


 「勘弁してくれ。私は忙しいのだ」


 「えーいいじゃん」


 係長は風呂敷に品物を手早く包むと、よろめきながら背負しょい込んだ。それを見て、美里は風呂敷ごと係長を持ち上げ自転車の前のかごに乗せた。


 「え、こら!」


 「いくよー」


 美里は自転車のスタンドを上げてサドルに乗ると、ぺダルを思い切り漕ぎだす。


 風が顔にあたり思わず係長は目をつぶった。


 「くろ」


 片目を開けて背後に少しだけ顔を向ける係長。


 「かわいいー」


 黒猫なのに、係長は自分の頬が赤くなったように感じた。


 「ば、ばかじゃないの」

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