第四章 be opposed 第十話 八津目
八津目はよろよろと美里と係長のもとに近づく。
美里の腕の中でボロボロの衣服ながらも無事の係長を確認すると、八津目は胸をなでおろし、膝に手を置き息を整える。
神木の上にいるナギは立ち上がった。
“なぜお前が”
係長はナギの『言葉』が、植物たちと一緒にいる『白いモヤッとした何か』たちのものと気がつき驚く。
“この猫君は次の弁護人候補だ。安易に手を出されては困る!”
係長は更に驚き目をみはった。今、八津目が話したのも植物達の『言葉』だったからだ。
美里は口だけ動いている八津目を見て訝し気な顔をしている。
“お前たちの次の弁護人がその猫だというのか? そんな馬鹿げた話があるものか!”
ナギは明らかな怒りを持って雷のように叫んだ。
その言葉は@スピーカが反応しないので、音で会話しているのではないのかもしれない。現に美里はナギの存在に気が付かず、ずっと八津目やボス猫しか見ていない。
八津目は胸の裏ポケットから金の懐中時計を出すと、美里に抱かれた係長に近づけた。するとその懐中時計から、光る金色の液体が大量に漏れだし宙に向かって消えていく。その光は係長や美里の顔も金色に照らしている。係長は少し怖くなり美里の腕の中で後ずさりした。しかし美里にはやはり、時計が光っていることさえ気がついていない様子だった。
“この反応わかるだろ。この猫君は同類だ。私が誰を選ぼうと君には関係が無いはずだ”
ナギは牙をギリギリと食いしばり、枝の上で後ずさりをした。
“ニダーナか……”
八津目はナギを睨みつけた。
“ニダーナのもと、弁護人八津目が神木ナギに告げる。今後一切、後継者であるこの黒猫君に手を出してはならない”
その瞬間、懐中時計は爆発したように金色の光を解き放った。
光の波がナギの体も通り過ぎる。
ナギは神木の上から八津目を思い切り睨みつけた。八津目も太い眉を寄せながら鋭い目つきでナギを見つめた。
大きなその瞳の奥には、緑色の光をたゆらせている。
八津目の瞳の光を見ながら係長は茫然と事態を見つめるだけだった。
ナギは神木の枝の上で、座りなおし長いしっぽを体の周りに撒きつけた。
”遠藤、ここは散りなさい”
ボス猫はその声にすっと一歩引き、八津目と美里に一礼する。
美里に見えないようにナイフを袖にしまうと、くるりと踵を返して速足で提灯を拾い本殿の方に去っていく。
係長と美里、八津目を囲んでいた数えきれないほどの猫のようなものも、散り散りになっていく。中には蒸発するように消えるものもいた。神木の上の白猫ナギも、いつのまにか姿を消していた。
係長はその光景を茫然自失といった感じで全く動けずにただ見守っていた。
参道に冷たい空気と静寂が戻る。
八津目は金の懐中時計を胸にしまい、「ふう」と一息はいた。
「ねぇくろ。あの人大丈夫かな? さっきからずっと口をパクパクさせてたけど病気じゃないよね?」
美里は係長に耳打ちしながら、心配そうに八津目を見ている。
係長はどう答えたらいいかわからず、ただ首を傾げた。
八津目が美里に抱かれた係長に顔を近づけると、美里は少し嫌そうに遠ざける。
「危なかったね。係長さん」
「八津目さんあなた、いったい」
八津目は係長の質問には答えず、大きな瞳で美里を見つめた。
「あとお嬢さん、ありがとう。この老体では間に合わなかったかもしれない」
「間に合う? 何がですか?」
八津目は優しくニッコリ笑うと、懐から今度は長財布を取り出し係長に万札を三枚渡した。
「今日は疲れただろう。話は今度にしよう。下に私の乗ってきたタクシーがある。それで二人で帰りたまえ。」
「え、でもこんなに」
係長は面食らっていると、八津目はお札を係長のコートの隙間に差し込んだ。
「いいんだ。迷惑代とでも思ってくれ」
すると、係長は暴れ出して美里の胸から強引に折りて着地する。
お札を自分の胸元にねじ込み直し、キリっとした顔つきで八津目を見た。
「わかりました。六条坂くん帰るよ」
「え、石段降りるまで抱っこって……」
「いや、もういい」
「えー、話が違う!」
参道をトコトコと四足歩行で進んで行く係長に、美里はプンプン怒ってついていく。係長が石段を下りようとした時だった。
“1週間後、ロストキャッツで待っているよ。今度こそ話がある”
美里には聞こえない@スピーカでは拾えない『言葉』で八津目は係長に声をかけた。
「わかりました」
係長は振り向き返事をすると、軽やかに石段を下っていく。
美里は不思議そうに振り向いて、八津目に会釈だけして係長を追っていった。
八津目は振り返り神木の枝を見る。ナギの姿は無い。
ゆっくりと八津目も参道を歩き石段までたどり着くと、下から冷たい風が吹きボーラーハットが浮き上がり慌てて押さえた。そのまま石段の上から下っていく係長と 美里を見る。
「悪いね、係長さん。君には迷惑をかける」
小さな声で八津目は呟いた。
石段の下に着くと係長は、止まっていたタクシーを素通りする。
「あれ、乗らないの?」
美里が立ち止って係長に声をかける。
係長は足を止めることなく街道の方に向かってトコトコ歩く。
「バスで帰る」
「ちょっと! くろ! お金ケチる気?」
「若いんだから、歩きなさい」
「くろだって、六歳じゃん。年下じゃん」
「猫の六歳は人間の四十歳だって言ってるだろ? 聞き分けのない子だな」
「わかった! マージャン屋さんの借金返すんでしょ!」
「何を言っている。もう一勝負できる! うっひょひょーい」
「この社会不適合猫! ドケチ!」
美里と係長は夜の街道を歩いて帰った。
◆◇◆◇◆
シャク。
冷たい朝だった。
赤信号で待つ人々の中で霜の降りた街路樹の根元にいることも、仁科陽葵は気づかなかった。
赤いフィルムシートで手製のノートを隠したり見たりして、マフラーの中でブツブツ言いながら歩く。陽葵だけではない、周りの色々な制服の生徒も同じよう人が沢山いた。
『受験会場』
そう書かれた大きな立て看板がかかった正門を入り沢山の生徒が登校する。
見慣れない初めての講義室の中、受験番号を確認し席を探す。
高校の教室よりも広い部屋。
暖房はかかっているはずなのに、室内の空気は一層冷たく感じる。
「では、みなさん机の上にはシャーペン、鉛筆、消しゴムだけを置いてください。万が一何か落とした場合、手を挙げてくれれば試験官が拾いに行きます。万が一、気分の悪くなった人も手を……」
試験管の説明の中、陽葵は何度も両手を揉み咳払いをした。
問題用紙と答案用紙が配られる。
教壇で試験官が腕時計を見る。
「はじめ!」
ストップウォッチを押すカチリという音と共に試験官の声が響いた。
一斉に問題用紙をひっくり返す音が聞こえ、名前を書くカリカリとした音が響きだす。
ポキ。
「仁科陽葵」と書ききれず芯がいきなり折れる。
陽葵は苦々しく目を細めるが、すぐに折れた芯を手で払いシャーペンをノックして問題を解き始めた。
高い窓からの冬の光が試験会場の生徒たちを照らした。
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