第四章 be opposed 第九話 危機


 係長は取り囲んでいる白い猫達を見回した。

 暗いはずなのに白猫達は何故かよく見えている。先頭で取り囲んいる猫達の後ろにも猫のシルエットがいくつも重なって見える。

 数百、千匹はいるかもしれないと係長は感じた。


 「クロ。君は時代を間違えた」


 神木の上でナギが小さい声で呟く。

 その声が聞こえた係長はあたりをけん制しながら舌打ちをする。


 「またクロかよ。違うって言ってんのに、こんなに仲間集めてさ、よほど恨まれてんだなクロってのは」


 係長の恨むような発言にナギは薄笑いを浮かべる。提灯を静かに置くと、ボス猫は眼鏡を懐に入れナイフを持ち替えた。

 鋭い目つきが係長を見つめる。やはり感情を感じない冷たい目。

 生まれてこの方、喧嘩もしたことがない自分にあんな大きなボス猫に勝てるわけがない。係長はなんとか逃げる算段を考える。

 もう一度まわりを見るとか取り囲んでいる猫達はナイフを持っていないことに気が付く。

 係長は鼻をなめ、頭の中で考えを巡らす。


 (あの白猫達のギリギリの際まで思い切り走って勢いをつけてフルパワーで石段の方にジャンプするしかない。フルパワーなら2回ジャンプすれば石段までたどり着く)


 運よく石段まで届き、転げ落ちてでも下まで行けば、街灯があり多少は人も歩いているだろう。

 ここからでは、どれほどの猫の層が厚みを持って取り囲んでいるかはわからない。


 (一歩目の着地点に誰もいなければいいが……)


 だが、それ以外に方法が思いつかないかった。

 間違ってもあの暗い森に入ってしまっては、逃げ延びても出てこられる自信はない。


 ボス猫がドスドスと係長に向かって走り出した。大きいだけあってそんなに速くはない。係長は踵を返して一目散に取り囲む白猫達に向かって走った。


 「フ、」


 係長の靴と手袋のランプが赤色に点滅する。


 「フルパワーッ!」


 猫達の手前で係長は渾身のジャンプをした。


 白猫達の手前で係長は渾身のジャンプをした。


 「あぁ」


 だが上空に体が飛んだ瞬間、係長は絶望した。

 白猫達は参道をびっしり埋め尽くしていたからだ。係長の思っていたような数ではなかった。


 (着地の瞬間に二回目のジャンプさえ出来れば……)


 係長は歯を食いしばって白猫の群れのド真ん中に四つ足で着地した。

 落下の力を思い切り後ろ足にためて、フルパワーで再びジャンプした。

 だが数々の猫の爪や牙が係長のコートやスーツを捕まえにくる。二、三匹も共に宙に浮かんだが、勢いは完全に殺され係長は頭から地面に叩きつけられた。


 ひとたまりもなく瞬く間に、沢山の白猫に係長は取り押さえられる。

 ボス猫が、白猫たちをかき分けてやってきた。

 係長は全身の力を抜いた。


 もうこれ以上は無理だと悟る。


 何がどうなっているのか、よくわからない。

 ただ自分に似ているクロってヤツがとんでもない事をしでかしたに違いない。


 殺される。


 係長は目を閉じた。


 思い出したのは、なぜか美里の顔だった。

 さっきお腹にあてられた顔の感触。

 くろぉと呼ぶ声。

 自分が死んだら、また泣きじゃくるのだろうか。


 係長はふっと笑う。


 「なんで数日前に会ったばかりの人間の事を……」


 なんであんな変な女を思い出して心が温かくなるのか、自分が理解が出来ない。


 「みさと……」


 係長は思わず小さな声で呟いた。

 ボス猫が、係長の前に仁王立ちになりナイフを振りかざした。

 係長は目をつむった。


 その時、石段からフラッシュのようなライトが登ってくる。

 洋服のボタンについている@スピーカのライト機能だ。


 その光が白猫の大群を照らす。

 猫達が一斉にその人物に向かって顔を向ける。白猫たちの目が緑色に光る。


 「うわ。おっきい猫!」


 ボス猫はとっさにナイフをしまった。

 係長の瞳が大きく開かれる。


 それは聞き覚えのある声だった。


 「くろー。いるの? おかしいな絶対ここ登ったのに」


 その声は今の今まで思い出していた声だった。


 「あ、いた!」


 ライトのせいでその人間の顔はまだ見えない。


 大群の白猫の中を係長の元までやってくる。

 状況がわからず羽交い絞めにしていた白猫達は、慌てて係長から手を離し人間と係長から距離を取った。


 「もう真っ黒だからホントわかりづらい。くろってこんな所に住んでるの?」


 横たわった係長を美里は抱き上げた。係長は泣きそうな擦れ声を出す。


 「君は、バスに乗って帰ったはずだろ……何をやってるんだ。こんなところで……」


 「くろの家を突き止めようと思ってフェイントかけてみたの、えへへ。ずっと後つけてきたの気づかなかったでしょ。スゴイとこ来るからビックリしちゃったよ。てゆーかなんでこんなぼろぼろなの?」


 「子供が、こんな時間に……」


 「あたしもう十八歳だから成人なんだよ」


 美里はボス猫を怪訝な目つきで見る。


 「あのおっきな猫さん、友達じゃないよね」


 係長はハッとなって辺りを見回した。白猫の群れはおろか、ボス猫はまだ誰一匹も動いていない。神木の上のナギを見上げると、ワナワナとした怒りを持った瞳で美里を睨みつけているようだった。

 だが、人間とはいえこれだけの猫に襲われたら美里も無事では済まない。

 係長は美里の手を触った。


 「みんな友達なんかじゃないさ。君は戻りなさい。関係ない」


 美里の腕の中で係長くるっと周り腹を下にして、地面に降りる準備をする。


 美里はキョトンとした顔で係長を見つめる。


 「みんな? あのおっきな猫さん以外もいるの?」


 係長は驚いて美里の顔を見た。

 辺りは白猫だらけだ。というか猫がいすぎて参道の石道見えないほどだ。

 係長は美里の腕の中から改めて辺りを見回す。すると、驚愕で思わず口が少し開いた。


 よく見ると白猫の大群はみな、白く鈍い光を放っていた。


 そして中には猫の形を成していない『モヤっとした白い何か』であるものも混じっていることに気が付いた。


 「これは……この猫達は……」


 神木の上のナギを見る。

 考えてみればおかしかった。

 いくら猫が夜目が効くからと言って、この暗闇の中、あんな高い所にいる白猫が見えるわけがない。ナギはずっと白く微かに光っていたのだ。


 だがナギは機嫌の悪そうな顔をして、ずっとこちらを見下ろしている。

 『猫らしき何か』全員に緊張の空気はまだ張りつめている。ボス猫は神木のナギを チラチラと見て指示を仰いでいる様子だ。


 よくわからないが、躊躇はしている。


 (あの存在は、人間には手を出せないのかもしれない)


 係長は咄嗟にそう感じた。


 「悪いが、このまま石段の下まで連れていってくれるか」


 「え! 抱っこしてっていいの?」


 「いい!」


 係長は辺りを緊張しながら見回す。

『猫らしき何か』達は、じりじりとしながらも動かない。


 「やったー! あ、でも、もうすぐ来るよ?」


 「来る?」


 「うん。追い抜いてきちゃったから、約束してたんじゃないの?」


 「え?」


 その時、石段をもう一人登ってくる者がいた。


 「はぁ、はぁ、はぁ……」


 息を絶えだえ苦しそうだった。係長はその人物を見てまた驚く。


 「八津目さん」

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