第四章 be opposed 第八話 ボス猫
◆◇◆◇◆
「間にあうかな。融通してくれるのに遅れたら失礼だよな」
係長が@スピーカで時計を見ると十八時四十分をまわっていた。
昼間は自動運転車で来たので、スイスイだったが交通機関や徒歩の移動だと時間がかかる。スクリーンのマップを確認しながら四本足に切り替え、速足で移動した。
係長の進む先、そこには夜の空の中で真っ黒な山がそびえていた。その山の中心に昼に行った神社がある。遠目からでも石段を照らす灯りで神社は際立って見える。その先にボス猫と白猫ナギの待つ参道がある。
◆◇◆◇◆
カランカラーン♪
「あら、いらっしゃいませ」
普段、割とクールビューティーのような顔を見せているロストキャッツのマスターだが常連さんには、特別に砕けた微笑みを見せる。
扉を閉めると八津目はボーラーハットを取り。マスターの笑顔にニヒルな微笑みで答えた。
「今日も寒いねぇ」
八津目はいつものカウンター席に座りコートを脱ぐ。
マスターはさっとカウンターから出て八津目のコートとハットを受け取ると奥のハンガーにかけた。
「お寒い中、いつもありがとうございます」
「いやいやマスターの笑顔で温まるさ」
「八津目さん、係長さんみたいなこと言ってー」
「あぁ、彼はまだか。今日はちょっと約束をしてね」
「ここのところ仕事が忙しかったみたいですよ。夜勤もあるそうですからあの仕事は……」
「そうだね。プライベートはアレだが、彼は仕事は非常に真面目な感じだね」
「そうですね。何かお飲みになりますか?」
「うん。そうだな。今は温かいお茶をくれるかな。酒は後にするよ」
「わかりました」
マスターは電気ケトルに水を入れスイッチを入れた。
足元の冷蔵庫からお茶缶を取り出すと竹さじで急須に茶葉をいれる。お湯が沸くと湯呑に沸騰したお湯をいれ温める。数秒待った後、その湯呑のお湯を急須に入れ 沸騰したお湯を少し足し、温かくなった湯呑を八津目の目の前に置いた。
「君は、お酒だけじゃなくてお茶の入れ方も心得ているようだね」
「マスターですから。一通りは」
「プロというのは、どの世界もすごいものだね」
マスターは急須のお茶を静かに湯呑に入れはじめる。
湯気が緩やかに立ちのぼる。
「玉露でございます。熱くなっておりますのでお気をつけて」
「ふふ、見てればわかるさ。適温だよ」
八津目は一口お茶をすすると、頷くように湯呑を置いた。
マスターは、小皿に海苔のついた煎餅をのせ八津目の目の前に置いた。
「サービスです」
八津目は驚く。
「この店は煎餅まで置いているのかね、すごいな」
「いえ、これは私のオヤツですよ」
「ははは、そうかそうか。ではご相伴に預かろう」
八津目は太い指で煎餅を二つに割ると、白髭でどこにあるのかわからない口に入れボリボリと食べ始める。
そして、一口お茶をすすりながら店の入り口を見た。
八津目の視線に気づいたマスターはカウンターの奥で作業台を軽く叩く。
「いけない。伝言がありました。係長さん少し遅れるそうです」
「そうかね。仕事かな?」
「そうだといいんですが、昨日係長さん暴漢に襲われたって知ってますか?」
「ああ、知っているよ」
「昨日警察が事情を聞きにきて……、といっても私も店の外のことなので何も知らなかったのですが無事でなによりでした」
八津目は少しうつむいて口だけで微笑んだ。
「そうだね」
「なんかその件でボス猫がどうとかって言ってましたね」
八津目の大きな瞳が急に開かれる。
「ボス猫だって?」
マスターは電気ケトルのお湯を流しに捨てる。
「ええ、まぁちょっと話に出た程度で、私もよく……」
八津目の表情を見たマスターが驚く。
戦国時代の武将が、城に攻め込まれて怒りを隠せない。
八津目はそんな顔をしていた。
「すまん。ちょっと出てくる!」
八津目は急いで席から降りるとコートとハットを奪い取るように持つとさっと羽織る。
「あ、はい。お待ちしてます」
ドアを叩くように八津目は出ていき呼び鈴が乱暴に鳴り響いた。
八津目は繁華街に出ると駅のロータリーで並ぶタクシーに飛び込んだ。
「すまん。大猫神社まで頼む」
「はい? 大猫?」
「猫がいっぱい集まってる神社だ。知らんのか!」
「ああ、山の上の。テレビで特集された?」
八津目は胸元から万札を三枚も出すとアクリル板の隙間からねじ込んだ。
「急いでくれ」
それを見たドライバーが喜んで万札を手にする。
「は、はい!」
タクシー運転手は自動運転を解除し、アクセルを踏み込む。
煌々と明るい駅前ロータリーから八津目を乗せたタクシーは急発進して街道に向かった。
係長が長い石段を上り参道に着いた時、十九時を少し過ぎていた。
一日働いてきた猫の係長にとって、この石段はきつかった。
それでもあの神木のあるところまでは、あと少し歩かなければならない。
「はぁ、はぁ、つらい」
ふと横を見ると参道の途中に手洗い場があった。
ふらふらと手洗い場に近づくと。水が張ってあり係長に笑みがこぼれる。
冷たい水で少し喉を潤す。
「ふう」
ふと見上げると真っ暗な森がその奥には広がっていた。
冷たい風が木々を揺らしまるで大きな生き物のように見える。
都会で暮らす係長には無縁であり、初めて見る暗い森の不気味な雰囲気は、恐れを感じさせるには充分だった。夜目が効く猫とはいえこの暗闇の中で森に放りこまれたら出てはこれない。そんなことを係長は想像した。
水を飲んで少し体力が戻った係長は参道を急いだ。
「遅れて申し訳ありません。ナギさん。係長です」
やっとのことで神木の前まで辿りついた係長は、石造りの参道の上でへばって座りこんだ。
夜の闇に真っ黒なシルエットの神木の枝に、白猫のナギがぼーっと姿を現す。
まるで少し光っているように見える。
「仕方ないさ。仕事だったんだろう?」
ナギは枝から降りてこず係長を見下ろしていた。
昼間と全く同じ構図だ。
その時、本殿の方から薄暗いユラユラとした光が、係長に近づいてきた。
ロウソクが入った提灯だ。
持っているのはどうやら、昼間少しだけ遠くから見ることが出来たボス猫のようだった。メインクーン所長と同等に大きいので間違いない。
「ナギ様、こちらの方ですか?」
「あ、ボス猫さんですね。よろしくお願いいたします。私、介護のねこやでヘルパーをやっているモノな……」
係長は言葉を止めた。
その目を忘れることは無かった。
遠目から見たことと、眼鏡をかけて神主の衣装を着ていたので全く気が付かなかったが、目の前にいるボス猫は昨日、係長を襲った暴漢者だった。
ボス猫は提灯とは逆の手に鈍くひかるナイフを握っていた。
その切っ先に映る提灯のユラユラした薄いオレンジ色の光が、ボス猫の無表情の顔を不吉に照らす。
「あ、あのこれは、どういう……」
係長は後ずさりをした。
ジャリ。
石を踏む音がする。
係長の参道は切り出した大きな石がいくつも並んだ石道だが、その道の脇には白い丸石が沢山敷き詰められていた。
だが先ほどまで薄っすら見えていた白い石が見えない。
係長が目をこらすと、係長のまわりを数えきれないほどの猫たちが取り囲んでいた。なぜか皆、白猫のように係長には見える。
「う、うそでしょ……」
……ちょっと逃げられない。心の中で係長は呟いた。
何がなんだかわからないが対話でなんとかなる状態ではないようだ。
係長は無意識に四つん這いになり、しっぽを膨らませ、背中をたて耳を寝かせた。歯を食いしばり神木のナギを睨みつける。
ナギは全く表情を表に出さず、ただ冷たい瞳で係長を見下ろしていた。
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