第四章 be opposed 第七話 キレイな教科書

◆◇◆◇◆


  「はい、ニ百三番の方! こちらへどうぞー」


 その神社は山の上のあり、入り口の長い石段から境内まで沢山の色々な種類の悩める猫達が列をなしていた。


 本殿の方ではなく社務所の横に小さな猫マークの社務所がもう一つ併設され、そこに向かって列はならんでいた。係長は整理券を握りしめ背伸びをして中を伺う。数匹の係員猫が仕切る中、メイクーン所長と同格ぐらいの大きな黄色と黒のトラ猫が 小さな眼鏡をかけて立派な神主の衣装で、相談者と話している。


 「あれがボス猫……ボスっぽいわー」


 @スピーカで時間を見ると十五時を回るころだった。

 ちょっと立ち寄って話を聞いてもらうつもりだったが、これでは次の仕事に間に合わない雰囲気。通りすがりの箒を持った人間の巫女さんに話しかける。


 「あの、これどれくらいかかるんですかね? 聞いてもらうのに」


 「いや、私神社の巫女なんで、猫さんの方はよく知らないですけど、あなたの並んでる場所だと明日じゃないかしら。その整理券三日間くらい有効なんですって。ボス猫様はとにかく真摯に聞いてくれるから話が長くなるのよね」


 「明日?! そ、そうですか」


 「ええ、緊急じゃないかぎり次の日に来る猫さんの方が多いですよ」


 「はぁ」


 そういうと巫女さんは本殿の方に行ってしまう。


 係長は唖然とした顔で列から離れ整理券をポケットにしまった。


 「まぁ警察には届けてあるし、相談と言っても恐いってくらいだしなぁ」


 独り言をつぶやきながら駐車場に向かって四足歩行で参道を歩く。

 参道は大きな樹が並んでおり、係長はこういう場所は酸素が濃く元気が出る気がした。途中、しめ縄の巻かれた大きく太いナギのご神木があり、係長は思わず見上げ深呼吸を数回して、再び駐車場に向かって歩きだした。


 「おや、そなたはクロではないか?」


 係長は足を止めもう一度ご神木を見る。

 するとかなり高い高い大きく太い枝の上から、真っ白な猫がトグロ巻いて寝ながら、係長を見下ろしていた。


 「クロ違いじゃないすか? クロなんて黒猫は沢山いますから」


 係長は、素気なく答えた。美里にだけではなく、本当によく言われるからだ。


 「そうか、あまりに似ていたものでつい」


 「それでは……」


 「そなた、何か困ったことがあるのかい?」


 「いえまぁ、なんか変な猫に襲われたのでボス猫さんならなんかこう、裏から上手くやってくれるのかなとか思いまして、人間世界に入りすぎたせいか猫界のことをあまりに知らないもので、ちょっと準備不足でした」


 「襲われた? それは昨日の繁華街のことかな?」


 「そうです。あなた何か知ってるんですか?」


 白猫は枝の上で急に座りなおし、少し沈黙した。


 「今日の夜……そうだな十九時くらいにまたココに来なさい。遠藤、いやボス猫になら私から繋げてあげよう」


 係長は驚いて白猫を見上げる。


 「え、本当ですか? たすか……」


 『明日、ロストキャッツで会おう。これは貸しだよ係長さん』


 助けてくれた時の八津目の言葉を思い出す。

 白猫の申し出は、またとない機会なのだが、八津目の約束も消して軽んじられるモノではない。彼は命の恩人なのだ。


 「あの、そんなに長い時間かかりませんか?」


 「それは、そなた次第じゃないか?」


 「私はナギ。君は?」


 「私は、介護のねこやの係長です」


 「そうか 係長くん。待っているよ」


 そう言うとナギは、どこか奥の枝に移っていった。


 「やった。ラッキー」


 係長は、その場で耳の@スピーカを触ってスクリーンを開き、ロストキャッツに電話をかける。


 『はい、ロストキャッツです』


 「あ、マスター。私、係長です。今日八津目さんと夜に店で約束していたんだけど少し遅れそうって伝言頼めるかな」


 『かしこまりました。それより係長さん昨日、大変だったんですって?』


 「そうなんだよ。それがらみでボス猫にさ、いや店で話すよ」


 『かしこまりました。お待ちしております』


 「よろしく」


 係長は@スピーカの通話機能を切った。


◆◇◆◇◆


 授業の終わるチャイムが鳴り響く。


 「おい」


 美里は夢中でノートに何か書いている。


 「みさと、六条坂美里!」


 先生は、チャイムが鳴ったにも関わらず席を立たない美里に声をかける。

 美里はまだノートに一生懸命何か書いている。先生の呼びかけにやっと気づき目線を上げる。


 「お前、なに一生懸命書いてんだ」


 「えー。先生これは仕事のアイデアです。じゃーん」


 美里がノート見せると、五十音字表が美里の芸術的な文字で書かれている。


 「じゃーん。てなんだお前、これコックリさんでもやるのか」


 「ちがいま……こっくりさんてなんですか?」


 「コックリさんていうのは……いやどうでもいい。今、数学の授業だぞ」


 「あ」


 慌てて数学の教科書をパラパラめくる。

 先生はため息をつく。


 「お前、三年のこの時期でキレイな教科書だなぁ」


 「いやぁ、えへへ」


 「褒めてねーし」


 キョトンとした美里の表情に先生は思わず吹き出す。


 「まぁいいよ。今日の補習は終わりだ。帰っていいぞ。でもな言っとくけど試験は試験だからな。あんまり点数低いと留年するぞ」


 「はーい」


 先生は教壇に戻って自分の教科書を持つ。

 美里は立ち上がって教科書とタブレットをカバンに入れる。


 「六条坂」


 先生は教室の入り口で立ち止って美里に声をかけた。

 美里はカバンを肩にひっかけて止まる。


 「門外漢だからたいしたことは言えないが、お前きっと向いてるよ。介護、がんばれな」


 美里は照れながら満面の笑みになる。


 「はい!」


 先生はニコッとして廊下に出て行った。


 「もんがいかん? よくわかんないけど褒められた。えへへ」


 鼻歌を歌いながら美里は教室を出た。


 校門を出るとすでに夕方も終わりかけだ。

 辺りの家は灯りを点けはじめている。


 @スピーカで時間を確認すると16時半を回ったところだった。


 美里は何か思いついたように、ニコリと微笑み、大きく息を吸いこむとと薄暗闇の道を、駆け出した。


◆◇◆◇◆


 係長が事務所に帰着したのは十七時を回った頃だった。

 夜勤以外のほとんどの猫は残業をしないよう慌ただしく仕事をしている。はやく仕事を終わらせた順に一匹、また一匹とタイムカードを打っていく。


 退勤した猫達に挨拶をしながら、自分のデスクに向かうとメインクーン所長が夜勤のアビシニアンと係長のデスクの上で話をしていた。所長の体の大きさでは机の上はせまい。


 「あ、お疲れ。係長」


 「戻りました。なんかありました?」


 係長がデスクの上に乗るとタブレットを操作している後輩のアビシニアンがメールを係長に見せる。


 「係長、グリーンガーデン、コロナで2週間閉鎖っす。」


 「え? デイサービスの? あれ明日から田中さん行く予定じゃ」


 「そうよ。だから予定が急に変わったの。最近ホント多いわよね。田中さんは明日、美里ちゃんと篠原さんの前に行ってね」


 係長はため息をついて返事をしようとすると、机の下からヌッと人間の手が飛び出て係長の腰を掴んだ。


 「ひゃ!」


 係長が変な声をあげると机の下から隠れていた美里が出てくる。


 「了解です。しょちょー! 私がしっかり、くろを連れてまいります」


 「な、なにやってんだ君は!」


 腰を掴んだ美里の手を必死に猫パンチで剥がそうと連打する。所長とアビシニアンは笑いながら係長をなだめる。


 「まぁまぁ、ずっと待ってたんだから。ちょっとくらい触らせてあげなさい」


 「所長! それは! それは猫として権利を主張してですね。断固拒否する時は拒否しないと、いつまで経っても人間は猫を……」


 「しょちょう。ツモってなんですか?」


 言うまでもないがツモは麻雀用語である。


 係長は固まった。


 「つも? なにそれ」


 係長は両手で若干ツメを立てながら、美里の頬っぺたをはさんだ。


 「ろ、六条坂くん。ツモじゃなくてツメだねぇ? なんだいその先を言ってみるかい? 私の全力を見たいのかい? んん?!」


 美里は顔を引きつらせながら係長のしっぽの付け根を逆なでするように撫でる。


 「ひゃい!」


 係長の体に電気が走ったようにビクっとなって手の力が抜ける。その隙に美里は係長の手を退けてお腹に顔を埋める。そして制服をこじ開けモフモフのお腹の中で深呼吸を始める。


 スーハ―、スーハ―、スー、ハァ、ハァ……。


 明らかに息づかいが荒くなっていく。


 「やめて、やめてー!」


 地獄絵図のような光景にメインクーン所長と後輩のアビシニアンは生唾を呑んだ。


 「はー。くろ成分接種完了♡。癒されるわ~」


 満足そうにつやつやの玉子肌みたいになった美里は力が抜けた係長を机に置く。ブラインド越しの窓から街道にバスが信号待ちしているのが見えた。


 「じゃぁ名残惜しいけど、バスが来たから今日はもう遅いから帰ります。 くろ、明日またね♡」


 そう言うと美里は元気よく事務所を出てバス停に向かって走って行った。係長は乱された衣服のままぐったりして腹をみせて動かない。白目になっている。


 「いやぁ、あそこまでとは」


 「変態っているんですね」


 所長と後輩のアビシニアンは係長に向かって首をもたげた。


 停留所にバスが来る。

 降車を待つ乗車の列の中で、美里は何かに気が付いて顔を上げた。


 「あ、見せるの忘れた」


 スカートのポケットの中から、折り畳んだ紙を取り出す。だが、すぐに折り畳んでポケットにしまった。


 「ま、次でいいか」


 そう呟くと@スピーカでスクリーンを出し、レジ袋姿の係長を眺めながらニヤニヤしはじめる。


 乗車を完了すると、バスは駅に向かって走りはじめた。

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