第四章 be opposed 第六話 陽葵とおじいちゃん
◆◇◆◇◆
保育所の大きなカートに入った幼い子供たちが、エプロンをした女性数人と横断歩道を渡っていた。
街道の赤信号で止まった自動運転車の中で、係長はその光景をぼーっと見ていた。だが、係長の脳裏に映っていたのは目の前のほのぼのとした光景ではなく、昨日の普通の生活では見ることもないナイフの鈍い光だった。
「物盗りじゃない?」
朝、出勤してから昨日の事をバーミーズの吉田さんに話すと、彼女はすぐにそう言った。
「ここ数年で猫界は急に色々変わったからね。ついていけない子たちも多くいる。暗い方向に行っちゃったヤツなんじゃない? 怖いわね。あたしも気を付けよう」
その後、メインクーン所長が着替えて入ってきたので同じ話をする。
「そう、私も物取りだと思うわよ。係長はスーツ着てるしお金持ってると思ったんじゃない。まったく逆なのにね。ははは」
「まぁとにかく、警察も見回ってくれてるんだし忘れるんだね」
「そう、ですね」
所長はデスクに戻ると手書きでメモを取って係長に渡した。
「もし猫界隈で、どうしても困ったらココに行ってみなさい。一応ここいら辺を取り仕切ってるボス猫さんだから」
「ボス猫? そういうのまだいるんすか? かえって怖いんですけど」
「違う違う。人で言う市長さんみたいな存在よ。今のボス猫は、これからの猫界と人間との関係を話し合ったりする、どっちかって言うと政治家よ。うらぶれる猫が出ないように不良猫の面倒も見てるって話だからね。人間のルールでは解決しないようなことはココで解決できるって話よ。猫界はまだまだ未発展だからね。こういう猫も必要なのよ」
「へ~。知らなかったです」
「あたし、子供が八匹いるじゃない。子育て中に働きたいって困ってたら、他にもそんな猫の話を集めて猫の保育所を作ってくれたのもここのボス猫」
「なるほどー」
係長はポケットから、そのメモを取り出す。
メモには住所が書かれてあり、@スピーカで写真を撮るとマップが出た。
現地の映像がスクリーンで出る。
「神社?」
そこには、大きく立派な鳥居が映っていた。
ガクンと係長がバランスを崩す。青信号で自動運転車が動きだしていた。
◆◇◆◇◆
くまのぬいぐるみが飾ってある本棚。
そのほとんどが、漫画のコミック、週刊誌も何冊も並んでいる。
壁にはアニメのおおきなポスターがある。
カリカリとシャーペンの音が部屋に響く。
部屋の様子と違い机の棚には参考書と大学の過去問、そして公務員試験の参考書が並んでいる。
「ふう」
陽葵はひと息つくとシャーペンを置き、問題集の解答ページを開く。赤ペンに持ち替えノートに書いた答えを採点していく。
〇もあるが×もある。
採点を終えると、赤ペンで頭を掻きながら大きなため息をつく陽葵。
椅子に思い切りよりかかり天井を見る。机の端に何冊も重なっている参考書の山を見る。陽葵はその参考書の山をずらして、一番下の本を取る。
それは、参考書ではなく、少年漫画の週刊誌だった。日付は、去年の夏ごろ発行のものだ。陽葵はおもむろにページをめくる。
そこには、月間賞の審査結果がのっていた。
『砂ホコリのマクラン』 ひなた
大賞の名前だ。
◆◇◆◇◆
「言っておくが、食っていけないぞ」
両親に漫画の賞をとった話をすると、両親は最初はすごいと言ってくれた。
だが、現代の漫画家がどれだけ食べれず単行本を出せても、ずっとその世界で生きていけないことを、とうとうとデータと沢山の例を出して説明された。
「陽葵、反対しているわけじゃないんだ。でもね。その歳でやる事、少しずつ積み重ねていく事というのが後でどれだけ差がつくか、今の君にはわからないと思う。悪いことは言わない。今は人生をちゃんと設計して
それが両親の答えだった。
「大学に行くなら援助する。だが作家をするなら全部お金は自分で工面しなさい」
それを言われて、すぐには陽葵も受け入れず反発した。
だが、両親の言う通り、売れずに長い間バイトに明け暮れて生活に疲れ、いつしか漫画も嫌いになる。そんな未来は容易に想像出来てしまう。
陽葵の反発は徐々に弱まった。
「陽葵、面白がられる人生を送っちゃだめだ。」
両親、とくにお父さんの考えの根底にはお爺ちゃんの人生があった。
お爺ちゃんは自由な人であった。
学生時代にバンドをしていてCDデビューするも、メンバーとケンカし、すぐに解散。写真に目覚めて、カメラマンを志しスタジオでアシスタントをするもモデルをしていたお祖母ちゃんに手を出して上司に激怒され辞職。コーヒーが好きで豆から挽く喫茶店を出すも、軌道に乗らず。生食パンに感動しチェーン店に申し込み小さなパン屋を出すもブームはすぐに終わり……。最後はバイクに乗るのが好きだったと、食事の配達員を長い間やっていた。
家はいつも火の車。生活費は亡くなったお祖母ちゃんがほとんど稼いでいたという。そしてお父さんは、そんなお爺ちゃんを見て公務員になった。
「だってあの人見ていて面白いでしょう?」
陽葵が小さい頃、それは生前のお祖母ちゃんがケラケラ笑いながら言っていた言葉だった。三年前に脳卒中で倒れたお爺ちゃんは寝たきりになり、陽葵の家にきた。もうその時には、まともに話せない状態になっていた。
一緒に住んだこともないお爺ちゃん。あまりちゃんと話したこともなかった。
だからお爺ちゃんがどんな人なのか―――。実際のところ、よくわからない。
だが、陽葵はお爺ちゃんのことが好きだった。
陽葵の中では、上手く言えないが『魅力のある人』なのだ。
◆◇◆◇◆
「面白がられるってっ悪いことなのかな」
陽葵は少年誌を閉じ天井の木目をぼーっと見る。
その時、一階のインターホンの音が聞こえた。
「どうも、介護のねこやでございます」
陽葵が靴をはかずに手を伸ばして玄関のドアを開けると、係長が顔を出し軽く会釈をする。
「あ、どうも」
「こんにちは、お邪魔します」
係長は靴に室内用のカバーをかけ、玄関を上がるとスタスタと仁科さんのベッドの部屋に向かう。
二本足で歩く猫に改めて陽葵は見入った。陽葵は、なんとなく係長についていった。
「係長さん。猫ってどうやって2本足で歩いてるの? もともと4足歩行でしょ? 腰とか辛くないの?」
係長は、ジャンプしてドアノブを開けると、チラッと陽葵を見る。
「この手袋と靴に支配的反発磁力装置というのが入っていまして、簡単に言いますと磁石の反発で力を生み出し2足歩行や力作業を行います。リニアの原理ですかね? まぁ多少疲れますよ。もともと猫背ですから」
「へ~」
仁科さんの部屋に入ると、係長はひと蹴りでベッドに登った。
陽葵は一緒にベッドに近づき、眠っている仁科さんの肩を触った。
「お爺ちゃん。ヘルパーさん。今日もキレイにしてもらおうね」
大きな声で仁科さんに話しかける。係長は陽葵の顔を見て、また会釈をした。
「ありがとうございます。ただ、そんなに大きな声を出さなくても聞こえていますから」
「あ、そうなんだ……ですか?」
陽葵は肩をすくめて一歩引いた。
もう一度、係長は囁くように仁科さんに声かけをすると、ベッドから飛び降り陰洗ボトルを掴んで洗面所に向かった。
陽葵はリビングの椅子に背もたれを前に座り、係長の仕事をなんとなく見る。
お湯を汲んできた係長はオムツやおしり拭きシート、ごみ入れ用の袋を持って再びベッドに上がる。
「作業をはじめるのですが……」
「どうぞ。ちょっと見学してもいいですか?」
係長は陽葵の顔を一旦見て、仁科さんの顔を見る。
「まぁ、家族だから大丈夫か」
そう呟くとリモコンでベッドの角度を平らにし、ズボンをずらし排泄作業を始めた。陽葵は背もたれに肘をのせ頬杖をついて、改めて係長を見つめる。
「やっぱ似てる気がする」
「はい?」
もくもくと排泄作業をする係長。
「くろ、に」
「ああ、六条坂君の“くろ”さんですね。会ったことがあるんですか?」
「はい。小さい頃に。美里は全然覚えてないみたいだけど、私と美里は幼稚園一緒なんです。その頃に一度だけ遊びに行ったことがあって、その時に」
「まぁ、猫ですから同じように見えても仕方ありませんね」
「まあそうですよね」
陽葵はくすっと笑うと係長はチラッと陽葵を見る。
「いや、ごめんなさいホント。私の世代は猫に敬語使うのなんか変で、アハハ」
係長は作業をまた始めた。
「そうみたいですね。大丈夫ですよ。大半の人間の方はまだそうです。当たり前ですよ」
係長はキレイにし終わったお尻にまたオムツをあて始める。
「係長さんは、なんで介護にしたの仕事。まったく他に選択肢がなかったの?」
係長は仁科さんにズボンを履かせながら、フっと笑う。
「なるほど。あなたですね、六条坂に介護を反対してるって子は」
「え、あいつそこまで話してるの?」
「それは、こっちのセリフですよ」
陽葵は吹き出す。
「ああ、レジ袋ねーハハハ」
係長は仁科さんに声をかけると、使用済のパッドの入ったゴミ袋と陰洗ボトルを持ってベッドから降り洗面所に向かう。だが、陽葵の横で立ち止った。
「介護がやりたいって、そんなに変ですか?」
その言葉で陽葵はハッとなって口を手でつぐんだ。
「そうですよね。私、すごい失礼なことを」
「いや、いんですよ。お若いから色々な考えをお持ちなんでしょう。そうやって学んでいくものです。私はあなたの友達じゃないから一言だけ、人も猫もいろんなヤツがいます。それだけです。」
陽葵は係長を見つめた。
「係長さんて何歳だっけ」
「猫年齢で四十歳ですが」
「人間の年齢だと?」」
「六歳です」
思わず陽葵はププっと笑う。
「なんですか? 猫なんだから猫年齢で考えてくださいよ。まったく人間てやつは……」
係長はプンスカしながら洗面所に向かった。
◆◇◆◇◆
「では、お邪魔いたしました」
「どうも、またよろしくお願いします」
係長は会釈をして玄関を出た。
陽葵は、玄関が閉まるのを見届けるとキッチンに生き冷蔵庫からお茶を出してコップにそそぐ。そのまま先ほどまで居たリビングの椅子に座る。
係長の会話を思い出し、ごくごくとお茶を飲むとお爺ちゃんをぼーっと見つめた。
「いろんなヤツかぁ……美里は確実に面白がられる方なんだよなー」
ぽつりと呟いた言葉が静かな部屋には妙に響いた。
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