第四章 be opposed 第五話 受験組
◆◇◆◇◆
その夜。
係長はバー『ロストキャッツ』の扉の前にいた。
ドアベルが鳴らないように、そっと少しだけ開けて中の様子を見る。マスターは テーブル席に飲み物を運んでいて、カウンター席にちらほらと猫の客はいたが八津目は居ないようだ。
一旦ドアを閉め係長は指を折り、数える。
「八津目さんとポーカーやったのって何回だったっけ? もしかして九回ってイカサマ九回とかそういう意味かー?」
係長は腕を組んで入り口のドアに寄りかかっていた。
すると繁華街から漏れる光で出来た、誰かの長い影が係長の足元に伸びてきた。
係長が顔を上げ影の持ち主をチラッと見る。
猫だ。
それもかなり大きな猫だった。真っ黒なパーカーでフードを被った大きな猫が路地裏の入り口で係長の方を見て立っていた。
ブルーの瞳がフードの中で光っている。しっぽの柄はトラっぽいが、顔は見えない。ロストキャッツの客かと思い係長は、邪魔にならないように扉から離れた。だが、その猫は扉ではなく係長の方につま先を変えた。
「?」
ゆっくり二本足で歩いてくる猫。
「なにか用で……!」
係長は尋ねようとした言葉を飲み込んだ。
その猫がナイフを持っていたからだ。
男は少しずつ距離を詰めてくる。係長は恐怖ですくんだ。
この路地裏の奥に逃げても、変電所の高いフェンスで行き止まり。
「な、なんだ君は!」
どうしていいかわからず、とりあえず猫用手袋を最大限大きくして、パワー設定をフルにする。
トラ猫が係長に向かって走りだした。係長は目をつむって両手を突き出した。
ドスっと鈍い音がする。手袋を貫通しナイフの切っ先が係長の鼻の上まで達していた。
「うわ!」
係長は慌てて手袋を脱ぎ捨て、路地裏の奥に逃げる。猫は、必死に手袋からナイフを抜くとすぐに係長を追った。後ろを振り向くとナイフを持ったトラ猫がすごい速さで近づいてきた。
やばい! 係長が思ったその瞬間。
後ろを向きながら走っていた係長は何かにぶつかった。
「おや? 係長さんじゃないか」
それは金の懐中時計を見ながら立っていた八津目だった。高齢とはいえその体は人間の中でも大きな方だ。
「や、八津目さん! ちょっと助けてくれませんか。変なのに追われていて!」
八津目は、ナイフを持った大きなトラ猫が視界に入り顔つきが変わる。
「何をやらかしたのかね」
「わかりませんよ! わたしゃ全うに生きてます」
「ふふふ。まっとうか」
八津目は金時計をズボンのポケットにしまうと、コートを脱ぎ腕にぐるぐると巻き付け始めた。
「係長さん。この子は私がなんとかしよう。私の肩を踏み台にすれば、後ろのフェンスを越えられるかね?」
八津目を見ても
「ちょっと運動不足なのでわかりませんが、となりの壁でワンクッションおけばなんとか」
八津目は真冬で黄色くなっている変電所のフェンスの奥の芝をチラッと見た。
「変電所の中をぐるっとまわり、通り沿いのほうに出れば猫なら通り抜けられるほどの隙間があるそうだよ。とおりに出たら警察に連絡しなさい」
「八津目さん、だ、大丈夫ですか? ホントに?!」
「ああ、あんな小さなナイフで人間は殺せない。明日、ロストキャッツで会おう。これは貸しだよ係長さん」
トラ猫は話を聞いたのか。切っ先を向けてスゴイ速さで係長に向かって走りだした。係長は慌てて八津目の肩に乗ると、八津目は背筋を伸ばすように係長を上に押し上げる。その勢いに係長は思い切り、ジャンプし壁を蹴り高いフェンスを飛び越えた。
空中でなんとか体制を立て直し四本足で着地するも、お腹をすこし打つ。
「痛つつ、ありがとうございます!」
係長はそう叫ぶと、一目散に変電所の中を走り出す。
八津目はそれを見ると、トラ猫に同じ事をさせないよう壁から離れる。
キジトラの鋭い目が八津目に向けられる。
「おや、やる気かね?」
八津目もトラ猫を睨みつける。出かたを待つ両者は、その場で動かない。
八津目の視線がキジトラのナイフに映っていた。
◆◇◆◇◆
とおり沿いに出て、隙間からなんとか這い出た係長は近くの交番に飛び込んだ。
事情を説明すると、奥からもう一人警察官が出てきて@スピーカで連絡をとり始める。最初に対応した警察官はすぐに飛び出し現場に向かう。二十分程で二台パトカーがやってきて、交番の警察官と話はじめた。
パトカーから降りてきた警察官が無線で話しながら、交番のデスクの椅子に座っている係長に近づいてきた。
「現場にはもう誰もいないそうです。だがあなたの言った通り、人間の足跡と猫の靴らしき小さな足跡がたくさんあったとのことです。念のために再度聞きますが、恨まれたり妬まれたりすることに心当たりは本当にないんですね?」
「あ、ありませんよ! ただのどこにでもいる労働猫ですよ。私は!」
「そうですか。とりあえず今日は自宅までお送りします。警戒態勢を強めますのでご安心ください。何か思い出すようなことがあればご一報ください」
「ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
係長はパトカーに乗り込み自宅へ送ってもらう。道すがら警察官が係長に話してきた。
「最近は人も猫も不景気ですからね。いろんな輩が増える。特にこの街は昔から駅前が発展してるからね。あぶないヤツも歩いている。用心してください」
「は、はい」
係長はパトカーの窓から夜の景色を眺めつつ、八津目の顔を浮かべていた。
◆◇◆◇◆
学校の古いスピーカーからチャイムが鳴る。
時計は十二時半を示していた。
「はい、今日の授業はここまで。ホームルームはしないから帰っていいぞ。十七時までは教室で自習しても大丈夫だ。わからないことあったら職員室まで聞きにきなさい」
先生はそういうと手を挙げて教室を出ていく。
先生が扉を閉めた途端にガヤガヤと生徒同士が話し始める。美里や陽葵の仲良し四人組も早々にカバンにタブレットや教科書を入れる。
「陽葵はいつだっけ受験」
友達の1人がカバンを肩にかけながら席から立ちあがり、陽葵に近づく。
「来週から。八日と十四日かな。碧は?」
「あたしも同じ日だわ。莉子は?」
「私は八日だけ」
「あんたセンター良かったんだもんね。余裕じゃない?」
「そんなわけあるかー」
三人はふっと同じタイミングで美里を見る。美里はキョロキョロしながら微笑む。
「何?」
三人の表情がほころび、一人が美里の肩を抱く。
「なんでもない。受験しない美里が羨ましいだけよ」
「あー。今すこしバカにしたでしょ。解るんだからね、そういうの」
肩を抱いた友達が慌ててとりなす。
「してない。してない。やりたい介護の仕事するんでしょ? 大学行ったって経験積むの遅くなるだけじゃん。正しい選択だと思うよ。でも受験のない美里はやっぱり羨ましいの」
「ふーん」
美里はその友達の頬っぺたをつねる。もう一人の友達はケラケラ笑っている中、陽葵はじっと美里を見た。
「美里って、ホントに介護がやりたいってことなの?」
美里はニコニコしながら答えた。
「こないだ言ったでしょ。私は向いてる仕事がしたいからって。だからまだ分からないよ。でもくろを見て、利用者さんと接して、いい仕事だなぁと思ってるところ」
「だって、美里から今まで介護なんて言葉一度も聞いたことないじゃん」
陽葵の瞳は、真剣に聞いていた。
「受験から逃げたんじゃないのね?」
確信をついた陽葵の歯に衣着せぬ言葉に、友達二人は驚いた顔に変わる。美里は陽葵から目線を外し、眉を寄せしばし天井を見る。
そして陽葵を見つめ、堂々と答えた。
「それは、ある!」
「「「なんじゃそら!」」」
陽葵と二人の友達は同時に美里に突っ込んだ。
「でも、あたしには譲れない絶対のルールがある」
美里の真剣な眼差し。三人は息を吞みながら、美里に注目する。
「私は、くろを愛でて生きていく」
デレた表情に変わる美里。発言を聞いた三人の肩の力が抜けていく。
「コイツほんとやばい」
「帰ろ、もう帰って勉強しよう」
陽葵もくすっと笑う。
「ごめんね。これ以上はもう言わないよ」
陽葵と二人の友達は教室の出口に踵を返した。
「陽葵。今日もたぶん、くろが行く予定だったと思うからよろしくです」
陽葵は美里の方に再び振り返る。
「あ、そうなんだ。よかったら来る? くろちゃんに今日も会えるよ」
「願ってもないですが。あたくし別の教室でインターンで補えない分の補習がありまして」
「そっか。頑張ってね」
また、出口のほうに向き直す陽葵。
「陽葵」
陽葵は美里のまたまたの声替えに顔だけ向ける。
「ありがとう」
「……」
陽葵の口元がゆるむ。
そのまま振り返らず軽く手をあげて、陽葵は教室を出ていった。美里は教室に残り窓の外を見る。
「くろ、今頃なにしてるかなー」
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