第四章 be opposed 第四話 陽葵んチ
「やっぱ陽葵だー! なんか住所近いって思ってたの!」
美里と陽葵は両手同士をがっちりつかみ合い顔を近づけてテンション高めに笑いあう。
「あー知り合いかね?」
係長は二人の顔を見る。
「クラスメートなの。くろ、こちら陽葵ちゃん。陽葵ちゃん、こちらくろ。じゃない係長さん」
陽葵は吹き出して笑いだす。
「くろって、もしかしてレジ袋の?」
係長はビックリして目を丸くする。
「こらっ、陽葵。しぃー」
美里は陽葵の口をふさごうとするが、係長の表情は険しくなる。猫用手袋から爪を出して思い切り美里の足首を思い切り掴む。歯を食いしばりながら、目だけ笑って話し出す係長。
「六条坂君、あとで話があるんだがぁ?」
「いーたい痛い痛い、ごめんてば!」
足を抑えてしゃがみこむ美里。陽葵は爆笑し涙をぬぐいながらドアを固定して玄関に招く。
「あはは、どうぞ。おじいちゃんの訪問だよね」
係長はピシッと制服の襟を正し、キリっと仕事モードの顔になり玄関に入ると靴にカバーをかけ、手すりのある廊下にあがり進んでいく。片足をぴょんぴょんしながら、苦い顔をした美里が続く。
「陽葵はくろ……係長は初めてなの?」
「そうだよ。だっていつも学校で一緒にいるじゃん。ほらもう三年はほとんど受験モードだから今日も午前授業なんだよ。美里はインターンだからそういうの無いでしょ? 何時まで?」
「くろを家まで送っていくまで」
美里が前の係長を見ると係長は振り返らず頭をふる。
「十六時半に事務所に帰ります。君はそこまで。家まで付いて来ないでよ」
廊下の奥のガラス戸を開けるとキッチンとリビングがつながった部屋になり車いすが動けるよう透明で厚手のフィルムが貼ってある。リビングの更に奥の部屋の引き戸を陽葵が開く。
そこには電動ベッドの上で昼のワイドニュースを見る陽葵の祖父、仁科さんが背中が上がった状態で座っていた。係長と美里を見るが表情は硬いまま動かない。右手の拳を、お腹の上で巻くように置いてあり左膝を立てている。
陽葵はベッドに近づき、仁科さんの耳元で大きな声を出した。
「おじいちゃん。ヘルパーさん。この子あたしのクラスメート。どうきゅうせいっ! わかる?」
陽葵の大きな声かけに仁科さんは大きく頷く。
「わかってるのかなぁ、ほんと。じゃあよろしくお願いします」
陽葵は小さくため息をついてベッドから離れた。
係長はちらっと陽葵を見た後、一息でベッドに上がると会釈して普通の声で挨拶をする。
「こんにちは仁科さん。今日はインターンの子を連れてきました。どうも偶然にもお孫さんと同級生みたいです。よろしくお願いします」
紹介され美里も近づいて挨拶をする。
「六条坂美里です。よろしくお願いします」
仁科さんは何も答えず、じっと美里を見て会釈した。
「あれ、このひと……」
美里が振り返ると陽葵はもういなかった。
「ひなた?」
「いいんだよ。排泄介助もするから、家族も気を使って出ていくケースも多いんだ」
「うん。まぁ……そうか」
係長はベッド上から部屋の隅にある紙袋に指をさす。
「陰洗ボトルにお湯入れてきて。ちゃんと触って人肌の温度にしてきてください」
※陰洗ボトルは排泄に使う陰部を洗うようにお湯を入れるボトル。キャップに穴が開いていてそこからお湯をだす。
「はい」
美里はボトルを持ってキッチンに向かう。
「洗面所だよ。キッチンはだめ」
「あ、そうか、はい」
廊下に出ると洗面所から陽葵が手招きしていた。美里が洗面所に入るとすでに温水が蛇口から出ている。
「ウチ、温かくなるのに時間かかるから、出しておいた」
「ありがとぉー」
美里は蛇口のお湯を触り、温度を確かめてからボトルにお湯を汲む。
「美里、介護って大変だよ」
陽葵は流れるお湯を見ながら呟く。美里はなんと答えていいか分からず、ただ微笑みだけを陽葵に向けて洗面所をでた。
仁科さんは、排泄、着替え、清拭、食事、服薬の介助だった。
係長の声かけにたまに反応するも、発語はほとんどせず、たまに頷いたり首を振ったりしている。美里は介助を手伝い、見学しながらじっと仁科さんを見つめていた。
ふと、仁科さんの目線に美里は気づいた。
介護ベッドの前の壁に額に入った絵。それを、じっと仁科さんは、見つめていたのだ。その絵はすぐに仁科さん肖像画だとわかる程、上手な漫画風の絵だった。絵の下には、“にしな ひなた”と子供の字でかいてあった。
◆◇◆◇◆
美里と係長が玄関のドアを開けると、すでに夕方になりつつあった。
「ありがとう。明日もインターン?」
「ううん。明日は学校」
係長は一礼して先に車の方に向かう。
「美里……」
「ん?」
「お爺ちゃん、他の人と比べてやっぱり大変?」
「え? いやそんなことないと思うけど」
廊下のドアが開いていて仁科さんのベッドが少し見えている。陽葵は仁科さんの方に少し振り返る。
「昔は、すっごく威勢のいい元気な人だったみたいでさ。いろんな事好きにやって、いつだって自分の自慢話にしちゃう人だったの。それが倒れてからは、何を言ってるのかもわからない、理解してるのかも分からない人になっちゃって」
「陽葵……」
「いやお父さんがね。よく言うんだよ。好きなことばっかりやってちゃダメだってさ。お爺ちゃんみたいになる前に将来設計しっかり立てろって。なんかお爺ちゃん老後のお金とか全然残ってないみたいでね。一緒に住んでなかったから知らなかったんだけど、私もなんとなくそういうの大事かなって思うし」
「だから公務員?」
「そ。良かったら美里もどう? 高卒でも六月願書で九月試験のがあるの。美里も今からなら充分間に合うって」
美里は目を丸くする。
「陽葵、もしかしてそれ昼休みに聞きにいったの?」
「ん、まぁ。もしかして美里知らないかなって思って。先生に裏を取りにっていうか。まぁ私は一応、大学行ってから受けるつもりなんだけど、受験ダメなら私も秋に受ける……て、コレ昨日学校で言ったね」
美里はにっこりして陽葵の手を取った。
「ありがと。でも大丈夫だよ。とりあえず介護頑張ってみる」
「本当に? 大丈夫?」
「もう、しつこいな。それよりベッドの前にあったお爺ちゃんの漫画。すごい上手いね。あれいつ描いたやつ?」
「あれは五年生かな」
「嘘でしょ! 十一歳であんな上手かったの? すごいね。陽葵こそ漫画家ならないの? もったいない」
陽葵は困ったように笑った。
「漫画家は不安定すぎる。それに私くらいのは沢山いるんだよ」
陽葵の表情を見て美里は視線を下に移した。
「そっか、じゃね。くろ……係長が待ってるから。明日ね」
「うん」
美里は外にでてドアを閉めると、係長の乗る自動運転車に乗り込む。
陽葵は玄関の前でしばし動かない。
「漫画家なんて……」
仁科さんは少しだけ見える玄関でたたずむ陽葵の後ろ姿を、うつろな目で眺めていた。
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