第四章 be opposed 第三話 仁科陽葵
◆◇◆◇◆
灰色の空は寒さをより際立たせる。
イチョウの葉はもうほとんどが落ち街道は黄色く染まっていた。
暖房の利いた自動運転車の中で、係長と美里は訪問先に向かう。
係長は美里から恵んでもらった猫用おやつスティックを吸うように一瞬で飲んだ。
「ぷはー。ひと心地ついたよ。ありがとう」
「ちょっと、くろ。あたしの話聞いてる?」
「ああ、友達に反対されたって話だっけ?」
「そうそう。介護の人数が少なくなって将来は職にあぶれちゃうかもしれないとか、給料が安いとかさー。ん?」
ミネラルウォーターの入ったペットボトルの水をピチャピチャ飲んでいる係長の姿に、文句を言ったのも忘れて美里は頬を赤らめ見入ってしまう。
「まぁ全部、ホントだね」
係長の返答に我に帰る美里。
「え、うそでしょ」
「寿命のことは誰にもわからないが、団塊ジュニア世代が消えたらその後は一気に人口が減るよ。必要だった介護職が要らなくなるのは必然ですし、給料も安いです。だから我々猫が入り込む隙があったわけだ」
「あの、参考までにお給料ってどれくらいもらえるの?」
係長は美里の顔を見ると手招きする。美里が顔を近づけると係長は耳元で囁いた。美里の顔がすこし青ざめる。
「え、うそでしょ。それだけ?」
「まぁ、私らの場合はそんなもんです。ただ六条坂さん、いえ人間の介護職の皆さんは、もっとちゃんと貰えると思いますよ。それは所長に聞いてください」
「え、なんで? 人間と猫とで給料違うの?」
「まぁ、基本スペックが違いますからね。一定時間動けば疲れて寝ますし、人と同様に動くにはこういう道具も不可欠ですから、いちいち金がかかる」
係長は猫用手袋をぐっぱして見せる。
「ただ、食べる量も寝るスペースも断然違うので、人に比べればコストパフォーマンスはいいから、給料も安くて大丈夫なわけ。それに……」
「それに?」
係長は言い淀むと、水を飲み切ったペットボトルのフタを振ってペットボトルに締め直した。
「いや、なんでもない。ただ高齢者は人口の一定数必ずいるから、仕事が無くなるわけじゃないし、あえて介護職を狙う手はあるんじゃないですかね? まぁ六条坂くんが向いてるかどうかは知らんがね」
「ちょっと、くろ。言い方―」
美里を無視して、ぷいっと係長は外の景色に目をやる。前方の信号が赤になり、自動運転車が止まる。すると同時にドアのエコーシステムが物体接近を知らせる電子音を鳴らした。
係長がドアミラーを見ると電気原付バイクに乗った女性が運転席につけて窓をコンコンと叩く。係長がパワーウィンドウを開けると、バイク乗りがシールドを上げた。
バイク乗りは、ロストキャッツのマスターだった。
「係長さん、おはようございます。お仕事ですか?」
「あ、マスター。バイク姿もキレイだね♡ 買い出し?」
係長がウィンクすると、マスターは薄いピンクの唇を緩めた。
美里はマスターに対する係長の柔らかい態度に、イラっとして顔を出す。
「くろ。この人、誰?」
「あぁ、あなたが噂の新人さん」
「はぁ? なんで私のこと知ってるんですか?」
「ちょっとお店で聞いたの。ね、係長さん」
マスターが係長にウィンクし返す。
「おみせぇ~?」
係長は美里のいらだちオーラを背中で感じ毛が逆立っていた。
「う、うん。まぁね」
「ここの所、お姿が見えないから心配してたんですよ。お仕事が忙しかったんですか?」
「ん、まぁ夜勤もあるから」
「ああ、そうでしたね」
歩行者信号が点滅しだした。
「あ、ごめんなさい。呼び止めて。お仕事頑張ってください。またお待ちしてます」
「うん、また」
「あ、そういえばずっと待ってますよ、八津目さん」
係長の口元から緩みが消える。
「じゃあ、また!」
信号が青に変わるとマスターは再びシールドを下げて走り出していった。
係長も窓を閉める。
「ちょっと、くろ! 今の人だれ?! 店ってなんの店よ!?」
不機嫌になった美里の言葉も耳に入らず、係長はそのままドアの窓を見つめた。
『君、九回目だろ』
係長は八津目の言葉を思い出していた。
◆◇◆◇◆
係長と美里は午前中、ほぼ前回と同じ利用者宅に訪問をした。
田中さんの昔話を聞きながら食事介助をするも、一口もらって係長に怒られたり……。
篠原さんが用意した新しい掃除機を使ってコードに足をひっかけて転んでみたり……。
青柳さんのところで洗濯物を干そうとしたら植木の上に落として、洗い直しになってみたり……。
まだ、失敗だらけだったが、美里の笑顔にみんな顔がほころんだ。
「いやぁ、みんないい人ばっかだなぁ♪」
美里は車の窓を開けて冷たい風にあたる。
「なにを♪が付いたような事言ってるんだ君は! もっと慎重に丁寧にすればやらかさない失敗ばかりじゃないか! 反省したまえ!」
「……はい」
「まったく」
すり……、すりすり……。
美里は窓を見ながら運転席の係長のしっぽの先を人差し指でシレっと触る。
係長はぞわっとなり美里を睨みながら、しっぽをくねらせて逆側に撒く。
美里は幸せそうに微笑んだ。
海岸通りの駐車場に車を止めて、美里は海を見ながらお弁当を食べる。
風は冷たいが、潮の香りと波の音を聞きながら食事に美里はリラックスした。
空には、トンビも飛んでいる。
係長は車の中で、他のスタッフとの連絡や報告書を仕上げる。
食事を終えて巾着に弁当箱を入れ、水筒のお茶を飲むと美里は「うーん」と背筋と腕を伸ばす。車に向かい美里はドアを開けた。
「お待たせです」
「もういいの?」
「うん。完食したし、ちょっと寒いし。次はどこ?」
「仁科さんってお宅だよ」
「にしな?」
「はい。じゃあベルトつけて」
「あ、うん」
係長がハンドルの『スタートボタン』を押すと自動運転車はゆっくりと動き出す。
「にしな……」
海岸線から街道に戻り、住宅街に入ると車はもうすぐ到着することの合図を出しはじめた。程なくすると、レンガと白塗りの門柱に『NISHINA』と表札がある家に着く。
「にしな」
車から降りた美里は、表札の前で腕を組んで考える。
「どうした? 行くよ。インターホンを押したまえ」
慌てて美里がカメラ付きインターホンを押す
『はい』
「あ、介護のねこやです」
美里が対応した家人に答える。
『……ガタガタ……ブブブ』
家の中で慌てたような様子の音がすると足音がだんだん玄関に近づいてくる。
ガチャッと勢いよくドアが開かれた。
「うそでしょ。美里?」
家から出てきたのは、クラスメートで仲良しの仁科陽葵だった。
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