第四章 be opposed 第一話 ろくでもないの
緊張で鼻先と肉球に一層湿り気が増す。
牙の間から、はぁはぁと熱い吐息が漏れでながら、係長は相手を睨んだ。
相手は三名、一匹はキジトラ、一匹は太くてデカい三毛猫、そして、もう一人は前 歯のない人間。チンピラ風の黄色いサングラスをしている。
タバコの煙がまるでオーラのように2匹と1人の迫力を際立たせる。
みな、係長の視線に気づき不敵な笑みを浮かべる。
言葉のない会話が飛び交う。
油断をすればやられる―――。
震える手で係長は牌を掴んだ。
二匹と一人の視線が係長の手元に注がれる。
次の瞬間、係長は並んだすべての牌を勢いよくオープンした。
「はい! ツモ! リーチ、ドラドラ、ホンイーソー!」
「「「あー」」」
二匹と一人がうな垂れて自分たちの並べた牌をグチャグチャにしながら点棒を係長に投げつける。
「ムハハハ♪ いや何連よ。もうバカヅキ、バカヅキ♪」
この場末の雀荘は、クリーンになった麻雀のイメージもなんのその。賭博麻雀を行う闇の賭博場。係長は飯代を捻出すべく腕に自信のある麻雀で、たまに稼ぎにくるのだ。こんな場所に通う輩は脛に傷を持つものも多い。
「いやぁ、係長。さすがだね。強いわぁー」
「ほんとマジマジ。すごい、何でそんなに強いんだよ」
「やばいわよね。ホントすげーわ」
係長は誉め言葉にニヤニヤしながら牌をかき回して自動雀卓の穴に入れる。
「いやぁ、運よ。運」
「やっぱり強運の女神に愛されてるからだよな」
「女神効果ってあんのかー。やっぱなー」
「あたしも欲しいわぁん。め・が・み」
すると三毛猫が係長の背後を指さす。
「なに、なに、何言ってんだか……」
係長は笑いながら振り返る。
そこには植木に隠れて、花の鉢で頭を隠した六条坂美里がこちらを伺っていた。驚いて係長は目が飛び出しそうになる。
「な、なにやってんだ! 君は!」
汚らわしい者を見るような目線で美里は係長を見つめる。係長は席を立って美里に近寄る。
「未成年の来る場所じゃない。帰りたまえ!」
沈黙を守って更にじっと係長を見つめる美里。
「君ね、本当にこういうのストーカーと言って犯罪なんだよ」
その時、美里は囁くように手を立て小声で囁く。
「いほうとばく」
「……」
係長の黒い毛並みの顔が青ざめる。
「な、なに言ってるんだか、これはアレだよ。いろんな方たちと交流をもって情報共有をだね」
係長の目は動揺でキョロキョロしていた。
「そうだよ。我々はマジメな社会勉強をしてるのさ」
「そうよん。係長さんはオシゴトしてるのよん」
チンピラは席を立つとカウンターからお菓子のチョコ棒を出し美里に渡す。
「大人のたしなみさ」
チンピラは美里にウインクし抜けた前歯でニッコリと笑った。
美里は更に眉を更にひそめて口をとんがらせた。
「別にいいけど、くろがどんな趣味だって」
「所長とかに行ったら絶交だからな」
係長は美里の耳元でつぶやいた。
「はーん。どうしようかなぁ」
少し大きめの声で美里は答えて係長は焦る。
「こら、いや、頼むよ。いえ、お願いします。言わないでください」
「じゃぁ、今度抱っこしていい?」
「ぐぬっ。仕方ない十秒だけね」
「やった!」
自動雀卓はとっくに新しい牌を並べ直していた。
キジトラはタバコの箱をトントンさせながら、小声で言う。
「ここらでレート上げとく?」
「えー。係長さん調子いいから一気にやられそうだよー」
「でも、係長さんにはイイナカのお嬢さんにイイトコ見せるチャンスよん」
係長は雀卓を見て、美里をまた見る。美里はチョコ棒のパッケージを開けてポリポリ食べはじめていた。
「いや、この子はそんなんじゃないけど、まぁいいでしょう」
ここまで絶好調の係長はフッと笑みを浮かべて席に着く。
誰も喋らず、しばし無音で緊張の空気が流れる。
係長はキジトラ、チンピラ、三毛猫をゆっくりと見回し思い切り決め顔で言った。
「かかってきな」
◆◇◆◇◆
それから一時間が過ぎた。
六時を過ぎ街も看板や店の明かりが目立つ。
裸にされた係長は雀荘の入り口から放りだされた。美里も慌てて店を出る。
「痛! 何すんだ! 投げることないだろ」
「何言ってんだ。金もないのにこんなとこ来るなよ」
「当然の報いよね」
くわえタバコのチンピラはさっきまでとはえらい違いの迫力で睨みつける。
「ひっ」係長はチンピラの目つきに怖さで震える。係長の前にしゃがみこむとタバコの火を係長の鼻先まで近づける。ふーっと煙を係長に吹きかけると、係長はごほ ごほとせき込んだ。
チンピラは低い声で、そして静かな声で話す。
「ウチわさ、まっとうな賭博やってんすよ。あんまり舐めたまねしてっと、お客さん身ぐるみ剥がすだけじゃ済まねーっすよ。今日はお嬢ちゃんの手前だから勘弁してやりやす。返してほしけりゃ耳揃えて金持ってきてくださいよ」
チンピラが係長の耳もとに口を近づけ囁く。
「なんでも、どっかの金持ちの大奥様が三味線の皮に猫の皮探してるって噂があるんすよ」
「しゃ、しゃ、しゃみせん……?!」
係長は鼻水を垂らす。チンピラは顔を離すと欠けた前歯でにっこり笑った。
「いやぁ立派な毛皮ですが、真冬でそれじゃ寒いでしょう。これ使ってくだせえ」
男はくしゃくしゃのレジ袋をポケットから出すと、係長の頭にかぶせた。
「またのご来店、お待ちしておりやす」
大きく舌打ちをした後、チンピラはピシャっと店の引き戸を閉めた。
レジ袋をかぶされた係長は固まったまま放心状態。
冷たい風がくしゃくしゃのゴミ袋を飛ばした。
美里はパッとゴミ袋を掴んで係長に渡す。
係長は美里と目線を合わせずゴミ袋を受け取る。
「くろ、社会って厳しいね」
「……」
係長は返答ぜす、ぷしゅっと大きくクシャミをした。
それを見て美里は係長の前にしゃがむ。
「抱っこしてあげよっか」
しばし美里の顔を見るが、ぷいっとヨソを向く係長。目がすわり、耳を寝かせている。突然ゴミ袋をかじりはじめ、穴をあけると器用に服のように着こむ。
手袋と靴まで取られたレジ袋姿の係長は4本足で歩きだした。
「え、なに? 帰るの?」
「付いてこないように」
「えー、一緒に帰ろうよ」
「……」
「くろー」
夜の闇に見えなくなる係長を美里は小走りで追った。
「あれ? ちょっとどこ? くろ? くろー!」
小さなクシャミが暗闇で喧騒の中、どこからか聞こえる。
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