第三章 new employee 第八話 不穏

◆◇◆◇◆


 パチッパチパチ……


 目の前に飛び散る火花が、ひと際大きな火玉から次々に枝分かれしていく。


 その上に火玉を持った指が見える。


 『クロ。見てクロ。きれいだねー』


 浴衣を着た老齢の女が線香花火をしている。


 古い町。古い家の軒先だ。


 『線香花火ってまるで、人生のようじゃない? パッと光ってチカチカ盛り上がってやがて静かになっていく。最後は……』


 色の薄くなった火玉がポトっと地面に落ちる。あたりがさっと暗くなる。

 女はあさ黒く痩せている。

 シュッと音がする。


 女がマッチで火をつけ、また線香花火に日をつけた。

 火花に触ろうと真っ黒な自分の前足が出る。


 『こら、クロ触っちゃだめ。毛が燃えちゃうでしょ』


 女の手で視界が遮られる。

 視界が開かれると、そのまま頭を撫でられ、瞳を閉じたのだろう。

 また視界が暗くなる。


 『クロ、お前と一緒で良かったよ』


 『クロ……』


 『クロや……』


 ◆◇◆◇◆


 ふと係長が目を開けると、そこは見知った六畳の自室。電気座布団の上で一糸まとわぬ姿だった。ひとつアクビをして丸まった体を指まで広げて伸ばすとまた、力を抜いて頭を座布団に落とす。


 「よく見るな、この夢……」


 『介護って、もどかしいね』


 眠気の中、車内で聞いた美里の最後のセリフが蘇る。


 「あの女のせいか……」


 少しため息をついて目を閉じる。耳の@スピーカを触り時刻を出すと午前七時を回っていた。体を起こし、また伸びをするとカーテン越しに朝日を見た。


 係長は充電がいっぱいになっている手袋に両方の前足を通すと、手をぐっぱとして動作を確認。後ろ足もシューズに通すと充電ケーブルを手で外しに二足歩行で立ち上がった。


 クローゼットから服を出すとワイシャツを着てズボンを履く。ジャケットに手が伸びたが躊躇し、となりにかけてあるベストを着るとジャケットを改めて取り出して羽織るように着た。


 冷蔵庫から(猫用)と表示されたパック弁当と紙パックの猫用ミルクを取り出しレンジで温める。テレビを点けると、アメリカで何か病気が流行っているとニュースが伝えていたが、すぐコマーシャルになって係長の頭にはしっかり入らなかった。


 箸を持って合掌すると、パック弁当の透明フィルムをはがし弁当を食べはじめた。弁当の中身は鮭の乗ったのり弁だった。


◆◇◆◇◆


 「おはようございます」

 

 事務所に入ると、係長と同期の吉田さんがデスクの上で手を挙げて挨拶にかえた。 真剣にタブレットと格闘している。吉田さんはバーミーズだ。


 「朝から忙しそうですね」


 吉田さんは、係長の声かけにも顔を向けず卑屈な笑いをして画面を見続けていた。


 「まぁね。杉沢さんが昨日の夜から発熱したから、防護服体制に変わったじゃない?在庫調べたらあんまり無くて。最近、猫用も人用も防護服が結構売り切れ多くてさ。とりあえず今日駅前の薬局に入るらしいって話したら、所長が買ってこいっていうから、あたしゃ9時半になったら急いで薬局入りよ。それまでやる事やっとかないと」


 「防護服が? そんなに? インフルかコロナが流行ってるんですか?」


 「さぁね。アメリカじゃ急に流行ってるってニュースでやってたからね。いわゆる『備蓄買い』かもね」


 突然、吉田さんが係長に顔を近づけた。


 「あんたそれよりインターンの」


 係長は一瞬で怪訝な顔に変わる。


 「六条坂美里ですか?」


 「あのこ、さっき電話してきてちょっと所用でしばらく休むとかって言ってきたわよ。あんたぁ逃げられたんじゃないの~? 大丈夫? 所長に怒られんじゃない?」


 係長は、ぱぁっと顔が明るくなる。


 「え! ホントですか? やったー。いやぁあいつ向いてないと思ってたんすよ。いやぁそうかバックレたかー」


 「そう? それならいいか。向いてない子は人も猫もいるからねー。介護職なめないで欲しいよね」


 「いやぁまったくです。まったくです」


 ニコニコしながら係長はデスクの下に降りて仕事用の手袋と靴に履き直す。

@スピーカで今日のスケジュールを確認する。吉田さんもデスクの上のタブレットで同じスケジュールを見た。


 「係長は山田宅からだね、なんだもう出発の時間じゃん。あんたいつもいつも、もうちょっと余裕持って来なさいよ」


 「はいはーい」


 係長は二足歩行でお尻を振って『行ってきます』の合図をする。吉田さんはくすっと笑って、手(前足)を振った。


 自動運転車のドアの下部についたセンサーカメラに顔を写すとロックが外れ、ドアがスライドで開く。係長は座席に飛び乗るとカード型端末ををスライドに入れ、猫用のシートベルトを締めるとドアが自動で閉まる。ハンドルにある『スタートボタン』を押すと係長は電動エンジンの振動を感じた。

 車はゆっくりと街道の前まで徐行し、左折ウィンカーを点滅させて出るタイミングを待った。


 『なんか思ってた仕事とずいぶん違うんだね』


 美里の言葉をまた思い出す。


 「……根性ねぇな」


 係長はもうニコニコはしていなかった。係長はシートの中で寝転がるとしっぽをキレイに体の周りにはわせ、目をつむった。しかしパッとまた目を開く。


 「いけね。タイムカード押すの忘れてた。たく、この時代にアナログな」


 係長はハンドルのタッチパネルの『戻る』ボタンをタッチする。

 ちょうど街道の車の流れが止まり、自動運転車が出ようとした瞬間だったが急停止をした。


 「!」


 その時だった。


 ガーン!


 行こうとしていた方向とは逆の対向車線の車が猛スピードで急なUターンをして目の前を通り過ぎ、大きな音でガードレールにぶつかった。車体は潰れ、フロントガラスも割れて飛び散る。ぶつかった勢いで車は跳ね返り、スピンした。


 係長は自動運転車の運転席に乗り出し目の前の事故に見入った。

 おそらくあと五センチも進んでいたら巻き込まれていた。


 「やべ」


 係長は急いで降りていき。前方がペシャンコにつぶれた事故車に近づく。


 「大丈夫で……」


 その車も自動運転車だったのだろうか、車の中には誰も乗っていなかった。


 「誤作動車? 嘘でしょ?!」


 街道の真ん中に止まった事故車に、後続車が次々と急停車していく。

 事故の音で事務所から吉田さんや他の社員、他のビルの人や猫が出てくる。


 「ちょっと係長大丈夫?」


 吉田さんが事務所の入り口から大きな声で係長に声をかけた。


 「大丈夫です。けど警察呼んでください。あと私関係ないんでもう行きます。悪いけど私のタイムカード押しておいてくれませんか?」


 係長は大きな声で吉田さんに伝えると吉田さんは頭の上で丸を作った。

 係長は車に戻ると手動に切り替え、慎重に事故車を避けたあと、自動モードに切り替えた。


 「こっわ」


 自動運転にしながらもハンドルを握ったまま目線を外に向け、係長は背筋を伸ばした。


◆◇◆◇◆

 

 この街の繁華街は港も近く、歴史も古い。昔からおしゃれな街としてテレビのロケやデートに使われている。繁華街の広さも、とても大きく庁舎も古く明治からあるという。平日の今日も外人の観光客をはじめ、修学旅行の生徒も見られる。

 そんな街の一角のブティックに美里は来ていた。制服の上にダッフルコートを着ている。


 「ありがとうございます」


 美里は店員に大きな包装紙に包まれた荷物を紙袋で渡される。


 「いいけど。こんなの何に使うの?」


 「ちょっと所用で。あの東町店て、モールの中にあるんですよね」


 「そう。2階の電気屋のとなりよ」


 「ありがとうございます」


 美里はペコリとお辞儀をすると店を出て自転車にのって人をかき分け急いで走っていった。奥の方から窓拭き用バケツと雑巾をもった女性スタッフが来る。


 「店長、あの子って確か」


 「社長の娘さん。社長が電話で備品貸してやれってさ」


 「へー。何に使うんですか。あんなの」


 「さぁ、なんかインターンでどうのって」


 「へー高校生でもインターンてあるんですね」


 「まー。そこは六条坂家だから、なんか色々動いたのかもね」


 「おお。すごいな」


 店長と店員は笑い合った。


 街中から少し外れビルが低くなり視野が開けた感じの街並みに変わる。

 美里は勢いよくペダルを漕ぎ息を切らす。熱くなったのか手放し運転をしながらダッフルコートを脱いで荷物の脇にコートを突っ込む。


 「風が気持ちいいー」


 美里は微笑みながら一層ペダルを速く踏み込んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る