第三章 new employee 第二話 おしかけインターン

◆◇◆◇◆


 この街はイチョウ並木以外にも街路樹や花壇が通りに設置され季節ごとに通る者を楽しませる。この時期はちょうどサザンカやパンジーなども咲きはじめ街に彩りをつける。


 そんな街路樹が並ぶ大通りは交通量も多い。

 次々と走り抜ける車の中に「介護のねこや」の名がついた自動運転車も走っていた。


 「まったく、信じられない。これは完全なストーカー行為だよ!」


 係長はの運転席で使うことのないハンドルを猫用手袋で握りながら、助手席に座る美里に向かって怒りまくった。

 美里は『介護のねこや』と胸に刺繍されたスクラブ(制服)を着ている。


 「だって、くろの生まれ変わりにもう会えないなんて、絶対嫌だったし」


 美里がうつむきながら泣きそうな顔になって、係長は口をつぐむ。

 車の中で走行音だけがしばし響く。

 少しため息をつき前方を見ながら係長は静かな口調で話す。


 「それで? 君はインターンで会社に来た。そこまでして私に会ってどうするつもり? まさか飼い猫になってくれなんて言うんじゃないだろうね」


 美里は頭を振って係長を見る。


 「それは願ってもないことだけど違うよ」


 制服のスカートの上で美里のこぶしが強く握られていることに、係長は気が付いた。


 「私進路にずっと悩んでいて、自分に何が出来て何が出来ないのか。なんのために生きていくのか全然見えなくて。そんな時あなたに会って、くろの生まれ変わりがどんな仕事をしてるのか見てみたいっていうか……」


 係長は頭を掻きながら言った。


 「よくわからないが、世界が狭いから社会を覗いて見たかったって言っているのですか?」


 「そう! そんな感じ。私くろの事ならなんでもよく知ってる。くろの良さをくろがどう生かして働いてるのか、向いてる向いてないってどういうことなのか見てみたいって思うの」


 係長はため息をまたついて目をつむった。


 「君は根本的なところを間違えている。わたしは君の飼っていた『くろ』じゃないんだから参考にはならないはずだ。それに介護職には興味がないって言ってるのと同じじゃないか。私は自分のために仕事も遊びも全力でやると決めている。君の進路なんて知ったことじゃない。悪いが子供のお守りはごめんだ」


 係長の厳しい言葉に美里は口をとんがらせた。


 「だから、興味がないんじゃなくて、知らないの」


 美里は胸のシートベルトを両手で掴み、『絶対に降りない』というジェスチャーをした。係長は大きくため息をついた。


 「わかった、わかりましたよ。所長の指示だ。今日一日は特別に見学として同行を許します」


 美里の表情が、ぱぁっと明るくなり係長に抱きつこうとする。


 「ありがとう、くろー」


 「ストップストップ!」


 美里はびくっと動きを止める。


 「いいかい。何度も言うがそれはネコハラだ。@スピーカ革命以降、世界は変わったんだ。いい加減覚えなさい。猫も人も勝手に触ったら犯罪なんだよ。痴漢と一緒なの」


 「え~」


 「え~、じゃない。いいかいそれに、ここは遊び場じゃないんだ。わかるね?」


 「うん」


 「うんじゃない、『はい』だろ?」


 「はい」


 その時、係長のおなかの音が車の中に響いた。ここ何日もロストキャッツで酒しか飲んでおらず空腹がピークだった。

 係長は窓の方を向く。


 「くろ。お腹すいてるの?」


 「くろじゃない、係長だ」


 美里はカバンの中から猫用スティックおやつを出し封を切った。

 いい香りに係長は思わず振り返る。

 美里は係長の鼻先にスティックおやつを差し出した。


 「どうぞ。好きだったでしょ?」


 「ぐ、ぐぬぅ」


 視線を景色に向けて係長は耐えた。


 鼻がふくらみ。

 目が血走り全部の足の指を開いて我慢した。


 だが、美里は容赦なく係長の口につけた。


 「はい」


 「あ」


 少しだけ入った猫用おやつの旨味と香りがお口の中にひろがる。

 あまりの美味しさに係長はつい、舌をぺろぺろ出しはじめる。


 「ふふ」


 係長の舌はもう止まらなかった。

 頭が真っ白になっていた。


 「はっ!」


 気付くとスティックおやつを一本あっと言う間にたいらげていた。


 美里は何も言わずにっこりしてじっと係長を見つめている。


 係長は恥ずかしさが頂点に達し窓側を向いた。口についたおやつの残りを前足でこそぎ取って舐めようとしたが、後ろから美里の視線を感じ、ポケットから小さなハンカチを取り出し顔を拭いた。


 こほんと一つ咳払いをして窓を向いたまま呟く。


 「と、とにかく今日一日だけだからね」


 「わかった! 今日一日で私のやる気をくろに見せればいいんだね!」


 美里は嬉しくて空のスティックおやつを握り閉めガッツポーズした。


 「いや、ちがうから」


 係長はため息をついた。


◆◇◆◇◆


 自動運転車は、往来が激しい大通りから閑静な住宅街に入った。

 この街は坂も多い。角度の高い坂を上りきった二階建ての一軒家の前に停まると、一階のガレージに車はゆっくりとバックし駐車動作を完了した。


 係長は、いつも背負っているバッグを持ち二足歩行で車から降りる。いったん道路に出ると家を見上げた。美里もあわてて車から降りる。


 「今更だが、我々は訪問介護の会社だ。利用者は主に高齢者、人生の大先輩になる。尊敬の念をもって接してくれよ」


 「わかったよ。くろ」


 「あのね『わかりました。係長』でしょ? 君、敬語使えない人じゃないよね? 大丈夫?」


 「大丈夫だよ。くろは特別♡」


 「勝手に特別枠に入れてくれるなよ。猫の六歳は人で四十歳にあたるんだから」


 係長は不機嫌そうにバッグから折り畳みの小さな猫用の脚立を取り出した。


 「わぁ、かわいい脚立。猫用?」


 美里の反応を無視して係長は脚立を組み立て、上ると天板の蝶番ちょうつがいの部分にあるスイッチを押す。すると脚立の足が延びはじめ、瞬く間にインターホンの場所に前足が届く所まで高くなった。

 「へぇー」と美里は感嘆の声を出した。


 係長がインターホンを押すと電子音が家の中から聞こえる。


 『はい』


 男の声だ。家人がインターホンに出た。


 「こんにちは田中さん。介護のねこやです」


 『どうぞ』


 玄関からロックの空いた音がする。


 「失礼いたします」


 脚立をしまってから2人が家に入ると玄関にスロープが付いており、廊下には手すりがついていた。

 係長はバッグからカード型端末を取り出すと玄関先に貼ってあるシールに近づける。

 ピッと電子音が鳴る。


 「これはケアの開始登録。出る時に終了登録もするから」


 係長はカードを見せると美里は頷いて返事をする。

 廊下を進むと十畳ほどの寝室にテレビとベッドが置いてあり奥にはキッチン、更に奥の部屋には和室があった。全ての部屋がフラットで車いすが移動できるようにシートが張り巡らされている。


 田中さんは係長を見ると、車いすから右手で軽く挨拶をしてくれた。


 「よっ。係長さん」


 頭は薄いが髭は剃ってあり、左手を膝の上に置き、左足に装具を付けている。ブランド物のロングポロシャツとジャージを着ていた。


 「こんにちは、田中さん。今日はインターンの学生さんとニ人で来ました。六条坂と言います。よろしくお願いします」


 係長が美里のふくらはぎを叩く。


 「あ、六条坂美里です。よろしくお願いします」


 田中さんは、左目を開いて美里を見る。


 「六条坂? もしかして六条坂醸造の?」


 「あ、はい。祖父が最後の代ですけど」


 「へ~。懐かしいな。あんたん所の酒美味かったんだよ。俺は好きだった」


 「あ、ありがとうございます」


 係長は不思議そうに美里を見る。


 「君は実家が杜氏とうじなのか?」


 「いえ、元です。いまは作ってません」


 「なんだ残念」


 「あぁ、係長さんは酒好きだからね」


 田中さんは右手でおちょこを飲む仕草をした。

 係長は微笑むとキッチンに向かう。

 シンクの横にはコンロがありその上に紙袋に入った宅配弁当が置いてあった。

 棚にはレンジが置いてあり、その横に洗い終わった弁当容器が奇麗に籠に重なっている。


 「六条坂君、コンロの上に弁当が置いてあるだろう? レンジで温めてくれる?」


 「れんじであたためる」


 美里はおかしなイントネーションで復唱した。


 「田中さんトイレ行きましょう」


 寝室に戻ると、係長は田中さんをトイレのドアを開けて誘導する。田中さんは自力で車輪を動かし、トイレに入ると手すりを使って便器の前に立ち上がる。

 ひょいと係長が車いすの上に乗り、田中さんのジャージごとリハビリパンツを脱がせる。田中さんはドカッと便器に座った。

 安全に座ったところを見届け、係長は車いすの上で田中さんに背を向け座った。


 「一本だけさ」


 「はい?」


 田中さんは踏ん張りながら呟く。


 「死ぬ前に飲もうと、一本だけ六条坂醸造の大吟醸が十何年前から冷蔵庫に入ってるんだ。俺が飲まずに死んだら係長さんにやろうか?」


 係長のしっぽが一瞬ぴくっと動く。しかし再び穏やかに体を巻いた。


 「ありがたいですが、それはダメなんですよぉ」


 「ああ、そうか介護の人は利用者から何ももらっちゃイケナイんだ」


 「そうです。それは是非、田中さんの次の誕生日にでも飲んでくださいよ」


 「いやぁ結構経ってるから、お酢になってたらどうしよう」


 「いやいや、それ私にあげようとしてたんですか」


 「はははは」


 係長と田中さんは笑いあった。

 その時、なにやら焦げ臭い匂いが漂ってくる。係長は怪訝な顔をして鼻をピクピク動かした。するとキッチンの方から黒い煙が流れてきた。

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