第三章 new employee 第一話 介護のねこや

 それから二日が経った。


 「佐藤さん。お食事ですよ」


 そこは、カーテンの閉まった薄暗い部屋だった。

 窓際の介護ベッドの上で、黒猫係長は玉子粥をすくったスプーンをお婆さんの口元に近づける。

 お婆さんは口元をピクリとも開けてくれない。


 「佐藤さん、あーん。お食事ですよー」


 お婆さんはカーテンの隙間をぼーっと見て反応しない。

 係長はため息をつく。

 カーテンの隙間から見える枝と幹だけの桜が、一層係長には寂しく見えた。


◆◇◆◇◆


 車通りの激しい街道のかつて電話会社だった古いビル。

 入り口には、カッティングシートで社名が入っていた。


 『介護のねこや』


 古いスチールの机には書類やファイルが積み重ねられ、コードの付いた電話が置いてある。まるで平成に戻ったような古いオフィス。

 だがそこに人間の姿はなかった。


 「いやぁ、昨日は散々だったよ」


 黒猫係長は書類だらけのデスク上に、香箱座りをして頭からつっぷした。


 「どうしたんですか係長、ぐったりして。佐藤さんがまたご飯食べてくれなかったとか?」


 介護用スクラブ(制服)を着た後輩のメス猫アビシニアンが隣のデスクから声をかける。


 「いや、それもあるんだけさぁ。昨日は朝から、田中さんとこで活動中に、会社の番号に電話あってさ。出たらなんでか借金してるとこからでさ。今仕事中だからって、切ったら今度、田中さんの娘さんが仕事中に私用の電話でるとか非常識じゃないですか? とかクレーム受けちゃって」


 「いやぁ清々しい自業自得ですね。私も千円貸してますからね」


 「……まぁそれは置いといてさぁ」


 「軽く流しますね」


 「その後、昼休みにちょっと競輪したら、やるレース、やるレース一着以外みんな当たるのよ」


 「それ外してるってことですよね。そんな金あったら千円返してくださいよもー」


 「でね」


 「いや、でねって」


 「仕事終わってから、ロストキャッツ行ったらさ。ここでまた変な爺さんにこないだから変に気に入られててさぁ。カードばっかり仕掛けてくんのよ」


 「爺さん?人間の?」


 「そう。なんか一回カードで勝ったら悔しかったらしくてさ。それから行くたび行くたびに顔合わせてさ。やろうやろうって、もー大変」


 「係長、カード強いっすよね。あれどうやってるんですか? 絶対イカサマですよね」


 「ふっふっふつ。やだなぁ運だよ、運。まぁそれでね勝ちまくってロストキャッツでは向こう半年は毎日一杯タダで酒が飲めるようになったんだけど……」


 「うわ。高齢者から何やってるんですか、まったく」


 アビシニアンは、軽くため息をつきながらタブレットに打ち込みを始める。


 「金無くてさ、ここんとこ栄養源が酒しかないの。このままだと死んじゃうと思うんだよね。てことでさぁ、大変心苦しいのですがもう千円ご融資願えないでしょうか?」


 「えー! 話ながっ。結局無心ですか?」


 アビシニアンは呆れて口を開ける。


 係長はアビシニアンの肩に前足をかけて囁く。


 「たのむよ~次の給料日必ずキャッシュで返すから。五十円利子つけて」


 「えーだって係長、前回も同じこと言ってましたよぉ」


 その時、係長の耳がピクリと動く。ドスンドスンという近づいてくる大きな足音が聞こえたのだ。


 さっと係長はアビシニアンから離れ、目の前にある適当なファイルを開いてアビシニアンに見せた。「で、この利用者はさ」と呟く。アビシニアンは理解できずポカンとしている。


 「係長、おはよう」


 係長とアビシニアンの背後には。大型猫のメインクーンが猫用の手袋と靴を履き二足歩行で立っていた。

 メインクーンは最大の猫と呼ばれている。迫力のある目つきと波打つふさふさの長毛はまるで闘気のようで、彼女の大きさと威厳をさらに際立たせていた。


 「おはようございます、所長。いや今、アビシニアン君にこの利用者の活動報告をですね……」


 じろりとメインクーン所長が係長を見る。

 生唾を飲み込んで係長が動けずにいると、メインクーン所長はちょいと係長の首をつまみ子猫のように持ち上げた。


 「話があるわ」


 「あ、所長、首はだめ首は、あ……」


 係長を持ち上げたまま、所長は机から飛び降り、パーテーションで区切られた会議用スペースまで歩いていく。

 アビシニアンは微笑みながら前足を振った。


 所長は係長をつまんだまま、会議用テーブルに飛び乗ると、静かに係長を降ろした。若干震えながら係長はすぐさまその場で座りなおす。所長も係長の目の前に座り、じっと眼を見つめた。


 「来たのよ」


 「は?」


 「来たのよっ応募者が!」


 メインクーン所長は興奮して、開いた鼻先を係長に近づけた。

 あまりの迫力に、係長は耳を倒し顔を遠ざける。


 「応募者? ウチ募集してました? もう結構いっぱいって話でしたけど」


 「猫はね、ちがうのよ。今回来たのはヒト。人間なの!」


 「え?! よく来ましたね」


 「そうなのよ! 知ってのとおり今この業界は衰退傾向。人から猫に介護人材は移りつつあるわ。たしかに我々猫の介護は非常に好評だけど、この介護用猫手袋や靴、自動運転車、それにかかるエネルギー代などはどれもかなり高額。我々が人間と同じように活動するには経費がかさむ。でも人間は違う『ありもの』で活動できるし何より基本的なパワーが違うわ」


 「そうですね、人の手は貴重です!」


 「そう。しかもインターン制度でやってみたいという有望新人よ」


 「インターン?」


 「うん。まだ高校三年生。ぜひウチ名指しで働いてみたいって職業体験を希望してきた女の子なのよ。コレはモノにしなきゃよー!」


 「高校三年生の女の子?」


 係長は眉をよせた。


 「それ、いつ応募あったんですか?」


 「昨日よ。そら二つ返事よあなた。そしたらもう今日いきなり挨拶にくるって。若いのにやる気あるわよねー」


 係長は背筋に寒気を感じた。


 「あのそれって」


 「もう来るころよ」


 「え」


 その時、会社の入り口の自動ドアが開く音がした。


 「あのすみません!」


 声を聞いた瞬間、係長のしっぽは逆立ち、とっさに四つ足で立ち上がった。

 パーテーションの外から声が近づいてくる。


 「あのインターンで来た六条坂美里と言います。しょちょーさんとお約束してるのですが」


 「あ、こちらです」


 係長は後ずさりし、耳を後ろに寝かせ緊張する。


 パーテーションから美里が顔を出すとメインクーン所長は笑顔で出迎えた。だが美里の視線はただ一点に集中していた。 


 もちろん黒猫係長だ。


 美里の頬は赤らみ、満面の笑みに変わる。


 「くろーっ!」


 美里はいきなり駆け出し、所長を素通り。椅子もテーブルもガタガタと乱しながら 係長を抱きしめ、頬ずりをした。


 「くろっ、くろ、くろー♪」


 あまりに大胆な美里の行動に、所長もあっけにとられて見つめている。

 係長は美里の腕から逃げようとするが前足を抱かれて身動きが取れない。

 美里がまたキスをしようと唇を近づけてきた瞬間、思い切り美里の鼻に噛みつき、ゆるんだ腕から前足を引っこ抜くと目つぶし!


 「おう!」


 ひるんだ美里を振り払い、テーブルに飛び降りた係長はケンカポーズで威嚇した。


 「シャーッ!!」


 「くろ、目と鼻はちょっと……」


 美里は顔を覆いながら、思わず椅子に手をかけた。

 所長が係長の異常な反応を見て、不思議な表情をした。


 「なになに? 君たち知り合いなの?」


 「所長こいつは、この女はいけません。私のことを死んだ飼い猫の生き返りと信じているサイコ女です。狂っています、変態です、ネコハラ女なんです!、こんな人間を会社に入れたら必ず害を及ぼします!」


 美里は鼻をこすりながら、乱れた椅子に座りクロに微笑み両手でまた係長を抱こうと狙っている。

 係長は美里と距離を取り、次の攻撃を狙った。


 さながら奥襟と帯を取り合う柔道試合のようだ。


 「わかる、わかるよ、くろ。生まれ変わったから記憶が無くなってるんだよね。きっとそう。大丈夫だから一緒に思い出そう? ね?」


 係長は美里の言葉に口を開け、所長に訴える。


 「聞きましたか? 完全にイカレテいます。こんな、こんな人間だけは……」


 だが係長は所長の顔をみて青ざめた。

 不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫が実際にいたらこんな顔だろう。

 いい事をきいたというニンマリとしたメインクーン所長が係長を見つめていた。


 「きみ、この子の教育係に任命」


 「しょちょぉぉーーーーーーっ!」


 係長の断末魔は会社内に響き渡った。

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