第二章 candy girl 第一話 六条坂家の娘
白い梅の花びらが散っている。
花びらは無数にひらひらと舞い降り、小さな梅の木の根元に落ちている。
梅の木の前にこんもりと盛られた黒い土。そこに、赤い首輪が添えられ輪の中にかまぼこ板が立てられていた。
『くろのおはか』と書かれている。
「くろ……くろおぉ……」
その梅の木の前で少女は地べたに座り込み嗚咽を漏らしている。目が腫れるほど泣き、嗚咽を漏らしながら黒い土を盛っている。
少女は中学校の制服を着ていて、肩までのびた髪はふわっとウェーブがかかっている。
震える手で『くろのおはか』の土を盛り続けている。
広い庭だ。梅の他、松も竹も植わっていて、鯉がいる池には流れる水の音がする。苔むした飛び石が連なる先には古びた井戸があり、そこから見えるガレージには外車が三台止まっている。歴史を感じる立派な日本家屋。
長い縁側には家族が“くろのおはか”から離れようとしない少女を心配そうに見ていた。
「美里。くろも充分喜んでるわ。体をこわすから、そろそろ入りなさい」
縁側から降りてきた母親が美里と呼ばれた少女の肩をそっと抱いた。
「母さん。今日は好きにさせてあげて。美里にとって、一番くろは大事な子だったんだ」
スーツを着た兄らしき男も縁側から降りてきて、自分の涙をぬぐいながら美里のふわっとした頭をやさしく撫ぜた。
「美里。知ってるかい? 猫にはね九個の命があると言われてるんだ。きっといつかクロは生まれ変わるさ。だからそんなに悲しまないで」
美里は涙でぐちゃぐちゃの顔で兄の顔を見る。さわやかな笑顔でうなずく兄。
体格のいいもう一人の兄も縁側から降りてきて、無言でジャケットを美里の肩に優しくかけ頭をなでる。
母親は思い立ったように家の中に入ると、すれ違うように銀髪の祖父が来て更にドテラを美里の肩にかけた。
「風邪、ひくなよ」
今度は父親が、半分引きずりながら石油ストーブを運び出してくる。
「よっこらしょ。ほらこれで温かいぞ美里」
美里の傍らに置き、火を入れる。
「今日は休んでもいいから、好きなだけ一緒にいてやりなさい」
そう言うと父親は美里の冷え切って真っ赤なほっぺたを両手で包んだ。
母親が、マグカップに入った温かいスープとトーストを銀色のおぼんに載せて運んできた。
「今日だけよ。朝ごはんまだでしょう。体に悪いわよ」
その時、うす寒い冬の朝に暖かい風が美里とその家族に通りぬけた。
梅の花びらはさらに散り、空に向かって渦を作って舞い上がった。
「くろ……」
美里は真っ青な高い空に飛んでいった花びらを見上げた。
頬の涙の跡が、渇いているの感じる。
「じゃぁ、俺行ってくる」
「ああ、俺も出勤するわ」
「わしも今日は会議があるんじゃ」
「お母さん、今日は夜に会合があるから遅くなる」
「あら、丁度いいわ私も明日、新作の納品があるから残業なの」
家族はいそいそと、縁側から家に入りガラス戸を閉めた。
広い庭に美里は、急にポツンと一人きりになった。
今度は冷たい空気が通り抜ける。
「さむっ」
美里はかけられたドテラを深く着直した。
母親が持ってきた温かいマグカップを両手で持ち一口飲む。
美里の好きなコーンスープだった。
「そうだよね。平日の朝だもんね」
トーストを食べようとすると土で両手が汚れていることに気が付く。
「……」
美里が袖口のボタンを触る。するとスクリーンが出て時間が表示された。
七時四十五分。
「学校休んだら、くろに怒られちゃうね」
『くろのおはか』を見て少し微笑む。
「行ってくるね」
立ち上がるとすねもスカートも靴下、ドテラ、ジャケットまでも土だらけなことに気が付く
一瞬固まって、ため息をつく。
「あたしって……」
そのため息と同調するように冷たい風がまた美里を通り過ぎた。
それから、六年が過ぎる――――。
◆◇◆◇◆
六条坂家は地元の名士だ。
元々酒蔵をしていて、代々藩主に地元の極上銘酒として上納していたほどだったが、温暖化の影響でいい酒を造るのに土地が適さなくなり先代が蔵を閉じた。
だが酒造りの中で使っていた酵母が貴重な菌であることがわかり、そこから様々な事業を展開。現在は地元企業として全国的にも名が通り六条坂は名家になった。
蔵を閉じた美里の祖父は会長としてその事業を見守り、父も大学では細菌を研究し博士号を取得。会社を継ぎ祖父と共に盛り立てている。
長兄は幼い頃からラグビーをしていて日本代表にまで選ばれながらも、一流大学を卒業と共に引退後、銀行に就職した。経営マネージメントを会得しいずれ父の会社に入るつもりだ。
次兄は大学在学中だが、起業し地方の小さい商店同士をつなげて小さなネットワークを作りその地元を活性化する企画がクローズアップされ、卒業前から注目の経済人としてテレビにコメンテーターで呼ばれるほどだった。イケメンで女子にも人気がある。
母親は独身時代から洋服の定額サブスク事業で成功するが、デザイナー思考が強かったため、効率化ばかり重視される流れに辟易としていた。結婚を機に事業を売却。今は猫の服を自分でデザインして制作・販売するショップを経営し、ネット販売を中心としていたが最近実店舗の三件目を都心に出した。
美里の家族はみな“出来る人”であった。
だが……。
「六条坂。わかっているとは思うが、進学なら相当頑張らないと難しいぞ。まぁどこに行くかにもよるけどな」
雑然とする職員室で、三年生担当教師の机が集まる一角に、担任と美里は膝を付き合わせて座っていた。
美里はうつむきながら口を開いた。
「先生。高校時代五十メートル走何秒でした?」
「あ? なんだよ突然。お前位の時は七秒くらいじゃないかな」
「私、九秒台なんですけど。うちの上の兄、何秒だと思います? 五秒台ですよ。五秒台」
「おお、すごいな」
「先生私の偏差値知ってますよね?」
「三……いや。偏差値は目安だ。共通テストの出来次第で結果は変わる。勉強すればいいんだよ。今からでも間に会うぞ」
「ウチの二番目の兄、高校時代の偏差値八十越えてたらしいんですよ。八十って何。逆に怖い」
美里は冷たい表情で語る。
「さ、さすがだな。あのテレビ出てる人か」
「先生、これなんだと思いますか?」
美里は、袖口のボタンを触りスクリーンに画像を映す。
ペイントソフトで描かれた落書きのような絵に先生は絶句する。
「ぱ、パンダ、いやこれは恐竜……」
「猫です」
「えー! これはお前、猫って」
「ではこちらは」
美里が次の画像に切り替える。そこには美麗に描かれた猫の絵が映っていた。
「一緒に描いた時の母の絵です」
「すごいな。デザイナーだっけ? やっぱり絵もうまいんだな。うちの猫制服もたしか……」
美里は画像を消し、制服のスカートを膝の上でぎゅっと掴んだ。
「先生。ウチの家族、天才ばっかりなんです。あたしみたいな凡人が生まれてくるわけない! きっとどこかで拾われてきた子なんだー! わぁぁぁぁ!」
美里は大声で泣きだし、他の先生たちの注目を集める。担任の先生は困った顔で薄い頭をかくと、机にあったティッシュボックスで美里の肩をかるく叩いた。
「ろ、六条坂美里よ」
「せんせー、フルネームはやめてください! その苗字で呼ばないで!」
鼻水まで出ているグチャグチャの顔に一瞬固まりながら、先生はティッシュを数枚出して美里に押しつける。
「お前さ。じゃぁやったことあるのか? スポーツ、勉強、芸術なんでもいいけど真剣にやったこと。お兄さんたちやお母さん。お前の父親だってスゴイ社長だろ確か。みんないきなり出来たわけじゃない。 努力して修練して積み重なった結果だろ。やったことなくて比べても差があるに決まってるだろう?」
美里は泣き止み、黙った。
「とにかく、六条坂よ。時間は容赦なく流れていく。家族が天才なのはわかった。ある種のプレッシャーもあるんだろう。でもな進路は決めなきゃならん。もし進学しないのなら就職って方法もある。自分の事だ。それこそ家族と相談をちゃんとしなさい。すごい人ばっかりなんだきっと良いアドバイスをくれるぞ」
「……はい」
うなだれたまま返事をし美里は職員室を一礼して出た。
教室に戻ると、仲良しの友達はもういなかった。
校舎を出て、校庭サイドの歩道を通る。
フェンス越しにグランドを見ると、昼食の時抱き合った友達が制服のままソフトボール部の後輩にバットを持ってアドバイスを送っていた。
挨拶をしようと手をあげて口を開いたが、息を吸っただけで止めた。
真剣な友人の表情を見て邪魔しちゃ悪いと思ったのだ。
とぼとぼと校門に向かって歩いていった。
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