おばすて山
「姨捨山の闇」
昔々、貧しい村では、高齢になった親を山に捨てるという悲しい風習があった。村では、年老いた者を養う余裕がなく、働けなくなった老人を山へ連れて行き、そこで一人きりにすることが習わしとなっていた。その山は「姨捨山」と呼ばれ、村人たちは口にするのも恐れる場所であった。
ある日、若い男が、年老いた母を姨捨山に連れて行くことを決めた。母は歩くのも辛そうで、足を引きずりながら、静かに息子の後をついていった。母は一度も息子を恨むことはなかった。ただ、黙って息子の手を握りながら、山の奥へと進んでいった。
山の中腹に差し掛かったとき、母が静かに呟いた。
「息子よ、この道を覚えているか?帰り道で迷わないように、木の枝を折って目印を残しておくのじゃ。」
男はその言葉に驚いた。母は自分が捨てられることを知っていながら、息子の帰り道を心配しているのだ。だが、男は母を置いていかなければならないという村の掟に逆らうことができず、やがて山の奥深くまで進んだ。そして母を残し、男は一人で帰りの道をたどり始めた。
帰り道、ふと木々の間に誰かの気配を感じた。振り返ると、そこには誰もいないはずの母が、じっとこちらを見ているような気がした。男はその場から逃げ出すようにして山を下りたが、その夜から奇妙な夢を見るようになった。
夢の中で、母は山の奥から彼を呼んでいた。
「帰っておいで……一人は寒い……」
その声は悲しげで、切実だった。最初は夢だと割り切ろうとしたが、夜ごとその声が現れるようになり、次第に現実と夢の境が曖昧になっていった。さらに、夜になると家の周りから誰かが歩き回る音が聞こえるようになった。まるで、母が帰ってきたかのように。
「息子よ、戻ってきて……一人は寂しいのじゃ……」
耐えきれなくなった男は、再び山に向かうことを決意した。母を捨てた場所に戻ると、そこには、冷たくなった母の体が横たわっていた。息が途絶えた母の顔は、静かな笑みを浮かべていたが、彼女の手には自分が残した目印の枝がしっかりと握られていた。
しかし、帰ろうとした瞬間、背後から寒気を感じた。振り向くと、そこには亡くなったはずの母が立っていた。
「帰り道を迷わないようにしてくれたのは、お前じゃったな……ありがとう。今度は私が、お前を連れて行こう……」
その声は、静かで優しかったが、何かが違っていた。母の目は真っ黒に染まり、無表情な顔がゆっくりと男に近づいてきた。男は恐怖で身動きが取れず、その場で凍りついた。
次の日、村人たちは男の姿が見えないことに気付き、捜索隊を出した。だが、山の中腹に残されたのは、冷たくなった男の体だけだった。彼の顔には、母と同じように静かな笑みが浮かんでいたという。
それ以来、村人たちは決して姨捨山に近づかなくなった。夜になると、山の奥から「帰っておいで……」という声が風に乗って聞こえてくるという。その声を聞いた者は、二度と戻ってこなかった。
姨捨山は、今でも深い闇に包まれたまま、誰にも踏み入れられることなく、静かに人々を待ち続けている。
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