三話/旅は道連れ

 千年樹海の師匠の家からは割とすんなり出られそうだと思う。

 行く道筋がはっきりしていたのもあるが。

 通常樹海内の道は、分断と繰り返しの結界によって囲われている。過去に一度、修行の範囲外に出ようとして繰り返しの結界に迷い込んだことがある。

 これらの結界は魔物と外からの万が一の冒険者から家を隠すためのものらしい。奥に行けば行くほど複雑かつ難解な道筋になるように張られているのだとか。

 樹海の出口まで歩いて行くうちに大木のような樹木は徐々に普通の木々のサイズに戻っていった。上から射しこむ暖かい太陽の光も大きくなっている。


「もう少しか…」


 リュックを背負いなおし、歩みを進める。

 じきに、数百メートル先に光のトンネルが見えた。光のトンネルをくぐるとき、僕は駆け足になっていた。好奇心が抑えられなかったからだ。徐々に広がっていく光の輪に、胸が高鳴る。


「ああ、これが世界なんだ…!」


 ついに光の先に出た。一陣の風が体を通り抜ける。

 眼前に広がっていた景色は、青々とした広大な草原地帯だった。ずっと遠くに人工物のような建物が見える。あれがおそらく「果ての星」なのだろう。ここから見えるという事は相当に大きい都市だ。


「行ってきます、師匠」


 僕は千年樹海の方に今一度向き直り、深々とお辞儀した。ズレたリュックを背負いなおし、草原の方に向き直る。出た先から樹海を見たが、入り口からは、普通の森にしか見えなかったが、とてつもなく大きいものだと分かった。緑の木々が、東西に伸びていた。

 踵を返し、都市に向かって歩き出す。時間はまだまだ大丈夫だ。多分午後一時くらいだろう。このスピードなら夕方には着きそうだ。

 真ん中くらいまでは歩いてきただろうか。徐々にかつての街道のような道に出た。はるか昔に整備されたようで、所々、雑草が生えている。街道の両脇は小さな林になっている。少し先に古い立札のようなものが見えたので近づいて何とか読もうとしたが、レンの教わった文字とは違う文字で書かれていて読むことはできなかった。

 残念だが仕方ない、そう思ってまた歩き出そうとしたとき、少し離れた場所からけたたましい音と、誰かの悲鳴が聞こえた。


「人か…?この音、襲われている?」


 体が勝手に動いていた。別に関わる必要などないが、体は悲鳴が聞こえた方へと駆け出していた。


「ッ…着装!」


 そう師匠に教えられたように呟くと、外套はまるで生き物のように小さく背中に折りたたまれた。


 向かった先には、興奮して暴れる馬と、倒れた小さな荷馬車の近くにいる怯えた男。狼型の魔物が数体、倒れた馬車を囲うようにうなり声を上げていた。

 魔物はどうやら僕には気づいておらず、目の前の得物に舌なめずりをしている。


 僕は咄嗟に恐ろしく無駄のない動きで跳躍し、師匠との修行の日々を思い出しつつ、真ん中を陣取る魔物に跳び蹴りを喰らわせた。蹴りは一撃で魔物の首をへし折り、蹴り飛ばした魔物は街道の奥へと吹き飛ばされていった。

 魔物たちは一瞬で外側へと散る。


「大丈夫ですか!」


 馬車の中の怯える男に声をかけた。男は目を見開き驚いたようだったが、状況が掴めていない様だった。


「…大丈夫じゃない!」


 間の抜けた隙間の後、男が叫んだ。それもそうだ。僕も昔だったら、普通ならそう思う。魔物に囲まれている状態で無事とは到底言えないだろう。

 だけど、師匠の修行を受けてきた僕にとって、この程度の数、この程度の魔物などに臆したりはしない。


 不意に視界の外から、魔物が飛び掛かってきた。


「危ない!」


 男が叫び目を覆った。もちろん僕は気づいていたし、魔物の牙が首に到達するずっと前に無意識に動いた体が蹴りを放っていた。蹴りは見事に魔物の頭を捉えており、難なく、魔物を吹き飛ばした。

 他の魔物はというと、いきなり現れた、弱いと思っていた獲物にんげんに二匹も仲間をやられたせいか、撤退ムードが見受けられ、少しずつ後退し、最後はバラバラに散って逃げていった。


 僕は深呼吸し気を整えると、暴れ馬を宥めてから男に近寄った。


「大丈夫ですか?怪我は?」

「あ、ああ、大丈夫だ…君は一体…、ああいや、すまない。助かったよ」


 男は馬車を起こして、馬を繋ぎなおしてから少しだけ息を吐きこちらを向いた。

 改めて男を見ると恰幅のいい壮年の男だった。蓄えた髭が特徴的で一度見たら忘れない顔だ。


「私の名前はドバ、近隣の村からクオーレイスへ物品を運んでいる。しかし、君は…見たことのない恰好をしているな。それに随分強い様だが…」

「僕はただの旅人です。それ以上でもそれ以下でもありません」

「そうか…、申し訳ない話だが私には今持ち合わせがなくてね…お礼できそうにない」

「お礼のために助けたわけじゃないですから、気にしなくていいですよ。それじゃあ、ご無事で」


 僕は外套を元に戻し、また街道を進もうとした。


「まってくれ!もし君がクオーレイスに行くようであれば、馬車にのって行かないかい?お礼にもならないかもしれないが、それくらいしなければな…」


 申し訳なさそうにこちらを見るドバに、僕は笑顔を向ける。

 せっかくの申し出だ。受けなければ損である。


「じゃあ、お願いします」

「ああ、任せてくれ!」


 小さな荷馬車の背に乗り込むと、ドバが馬車を走らせた。

 他愛ない世間話をしながら街道を進む。

 ドバは祖父の代からこの仕事をやっているらしい。近隣の村で編まれた布は、昔からある歴史ある布らしく、様々な用途で使用されるらしい。


「ところで、君の出身はどこなんだい?」


 何気ない質問だが、レンにとっては答えづらいものだった。さすがに千年樹海というわけにもいかないから、適当にはぐらかすしかない。


「…遠いところです。もう戻れるかは分かりませんけど」

「そうか、遠いところから来たんだな」


 今の僕から言える精一杯の回答だったが、ドバは別に気にしていない様だったのが幸いだった。

 風が心地いい。不意にあくびが出てしまった。


「眠たくなったら寝てくれてもかまわない、着いたらしっかり起こしてあげるから」


 ドバは笑いながら言った。


「じゃ、お言葉に甘えて」


 リュックを横に置き、仰向けに寝転がる。馬車から見える空は、雲一つない青空だ。僕はゆっくり瞼を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る