二話/旅立ち

「レン、いるか?」


 始まりは唐突だ。日課の水汲みを終えた、朝、五時半。

 朝の静けさと、冬特有の寒さの中、家の中へと足早に戻ったとき、書斎から師匠の声が聞こえた。普段ならもっと落ち着いている声だが、今朝はどこか違う気がした。


「何でしょうか?」


 少しの不安。修行の出来に不満があるのだろうか?魔物の間引きに不備があったのだろうか?

 僕は扉を小さくノックした。師匠は滅多なことでは怒らない。


「入れ」


 扉を押し開けると、師匠が険しい(仮面を外すことはないが)表情で椅子に座っていた。手には見たこともない豪華な装飾の手紙を持っている。


「レン、悪いが、頼みがある。私の代わりに中央の王都に行ってくれないか?、今のお前なら行けるはずだ」

「はい?」


 いきなりすぎて、理解が追い付かない。


「私はこの大陸から離れられない理由がある。そこでお前の出番だ」

「いや、でも…」

「ずいぶん前から外に出たいと言っていたじゃないか。ちょうどいい機会だと思うが」


 理由はよく分からないがこれはチャンスと見た。僕は師匠の説明も詳しく聞かぬまま、二つ返事で了承した。あとから思えば、僕は嬉しさで少しにやついていたがよくよく考えれば、明らかに厄介ごとだった。


「よし!、そうと決まれば話は早い。早速準備と行こう、着いて来い」


 師匠の口元は笑顔になって、立ち上がり、書斎を出て、開かずの間の前まで移動した。

 この開かずの間は師匠の部屋の奥にあり、普段は不可侵の結界に守られている。

 僕は普段近づかないし、師匠もよっぽどの事がなければ入らないだろう。


「ちょっと待ってろ」


 師匠が扉に触れると、解けるように結界が解除され、扉がひとりでに開いた。

 外からの雰囲気はただの物置で、見た目も普通の部屋と変わりはない。

 師匠が中に入り、がさごそと何かを探す音が聞こえ、じきに出てきた。


「あった。これだ」


 運び出されたのは長方形の古びた箱で、ふたを開けると、古びてはいるがなおも輝きを失ってはいないという風な、白い外套が入っていた。肩のところに流星のような文様が描かれている。


「私のお古だが、男のお前でも着れるだろう。かなり前に流行った魔法外套の類だ。まあ、魔法が使えないお前でも、拡張機能くらいは使えるだろう」


 僕はこの世界、本来の人間ではないから、魔法は使えない。天貫術はマナこそ使うが、アレは技術の類だ。魔法のくくりには入らない。


「こんなによさげなものをいただけるんですか?」

「これを着るにはいろいろな制約があってな。今の私では着れないのさ。それなら少しでも使えるお前に、旅の餞別として持たせてやった方がいいだろう?」


 促されるままに、外套を羽織った。見たところ分厚そうに見えたが全くそんなこともなく、サイズもぴったりだった。


「いい具合だな。それには工房の魔法が掛かってるから、色々な拡張機能が使えるぞ。例えば無制限ポケットとかな…。それと…」


 師匠はもう一度開かずの間に入っていき、今度は装飾が一つもない味気のない小箱をもって出てきた。ふたを開けると中には信じられないほどギチギチにコインが詰まっていた。


「これは軍資金だ。恐らくだが二百万ベルカある。奴隷の一人くらい買えるだろ」


 改めて考えてみると、ここは異世界だ。そりゃあ奴隷制度だってあってもおかしくはないのだが、僕はなんとなく複雑な気分になった。


「それと、奴隷を買うなら、メイド教会から買え。必ずだ。あそこは上質な奴隷を売ってるからな」

「師匠ちょっと待ってください。メイド教会?それって一体…」


 僕は困惑の限りで、師匠に詰め寄った。師匠はあきれ顔になり話を続ける。

 見たことのないような大金に、謎の組織。考えないほうが無理だ。


「メイド教会っていうのは昔からある、この世界で一番大きな奴隷商ギルドだ。何をしてもいい奴隷をメイドとして売っている。特務型っていう奴隷…いやメイドがいてな。連れまわしてもいいし、囮にして逃げてもいい。それこそ夜の相手だって…」


 つまりは万能なメイドってことか?少しも想像が出来ないが、飲み込んで話を聞く。


「それとだ、メイド教会の支部に着いたらこれを渡せ。昔なじみの好でなにかサービスしてくれるかもしれん」


 師匠は手紙を僕に押し付けた。見たことのない文字で書かれていた。


「師匠はそのメイド教会に知り合いがいるんですか?」

「…かなり昔のだからな。まあ、あいつにはそれも関係ないか…。レン、南の結界魔法は解いておく。出発するなら今日中に出ろ。まずは南の大都市「果ての星クォーレレイス」を目指せ。そこから王都に向かうための船が出ているはずだ」


 果ての星。本でしか見たことのない名前だった。たしか開拓都市とも呼ばれていたはずだ。


「クォーレイスに着いたら、メイドを買って、船に乗るんだ。お前のサポートはメイドがしてくれる。安心しろ」


 師匠は微笑みながら言ったが、正直に言うと不安でしかなかった。


「なんで師匠はここから出られないんですか?」


 一つ気になったことを聞いてみる。師匠は笑みを消し、真顔になった。


「またいずれ、時が来たら話すさ。それまでは聞くな。お前はただ、旅を楽しめばいい。私の心配なんぞ要らないからな」

「…はい」


 若干心に靄が残ったが、割り切ることにした僕は、師匠に進められるがまま、出発の準備を始めた。


 〇

 あんなに早く準備を始めたのに、終わったころにはすっかり太陽が真上に来て、お昼時になってしまった。

 簡素なリュックの中には、師匠特性回復薬効瓶が数本と、切れ味抜群のナイフ。リュックの上側には、野営用の小型寝袋が一つ。

 あとはあの、恐ろしいほどの大金と、師匠のメイド教会あての手紙だけだ。

 食料は、干し肉数個と堅パンという乾パンのでかいやつみたいなパン二つ。

 外套のポケットにナイフを差し込み、用意は終わった。

 これだけの荷物を持ちながら、重さは一切なかった。


「では、師匠。行ってまいります」


 玄関に立ち、師匠に深く礼をする。なんだかんだ言っても、不安より、楽しみの方が勝ってはいた。


「ああ、気を付けてな。お前の旅がよきものになることを願っているよ」


 師匠は微笑みながら手を振ってくれた。


 僕は初めての一歩を踏め出した。

 胸に希望を抱き、背に期待を乗せて。これからの旅が、素晴らしいものになるようにと願いながら。



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