泡沫

あじふらい

泡沫

薄暗い部屋の中で、テレビをつけた。

どこかの国で砲弾が飛び交っている。

後方であるはずの市街地で母親を亡くした前線の若い兵士が、虚ろな目を空に向けていた。

リモコンのボタンを押す。

急に音声が喧しくなり、どこかのスタジオで芸人たちが馬鹿騒ぎをしている。

次。

夜景の中で男女が熱いラブシーンを演じていた。


プツン

用の無くなったリモコンをぞんざいに放る。

家畜小屋のような狭いワンルームでソファベッドに横になる。

一週間前、出社する前にかきこんだカップヌードルのゴミが目に入る。


起き上がってそれをゴミ箱に捨てる気力もなく、スマートフォンに目を移すと、七年付き合った彼女からの怒涛のメッセージが届いているのに気が付く。

一番直近のメッセージの『もう知らない』という文字列を最初に認識し、アプリを閉じる。

彼女が結婚を望んでいたことは知っていた。

一年くらい前から別の男がいたことも知っていた。


全部、自分が悪い。

まともな愛を知らない自分が、人を正しく愛せるわけがなかったのだ。

彼女と家族になってしまえば、何かが壊れる気がしていた。


今日、仕事を失った。

今日、彼女に愛想を尽かされた。

実家とは折り合いが悪く、逃避をする趣味もない。

今の自分に残っているのは、この部屋と使い道のない貯金とこの命だけだ。

立ち上がる気力も、戦う勇気も、全てを断つ決意も、ない。

信じるものも、縋るものも、何も持っていないのだ。

妹には優しかった母がガラス戸の向こう側で読み聞かせていた、あの童話の人魚姫が羨ましい。

水に溶けて泡沫になり、弾けて何も残さず、消える、そんな綺麗な終わり方が果たしてこの世にあるのだろうか。


空気が湿っている。

ベタベタと衣服が張り付くのを感じて、ようやく自分がスーツから着替えていないことに気がついた。

ソファベッドの枕元に手を伸ばす。

カチャンと音を立ててエアコンのリモコンが落ちた。

裏蓋が外れて電池が飛び出している。

大きくため息を付いて、そのまま枕に沈み込んだ。


どこからかクラクションが聞こえる。

ネクタイを外して床に放り投げる。

それは意思を持ったかのようにカップヌードルのゴミの上に着地する。

着信が鳴り響く。

ミュートにしてスマートフォンも放り投げた。

大きな音を立てて、積み上げていた本が崩れる。


眠っている間に一切の痕跡を残さず全てが泡沫に消えていればいいのにと思いながら、目を閉じた。





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泡沫 あじふらい @ajifu-katsuotataki

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