第5話
斎藤さんは見るたびきれいになっていった。恋が人をきれいにするというのはあながち間違いではないらしい。以前より、周りとの会話が弾んでいるようで、笑顔で談笑しているのが目に入る。こちらと目が会うことも減った。
「吉野さん」
雨の日のお茶会は、まだ続いていた。季節は秋に差し掛かっていて、雨の日は減っていた。しっとりと町を濡らす小雨の中、薄ピンクの傘を差した斎藤さんを見つけては、その声に呼ばれついて行ってしまうのだった。
「彼氏さんに悪くない?」
私が切り出すと、斎藤さんは目を丸くしてしばらく固まっていた。
「まだ彼を家に招いたことはないの。ミケのこともあるし」
ミケは、ずいぶん大きくなっていた。最初に見たときも大きな魚と思ったが、今ではその倍の大きさだ。丸々と太った体をゆっくりくねらせて浴槽内を回遊している。魚のくせに水面から顔を出して、肉厚の唇を開きこちらにエサを要求する。
「こんなにでかい魚がいたら食べられちゃうか」
「もう、彼はそんな人じゃないわ」
知っている。あなたの彼がやさしくて、かっこいい車を持っていて、大きい企業に勤めていて、身長が高くて、少しだけすきっ歯で、既婚のお姉さんがいて、好き嫌いがほとんどなくて、お酒が少し弱くて、身長はあなたと5センチも変わらなくて、あなたのスカート姿が好きで、休日に通っていた図書館で出会って、あちらからアプローチされたことも知っている。全部横で聞いていたし、全部噂で流れてくるから。
斎藤さんがお茶菓子の乗ったお盆を風呂場まで運んで、私の隣に座る。風呂場はもう機能しておらず、過ごしやすいようにラグなんかひかれている。
さっきまで私におねだりしていたミケは、斎藤さんの顔が見えるとすぐにそちらへ移動して、パクパクと口を開閉させる。彼女はその口に、野菜くずを放り込んでやる。
「吉野さん、恋愛の話興味ないんだと思っていた。彼の話、してもいい?」
「もちろん」
「やった。吉野さんが一番仲良しだから、本当は一番に聞いてほしかったの」
彼女は、もう知っている話を一生懸命話し始めた。うまく相槌を打ちながら、彼女の顔を見る。ほほを赤らめながら、よくしゃべっている。目の端に、鮮やかな錦が映るので、私は退屈しなかった。
「人と付き合うなんて考えていなかったから、ミケもう池があるおうちじゃなきゃ飼えないね」
急に飛び込んできた未来の話に、私はのどぶえをつかまれたような心地になった。彼女が現実の話をしている。そんな話してほしくなかった。飾られて入れない風呂のある夢みたいな家で、ぼんやりとした停止した今を引き延ばしたみたいな未来しか話してほしくなかった。
「吉野さん、大丈夫?」
斎藤さんが驚いたようにティッシュペーパーを差し出してくる。息が苦しいと思ったら、いつの間にか泣いていたようだ。
「だいじょ、ぶ」
しゃくりあげるのどが止まらず、どうにか言葉を吐き出す。なんだか繁忙期のときみたいだ。これから彼女は、彼のためにおいしい手料理を作り、彼にやさしさを向け、彼とミケを育て、私なんてたまに思い出してはほほ笑むいい思い出にしてしまうのだろう。未来に、私の挟まる余地はない。それがどうしようもなく寂しくて、捨てられた気分になってしまった。
「わたしじゃ、だめだった?」
「え?」
彼女が困った顔をした。質問の意図が伝わってない気がしたけれど、もう私が泣いてしまったせいでだめになってしまった。ずっと仲の良い友達でいたかった。私はとぎれとぎれに言い訳しながら、引き留める彼女の手を振り払い帰路に就いた。
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