第4話

 繁忙期中は、斎藤さんのお誘いにとても助けられた。ご飯を作る気力も体力もない私に、何度も温かなご飯をふるまってくれた。自分では作らない、いや作れないような手の込んだ外国の料理から、実家を思わせるような優しい日本食まで。そのどれもがおいしくて、時々私は泣きそうになってしまうのだった。ただ与えられるご飯を享受しているだけの私は、しおれた現金を押し付けるしかできなかった。

「私の好きでやってるんだから、お金なんて」

「私、ほとんど毎日ごちそうになってるじゃない。食費が倍になっていることぐらいわかるよ」

 斎藤さんは困った顔をして、半分だけ受け取ってくれた。金銭のやり取りなんて無粋なことはしたくないけれど、疲れた頭では何も思いつかなかった。

 

 繁忙期が終わった。でも、2週間ほど斎藤さんと話す機会がなかった。打ち上げの飲み会がいくつか重なり、繁忙期が終わったと思ったら新しいプロジェクトが乱立し、その決起会と……もちろん部署は同じだから顔を合わせることはあれど、目があって会釈する程度だった。せめて斎藤さんとプロジェクトがかぶればよかったのだけれど、そんな奇跡も起こらず。私たちは自分の新しい仕事に向き合うのに精いっぱいだった。

 いつの間にか、斎藤さんの髪色が艶やかな茶色になっていた。先週までは柔らかく明るいミルクティー色だったはずだ。ふんわりとした明るい髪色も、彼女の明るい性格に似合っていた。今の髪色も、彼女の思慮深いところに似合っている。どうにか声をかけてほめたかった。

 コーヒーを買おうと自販機に行くと、ちょうど斎藤さんと鉢合わせた。

「あ、久しぶり」

「お久しぶりです、吉野さん。顔色よさそうでよかったです」

 目が会うと、斎藤さんはぱぁっと笑顔になる。久しぶりに話すからか私はドキドキしてしまって、次の言葉に一瞬詰まってしまった。彼女が髪色を変えてもう1週間近くたつ。それについて急に言っても変に思われないか不安に思った。彼女は両手に書類を抱えている。資料を運んでいのだろう。長く引き留めるわけにもいかない。

「そうだ、会えたら言おうと思っていたのですが、髪色似合っていますね」

 結局何も思いつかず、1週間ずっと考えていたことだけ口に出した。

「ありがとうございます。えっと、実は彼氏ができまして」

 予想外の言葉に、私は面食らってしまった。

「そうなんですか、おめでとうございます」

「彼、とってもスマートで。私もちょっとイメチェンしてみたんです。今度、お話聞いてくださいね」

 彼女は時計をみてぱたぱた駆け足で去ってしまった。コーヒー用の小銭が掌に食い込む。私は笑えていただろうか。


「吉野さん、また禁煙失敗ですか?」

 後輩の笑い声にはっと我に返る。私の手には、コーヒーではなく吸いなれた銘柄の煙草が握られていた。いつの間に買っていたのだろう。

「せっかく繁忙期に吸わなかったんだから頑張りましょうよ、私も頑張りますから」

「あれ、水野ちゃんもたばこやめたんだ」

「気が付いてなかったんですか!?私もやめたんですよ。今年こそ彼氏ほしいので」

 彼氏、という言葉に胸がずきりと痛む。今までいなかったわけじゃないが、そこまで真剣に考えてこなかった。自分には関係のない話だと、対岸から眺めているような事柄だ。さっきまで、関係なかった。今、目の前に現実として迫っている。3歳下の後輩は、早く彼氏を捕まえて結婚するんだと息巻いている。

「私、早く結婚して子供が欲しいんです。でもそしたら転職も考えなきゃだし、あぁ考えることが多い」

 二歩先を歩く彼女には、私の表情は見えていないだろう。

「この会社、子供育てるには大変みたいだからね」

 同僚や先輩が嘆いていることをそのまま口に出す。

「私は実家も遠方で頼れないんで、もっと緩いところに行かなきゃ、両立は無理そうです」

 彼女がこちらを振り返り、おどけたように舌を出す。私はあははと小さく笑う。そのまま後輩は自分の席へ戻っていった。

 うまくこなせたはず。ふぅと小さくため息が漏れた。学生時代の友人たちからのプレッシャーで、集まりに顔を出しにくくなった身としては難しい話題だ。皆、働いて結婚して子を産んでいく。それをしないことが決して劣っているわけではないといわれる世でも、疎外感は感じる。斎藤さんも、私から離れてしまうのだろうか。

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