Last Guardian

鈴ノ木 鈴ノ子

Last Guardian

 夏の日のことになります。あ、大丈夫です、怖い話じゃないですよ。

 久方ぶりのお休みでしたので、夜も明けぬうちから愛車(過重労働気味)の手綱を握り「ハイヨ!」と掛け声よろしく無理やりロングドライブへと洒落込みました。

目的地は夜勤明けの間を縫って通っている遠方の遺跡とダム湖です。その遺跡では座ってぼんやりとしているだけで、10分が1分に感じてしまうほどの私の身体にリンクする文字通りに「落ち着ける場所」な訳で、到着してぼんやりとしていましたら、1時間はアッという間に過ぎ去ります。正直、ここは私にとってパワーを頂ける場所(独断と偏見に基づく)なのです。

 さて、其処を訪ね終えたらどうしようかと前日に思案しながらグーグルマップを見つめておりました。私の旅は基本的に行き当たりばったりのようなものでお泊りはしません。大体がこの辺りに行こう、と思い立ったら昔は地図で、今はグーグルマップで下調べをしたりしています。ほかにも気の向くままに進んでいいスポットを見つけたら再訪することも多いですが、今回は目的地がしっかりしていたので周辺をしっかりと調べてみようと思い立った訳なのです。

 遺跡の近くはダム湖が2つ連なる珍しい場所で米軍プレデター偵察兵よろしく上空から未開地調査を行っている最中のことでした。

 ああ、書き忘れていましたが、このダム湖には2通りの道があります。

 右湖畔沿いは奥の集落のためにしっかりとした2車線道路で路面状況は「どこまでもいけるよ!」な道、左湖畔の道路はダム湖の保守管理などに利用されている道で路面状況は「覚悟できてる?」の道でした。その左湖畔の道沿いにぽっかりと一か所穴が空いていたのです。

 そしてそこに真っ白な建物が一棟だけ建っています。

 直感的に「神社だな」と、ダム湖の湖底には基本的に集落が沈んでいます。これは避けようのない事実で住民は移転せざるを得ないため離れていきますが、神社などは複数集落を纏めて山間の一か所に合祀して神社を建立しそして集いの場所にすることが多いのです。そのような神社に参拝することも私はよくやります。2回ほど不届きな賽銭泥棒と勘違いをされたりしたこともありますけど……。話が脱線しましたが、神社には建立に至った道筋が書かれていることが多いです。あのあたりの集落とこの辺りの集落とちょっと奥の集落の神社をすべて合祀して高いところに祀ったよ。みたいにと思って頂ければ結構です。それを読んでからダム湖を一周するとところどころに集落跡を見つけるのです。それは段々畑の跡であったり、石垣の上にコンクリートのあとであったり、橋や標識のあとであたりと様々で、ああ、ここに集落があったんだと学びながら自身はまったく関わりのない哀愁に浸る訳です。

 今回もご多分に漏れずと言うべきか、発見したので伺うことにしました。

 天気の良い日ですから、青空には絵画のような雲が浮かび夏とは思えない爽快な風が吹いています。窓を全開にして年甲斐もなくAmazonmusicでフルボリュームでカーステレオを鳴らし、それに負けじと大声で歌い騒ぎながらダム湖の堰堤の上にある道路を走り抜けました。

 この騒ぐにも理由がありまして、コンクリートでガッチガチに作られた重力ダムならばまったく怖くはないのですが、石ころ(人より大きい)が沢山積み重なってできたロックフィルダムは正直怖くて苦手です。渡っている最中にどれか1個がぽろっと落ちて、連鎖的にぽろぽろと崩れてゆき、やがてはザーっと水が流れて流されていく。子供の砂遊びのダムを見ていて思いついた恐怖は何十年たってもしっかりと沁みついたままです。ダムの多くは独立行政法人の水資源機構が管理していて、そこに勤める友人にこの話をしたら、「人間の心のダムのほうがよほど弱い」と諭されましたが、怖いモノはやはり怖いのです。

 また話がそれましたが、堰堤を超えた先の道は過酷そのものでした、もちろん、長年の運転テクニックで乗りこなしていきましたが、アスファルトはところどころ剥げており、落石があったり、枝が垂れ下がっていたりとしています、それを止まっては退かし、止まっては打ち払いを繰り返しました。

 轍はきちんとできていたので使われている安心を感じる道でした。

 目的地の建物に近づくと道はしっかりと開けて、観光バスが2台は止められそうなほどの大きさでところどころ草に覆われた駐車場が見えてきて、路面の敷き直されたアスファルトから管理されていることに確信を得て安堵しました。

 駐車場の真ん中のスペースに邪魔にならないように車を止めて降り立つ用意をします。山奥の場合には基本的に真ん中のところに車を止めます。どうしてかと言えばどこからでも逃げ込める最短距離の安全確保するためです。散策癖もあるので車を中心点にして行動半径を決めて、不審者はよほど出会いませんし、出会っても鞄などをぶつけて抵抗もできますが、野生動物はどうにもなりません。大切なので2度言います、野生動物はどうにもなりません。理屈が通じない本能に生きるモノ達に人間は敵わないことは身を持って知っておりますし、なにより携帯電波が通じないところが多いので何かあっても「助けて、お巡りさん、猟友会」もできないのです。そんな相手に裸一貫で戦い抜くしかない訳で、必然的に三十六計逃げるに如かず、しか手立てはない。だから、きちんと逃げ道を作っておくのです。

 さて、車を降りると草刈り機の音が聞こえてきました。

 周囲でダムの保全のために草刈を行っているのか、それとも神社の奉仕で行っているのか判断がつきませんでしたが、鳥居で一礼して神域にはいりますと、奉仕の草刈ということがすぐに分かりました。神殿脇の少し離れたところでおじさんが1人、草刈り機で草刈をしています。もちろん、声を掛けるなんてことはしません、草刈中に声を掛けて振り向かれた草刈り機に「ギャッ!」とされた人を片手くらい知っていますので危ない橋は渡りません。

 ダム建設の場合、合祀された神社は綺麗に整えられていることが多いので割と綺麗なところが多いです。今回、ご訪問させて頂いた神社の神殿も立派な鉄筋コンクリート造りの神明造に似た荘厳なものでした。目の前には開けたダム湖が広がり、太陽の光を湖面に反射させ、青空と雲のコントラストが絶妙の見晴らしを添える素晴らしいポイントに建立されています。こういうところは本当に気持ち良く過ごせるんですよね。

 いつも通りに手水舎で持参したペットボトルの水で手を洗い、口を漱ぎ、清めたあとで、神殿前に上がり2礼2拍手1礼をしていつも踊りに参拝を終えようとしたときのことでした。

「参拝ですか?」

「はぃい!」

 草刈り機をぶん回したままで少し先の距離から草刈のおじさんが声を掛けてくれました。多少不振がりながら草刈り機の刃はクルクルと回転したまま……、きっと紳士的なジェイソンに襲われるとしたらこんな感じなのかなと場違いなことを考えていると、おじさんは更に奇抜な事を口にしました。

「よかったら中を見てく?昔の写真とかあるから、氏子やっていて管理を任されているから、鍵あるよ」

「是非とも!」

 お昼のタモリさんのやっていた番組ノリのように反射的にそう答えました、嬉しそうにジェイソンは草刈り機のエンジンを切ると草の上に置き、近くに止められていた軽トラから鍵を持ってきてくれました。

 重厚な黒塗り扉の鍵が開き、一礼してから一歩足を踏み入れれば、綺麗に収められた祭具、光を宿す本殿の鏡、そして一段高いところに神様がお祀りされておりました。

 神殿内は綺麗に掃き清められており、蜘蛛の巣一つなく手入れの行き届いたさまは神職が常に常駐している神社といっても謙遜ではないほどです。建物の両側に据え付けられたガラスの扉の収納棚に収まっている御神輿やお太鼓、天狗面、巫女の冠や鶏、そして獅子頭、どれもこれもが綺麗に磨かれ手入れされて薄暗い中でも光り輝いて見えました。

 今すぐにでも御祭りの幟りを竹竿に立て、老練な神職が卓越した祝詞を奏上し、巫女が清楚で鮮やかな奉納舞を踊り、男たちが神輿を担いで勇ましく練り歩き、お獅子が躍りながら幼子を怖がらせるような情景が思わず脳裏に浮かぶほど。

「もう、何十年と出してないよ。5月に祭礼はするけれど、集まらなくなってきているから、これも時世だね、最近は御多分に漏れずさい銭泥棒が入ってね、正面が固いと見る神様の辺りからぶっ壊して入ってきてた、まったく罰当たりだよ」

 悲しそうでなくただ、淡々とおじさんはそう言って祭具を見つめているのを、私は賽銭泥棒が祟られて絶命尽きてくれたらと不謹慎なことをそこはかとなく思いながら、一抹の寂しさを覚えました。

 おじさんは過去の集落写真を示して、ダムに沈む前の近くの集落を説明してくださいます。170戸の家々が急峻な山肌に段々と建ち並び、その下方には段々畑が数多く見受けられました。集落の中心部には商店や役場など数多くの人々の営みがあり、人々の暮らしの息遣いが垣間見えた気がします。

 おじさん自身の昭和50年代初めに試験淡水で完全に集落のあとが沈み湖面がしっかりと現れたのを見たこと。そこから数年前に30代間近で両親家族と共にこの土地を離れ30分ほど下流の地域に移住したこと、集落の方々が利便性の良く遠い都市部へと離れて行ってしまったことなど、数多くのお話を伺うことができ、改めて私は湖面の下に眠る集落に思いを馳せました。

「移住で親父が1代目で俺が2代目、息子たちは来ないから、俺らの代でここも終いだ」

「息子さんも手伝ったりは?」

「今住んでいるところのお宮もあるからな、それにここで育ってないから中々に来たがらんし。20年前は80人以上が集まったんだが、減って減って、10年前には40ちょい、ここ3年は10人にも満たないよ、高齢で来ることができなくなってるからなぁ」

 伺った移住先の土地からこの地までは確かに高齢の方には厳しいと思われるほどに遠い。

 私自身も年を取ってくると若い頃はイケたことが今は難しくなってきていることを実感している世代なので考えさせられます。若い人にはわかりにくいかもしれませんけれど、高校生でできた馬鹿が大学生になるとできなくなるとでも例えたら……ちょっと違うかな。

「実はもう閉じようって話が出てるんだ」

「ここをですか?」

「ああ、氏子が居なくなったら管理もできやしないからな、まぁ、仕方のないことなんだよ。俺ともう1人でできるところまで頑張って、草刈や維持とかなんとかやって、その終いまで頑張るさ」

 別れ際にそう言ったおじさんの顔は寂しさではなく何とも言い表すことのできぬ表情だったのが印象的でした。

 集落のことを教えてもらったので元来た道を戻ることはせず、ぐるっとダム湖を廻ってみることにして荒れた道を進んでゆくと暮らしのあとを一つ垣間見ることができた。

 泥を被りたまたま湖面上に現れた段々畑の石垣の跡。

 実際に見たこともなく、過ごしたこともない、だけれど、きっととれた野菜を見ながら溢れた笑顔はとても素朴で素敵な表情ばかりであったと思うのです。

湖面を挟んで反対側の小さな休憩スペースに車を乗り入れて、遠方から神社の写真を撮ろうとして、ふと隣に石造りのこじんまりとした石碑に視線を奪われました。

 『ふる里』

 ただ、一言、ふる里。

 おじさんが守り続ける一篇。

 誰に頼まれたわけでもなく、誰に褒められるともなく、誰に望まれるともない。

 自らの故郷を愛して慈しんで最後まで手を差し伸べる。

 私はこんな素晴らしい生き方を考えたこともない。

 そう、Last・Guardianのような男のふる里は、今日もまた水面の底で生き続けているのだと思いカメラのシャッターを押しました。

 草刈り機のエンジン音が聞こえくることに涙しながら。

 Last・Guardianに最高の賞賛と心からの敬意を込めて、鈴ノ木鈴ノ子 拝

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Last Guardian 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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