第8話「昭和という節目」
1926年12月25日──昭和。
日本の行政にとっては大きな時代の変化であるが、今日と昨日が大きく変わることなく大半の者は忙しく生きていた。
日本の隣国では、大きな変化があった。
中国大陸では激しい内乱が続いている。
蔣介石率いる国民革命軍と、ロシア革命残党の息を浴びた共産党軍、張作霖の北洋軍閥が乱立し群雄割拠の有様である。
日本の経済は、ソヴィエト帝国、イギリス帝国、アメリカ合衆国の3列強の間にある大国として重工業や機械化された農業で急速に発展しつつあった。明治以来の貪欲な専門用語の日本語化もさらに進み、様々な分野に置いて、おおよそ日本語化された専門書が読める程には学問を広めている。
それには帝国航空宇宙軍の働きがある。
度重なる陸海の、列強に相応しい軍拡の予算申請が滞ったのは航空宇宙軍のせいではあるのだが、銃後を一手に引き受けたと過言ではない『帝国宇宙社』は経済や技術など文民のような仕事が目立っていた。
そんな中、日本も中国大陸への経済的な進出を進めているが……急速に発展する国内事情が優先されて中々中国への進展は少ない。先のシベリア出兵での陸軍に対する、懲罰的な処分も、陸軍を抑制していた。
シベリアにこだわり命令違反した将軍以下、宇宙軍の『非情な宇宙人共』に背中からガス兵器で皆殺しにされたとの噂があるのだ。国軍を処刑する為の天皇直轄の軍隊なのではという話もまことしやかに話されていた。
ただ日本は『対華21カ条要求』と『日清通商航海条約』があり、有利な貿易から利益も出している。それが問題であった。
蒋介石は反日として日本からの解放を扇動し不平等条約を一方的に破棄した。日本人を大陸から追い出す為の襲撃事件が頻発する。
幸い幾つかの小さな事件に過ぎない。
租界の中国側官憲の活躍と協力もあり、外国人被害そのものは抑制されてはいた。しかし確実に被害は出ており、天秤が危険に傾き始めつつある。
そんな1927年1月3日。
帝国航空宇宙軍本部。
コンクリートと鉄筋作りで、陸軍や海軍の煉瓦作りの建物より幾分か美しさに欠ける建物の会議室から静かな怒りが漏れる。
「コミンテルンの害虫どもがッ」
瑞端には珍しい罵倒だ。
「閣下、落ち着いてくださいよ」
と、センシティブな女性が瑞端の両隣に座っていた。頭には兎耳のヘアバンド、兎の尻尾の付いたレオタード、それに足には濃い糸のストッキング!を履いた美女である。その胸は平たく、瑞端の鼻はマリアナ海溝の底に届くほど伸びていた。
ブレストラン・ブービーズ。
ちょっとドギマギするセクシー系大人の飲食店である。こっそり瑞端がポケットマネーで出資していたり、個人的な情報拠点でもあったりする。
全員が全員、学問に明るいわけではない。
水商売をしていたものがいきなり嫁になれるかは怪しく、またその修練だけを積んできた子供が必ずしも学問の道に進められるかどうかは性格次第なのだ。
居場所が微妙に無いような輩の避難場所であり働き口も、瑞端は幾らか作っていた。戦争で未亡人となれば大黒柱の代わりは難しい。
兵士も同じだ。
仕事が必要だ。
「すまない。あー、杵築らはちゃんと働いてるか? ちょっと頭がおかしくなってる奴だが一応な」
「働きものだよ。お触り禁止だってのに、触ってきたり、買おうとする奴らがいたら頼りになってる。元軍人さんは違うね。でも、うちみたいな店てのは閣下に失礼だけで名誉みたいなの大丈夫?」
「食うに困れば選べん。それに抵抗が低いのを選んだ。だからこそ優しくしてやれ。ずっと傷ついてる」
「オーケー。甘やかさない程度にね。勘違いされたらたまらないもの。心の診療もお仕事の範疇!」
「本当に感謝だな、浅野さん、ありがと」
「どういたしまして」
ところで、と、浅野がズイと出てくる。
「ふっふーん」
浅野が胸から出したのは手紙だ。
国際メールの色だった。
「アナスタシア閣下からサンクトペテルブルク支店経由で届いたの。兎ちゃん達の手で直接ね。なんだと思う? コミンテルン!」
「俺、答えてない──」
「──切るわね」
浅野はビリビリと楽しげに、どこからか取り出したペーパーナイフで口を手紙の口切った。鋭く研がれたナイフで美しい切り口だ。
「はい、どーぞ!」
「どうも、浅野さん」
浅野さんが目配せする。
浅野さんともう1人のバニーが立ち去った。近くで護衛をしているバニーらも浅野に人払いされる。
「日本軍や日本の新聞社のスパイか。レーニンが処刑されて共産革命の夢が潰えたのによくやるよ」
コミンテルンとは国際共産主義運動組織だ。世界同時革命の夢の実現を目指していたが、レーニンら指導者の多くがロシア革命の失敗で死に、今や各国に散り散りだ。
コミンテルンは共産主義という魅力的すぎる夢で喰い繋いでいる。資本家の激烈な労働者階級への搾取の反動は根強い。
瑞端は便箋を次に送る。
チャーリー&ジョーンズ社がフロントになって、商品をあちこちに輸出入しているということを書いてあった。ソヴィエト帝国でもそれなりの地位を築いている、という内容だ。
こそこそするのは漢らしくない。
便箋にはそう書かれていた。
瑞端の手のものと知られていた。
他には日本からの技術流入の懸念、あるいは個人的な心配ごとが続いている。工場での安定生産が完了している商品についてだ。
電磁波兵器、電磁波測距儀、戦艦にも使える数世代先とも言える方位盤、駐退復座機のついた野砲やら大口径砲および砲弾の共同工廠設立、各種の測定装置やら枚挙な数を一々注意書きで延々と続いていた。
トラクタやチェーンソに4脚トラックなどの開拓に必要な大量の道具には素直な感謝が付いている。
「まだ葉巻型潜水艦や戦艦の量産と、世界中への売り込み用の商用ドックがあるんだけど黙っとこ……」
航空宇宙軍では空軍としての戦略爆撃機などを配備し研究する一方で『水中戦闘機』として海軍から潜水艦の枠を融通して貰っていた。
太平洋の半分以上を制圧する水中艦隊だ。
ブロック工法で分割された船体を溶接して繋げることで大量生産が進められる。溶接技師を大量に生産して困りはしない。
商用船舶とのバランスを見て『暇な時間に片手間で仕事』を振るだけで完成していた。
鋳造、鍛造、あらゆる作業がだ。
軍属の工廠よりも、遥かに頭数の多い民間を10年も育てた結果が、工場の能力、機械や人間の底上げがあってこその当然の能力が発揮されているだけだ。
アナスタシアからの手紙の最後の1枚には、宇宙無線局を打ち上げる場所の選定ができたので工事を着工する、という旨が短く挿入されていた。
読み終わり、瑞端は短く息を吐く。
ほとんど同時に浅野が戻ってきた。
「チャーチル閣下から“ウランは確保できそうだ”との話が口頭で伝えられています」
と、浅野は瑞端の頰を突いて続けた。
「ウェールズのドラゴンとRAFが交戦したという機密を話されていました。閣下、もしや……」
「そうだね。うん……うん、もう僕にはできることはないほど世界は上手く回ってる。やっぱり人間は凄いよ」
瑞端は自身の足はパンと叩く。
かなり役立たずになった足だ。
「饕餮の時と同じようにいこう」
それよりも、と、瑞端の顔は真剣だ。
「ちょっとムチムチ尻を見せてくれ──」
──とても軽い張り手が頰を打った。
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