第6話「進む時代の人」

 1924年10月5日。


 アメリカ、ボルチモア。


 メリーランド州最大の都市であるこの場所で、世界最高の水上機らが海にフロートを下ろす。ボルチモア港の船が固くもやいを止め、細長いチェサービーク湾岸には人が並び待っている。


 シュナイダートロフィーレース。


 例年とはまるで違う、軍民問わずに参加機の多さがボルチモア港の海を色とりどりに飾っていた。


 観戦する婦女子方の足は最近流行りのタイツだ。薄く伸びる生地で見せつける短いスカートはアメリカで大流行している。


 チャーリー&ジョーンズ社の関連会社が出した合成繊維を大量生産して産まれた商品だ。


 セクシーで、人気を博している。


 今ではアメリカだけでなく日本、ソヴィエト、イギリスと国を跨いで女性の足を包む大人気商品である。


 チャーリー&ジョーンズ社の幹部は困った表情をしていた。なぜならばこのタイツ販売の為に合成繊維の生産を始めたわけではないからだ。


「バニースーツ、バニー!」


 うっきうきで、教え子が参加する飛行機ではなくタイツでセクシーな足を双眼鏡で見ている日本人がいた。その男は夢が叶ったような顔をしている……帝国航空宇宙軍の父、瑞端であった。


「閣下! 本国からの電報を復号しました」


「お尻をお尻!」


「……」


 色ボケていた瑞端の頰が引っ叩かれた。頰に赤い紅葉が残った瑞端はしらふで電報を読む。しかし横目ではアメリカ美女を見ていた。


「なんて忍耐力なんだ!」


 観客、それも飛行機乗りが驚く。


 観客がボートまで出して賑わう激しい喧騒の中、日本の白塗りの機体が甲高いエンジン音を引きながらパイロットの少女の体の限界を超えた加速度の、鋭角なターンでパイロンをクリアしていく。


「北京でクーデターが起きた。清国皇帝、いや外国元首の愛新覚羅溥儀が紫禁城から追放されたぞ。こりゃ川島くん大喜びだな。落武者狩りに出ないように鞍を隠さないと」


「辛亥革命で帝位は返上したのでは?」


「清室優待条件で皇帝の地位そのものはあったさ。今回ので無くなったけど」


「イギリスも落ち目の皇帝の保護など嫌でしょうに。中華民国がなんというか」


「オランダも拒絶した。なので日本の租界に来て保護しているんだと。陸軍だな。わからないでもない。満州族か。都合は良いんだ。ただ……。ところで人間が限界を超えて働く要因てなんだと思う?」


「家族とかですか? 富とか名声とか」


 水上機がエンジンを唸らせ飛んでいく。


 瑞端は、良い音だ、と、かんじていた。


「自分の失敗を受け入れないときだよ」


 観客からの驚愕の声があがっている。


 着水した水上機、フロートを履いた白鳥の白い機体から耐重力加速衣を着込んだ女性パイロットが出て腕を振る。


 1924年最速の女、藤原寅子だ。


「チャーリー&ジョーンズがずっと活動していたからだな」と、瑞端は、アメリカ人が当たり前のように日本人の優勝者に対して拍手をしているという状況に感慨深いものがあった。


 チャーリー&ジョーンズ社が起こる前の下地作りを含めれば10年だ。10年かけてアメリカ人の一定数に、それもシュナイダートロフィーレースという大舞台で、日本人に祝福をしても大喧嘩の乱闘騒ぎや罵りあいが起きない。


 それが見られて、瑞端は満足だった。


「俺は帰るよ。優勝祝いに小切手を書いておく。みんなで使ってくれ」


 瑞端は歓声に背中を向けた。


 華やかな大会の影で、この世を怨んでいるような浮浪者に銭を落としていく。


「最悪だよな。やり直してみたいならチャーリー&ジョーンズに行ってみろ。瑞端の紹介だと言え。その紙幣も持っていけ。使っても良い。両替えしてもらってもな」


 瑞端は帽子を外して笑う。


「やりなおせる人生は幾らでもあるさ」



「ほぉ……新型の6.5mmか……」


 南部麒次郎中将が目を丸くする。


 高齢かつ髪は無いが髭を生やした厳ましい彼は睨むように視線を運べば迫力があった。


 16式自動小銃が採用されてから9年が経過していた。6.5mm弾を20発の弾倉で連射する16式は陸軍にも大々的に採用されていたが、廃銃の欠陥に悩まされていた。


 同じ口径の弾を使う38式小銃の廃銃問題は陸軍研究所でも明らかとされているものではあるが、6.5mmに問題があるのではないかという仮説が立てられている。


 泥を被ったとき銃口付近が特に強い圧力が掛かり破裂する、煉瓦や泥に銃身を預けて撃つと加熱と冷却で大きく歪むなどして、また特に大陸の風土と実戦場で頻発する環境への対応に、小改造は繰り返していた。


 銃身の材質の変更。


 6.5mm弾の改良。


 機関部の再設計。


 銃の試験は特に陸軍の優秀な研究チームの分析に委託され、大きな成果をあげていた。膨大な記録と実験の繰り返しで、16式は改2型として完成度を向上させている。


 初期投資が莫大なプレス加工を多用した製造方法にも賛否があるが航空宇宙軍と陸軍の共同出費で工場を建てることで既に全軍への配備が完了している。


 また軽量化の為、一部が樹脂素材に変えられている。これもまた航空宇宙軍、瑞端の主導した化学工場からの素材だった。樹脂素材は応用幅広く、缶詰のみの選択肢であった糧食に、より軽量なタイプのバリエーションが追加された。


「合成樹脂の銃床も気になるな。有坂閣下と一緒に設計した頃はクルミだった。見慣れん」


 と、南部は言いつつも小銃を取る。


「とはいえ元々、日清、日露の戦場の研究をしていた陸軍でも廃銃の問題はともかく、より高い連射速度を求めていて、また交戦距離を短くして良いと考えていたからね。16式自動小銃は降って沸いた良い装備だった。6.5mm弾を半分に切り詰めた自動短機関銃へと繋がるのも良い」


「弾の生産工場があまり増えていませんが」


「それでも師団増設の強行をやめたのは正解だった。完全充足した装備は、小言の多い陸軍でも理想だよ」


 瑞端は航空宇宙軍工廠で出荷された16式自動小銃が木箱に次々と収められていくのを見守った。


 満州の馬賊支援だ。


 陸軍の繋いだパイプだが、瑞端としては満州評議会に1人残らず馬賊を放り込んで首輪をかけたかった。


「弾倉まで合成樹脂か……ついていけん。耐えられるのか、あんな玩具みたいな材料でな。信じられんが……陸軍研究所はバカではない」


「最大の賛辞をありがとうございます、南部中将閣下。良く働いてくれている銃です」


 南部は複雑な顔を、瑞端に向けた。


「……大倉財閥から出資されて南部銃製作所を開いた自分が若造より小さく見えてしまうな」


「とんでもない、南部中将!!」


「三十年式歩兵銃や十四年式拳銃は、航空宇宙軍でもバラバラにして研究しています。新しきを作るは古きを知ってからです……あッ」


「ふっ……古い、か。有坂閣下の三十年式をか。はっはっはっ。さて少しは図面が引けるようになったか見てやろう。それと中将呼びは控えろ、軍を辞めておるからな」


「そ、そう言うことはうちの学校の生徒に……講師としてお呼びしますので、私は遠慮させていただきますので──」


「──馬鹿者。いっぱしの鉄砲屋になるまで鍛える。お前、アメリカに行ってたろ。奇遇だな。参考に輸入している。図面に写して見ろ」


「えぇ〜!? 忙しいんですが!!」


「中将から命令だぞ」


「退役したでしょ!」


「足が不具なのだから腕を鍛えろ、腕を」


 南部銃製作所の設計室で新人待遇で、こっぴどく叩かれる瑞端の姿があったが、それは他製作所でも稀にあることだった。


 亡霊みたいなものだ。


 認知されていたが、瑞端は嫌であった。


「ちゅ、中国人や朝鮮人の留学生の時間はできませんので自分は失礼させていただきます。アメリカ帰りで時差ボケがありますので」


「白川くんや松井くんと仲が悪いそうじゃないか。瑞端は、あの日露戦争の英雄、永沼さんには可愛がられているというのに……変人に好かれているのか、お前は。変人と言えばお前の学校、謎の円盤を切り出して何かしているらしいぞ」


 南部は瑞端の話を聞かないことにしていた。まるっと聞こえていない無視である。


 こりゃダメだと瑞端は話を変えた。


「そんなことより中将閣下! 自分は! 自分はバニーガールバーに行くのです!」


「この破廉恥が……」


 南部は軽蔑した視線を下ろす。


 瑞端は首根っこ捕まれ連行された。

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