第4話「テック・ゲーム」(1)

 1921年5月30日。


 イギリス、マン島。


 その公道で各国から遠征してきたツーリスト達のバイクがエンジンを響かせる。あたかも獣の唸り声のごとく、今にも封鎖された公道へ飛び出さんとする獰猛さに首輪の鎖を鳴らしているようだ。


 マン島ツーリストトロフィーレース……世界でもっとも危険なオートバイレースの会場だ。


 コースはマン島の首都ダグラスからスタートして、北東海岸部の町ラムゼイまで往復する。


 1周は60.7km。

 

 200以上のカーブ。


 海抜0mから396mの高低差。


 そして普段は一般道として使われる道。


 事故で死ぬツーリストは数知れず、数々の選手達が死んでいった場所であり、栄光と名誉の戦いの舞台だ。


 日本人ツーリスト達もマン島で開かれる「マン島TT 500ccシニアクラスレース」に参加するために、イギリスを訪れていた。


「君のチームは大注目されているよ」


 と、観客が教えてくる。


 言われた瑞端は、英国紳士からサンクトペテルブルクで貰ったお茶を雑に飲みながら、その注目されている光景に目をやる。


「排気管の構造がおかしいぞ」


「カウルというか虫の殻だな」


「スポークでなく一体鋳造?」


 オートバイが好きで観戦に来ている者、あるいは専門家やツーリスト自身が見たこともないマシーンに強い興味を惹かれていた。


 知らない技術はそれだけで魅力的だ。


 それがこれから動くならばなおさら。


 瑞端は時計を見た。


 スタートの時間だ。


 2台ずつ10秒間隔でスタートする。


 マシーンのエンジンが獅子のごとき腹を揺さぶる咆吼を上げる。そして日本チームの番だ。


 スロットルバルブが開けられ、燃料と空気の混合気がシリンダーへと噴射され、ピストンに圧縮された極限のなかスパークプラグが弾けて強力なパワーを起こす。


「おォッ!?


 地獄が割れたような大絶叫に腰を抜かすような柔な人間はマンTTの観戦などしてはいない。


 激烈に大気を引き裂いた爆音への歓声だ。



「来年があるさ」


 瑞端は、帝国航空宇宙軍でも最高の自動車部メンバーが今にも死にそうな顔で落ち込んでいるのを見て苦笑する。


 マン島TTレースに優勝する気概で乗り込んだ結果は、4位と5位という結果だ。最高の技術、最高の環境での訓練、血の滲む努力は、少なくともその一部を軽々と上回られた海外選手にトロフィーを譲った形だ。


 チームはこの世の終わりて顔だ。


 絶対の自信があった無理もない。


 多少の怪我はあるが、擦り傷程度で、マン島のコースを生き残れた。偉業であるが満足した帝国航空宇宙軍の人間はいないだろう。


 列強を超える!


 万全を期して乗り込めば負けた。


 負けた、それが全てであるのだ。


 瑞端はマン島やイギリスの観光でもと企画していたが意気消沈するチームはそれどころではないだろう。


 瑞端は考えた。


 面白い物を見れば元気になるだろう。


「イギリスに寄ったあとドイツに行こう」



 フリードリヒスハーフェン。


 ドイツ帝国最大の『空中艦隊』が根拠地とする空気より軽い鉄鯨の群棲地だ。


 ツェッペリンの硬式飛行船である。


「ドイツは世界2位の水上艦隊を保有しているが──イギリスとどっこいくらいだ──空中艦隊であれば世界最大だ。ドイツ領土内での飛行船の就航数もアメリカより多い。気象観測の精度と密度も最先端。世界最大の飛行船大国で、ここ、フリードリヒスハーフェンはその心臓部というわけだ」


 空気より重い重飛行機械とは、まったく違う、水素で浮かぶ軽飛行機械達は別の美しさと巨体を放っていた。


 航空宇宙軍のレースチームは消沈などすっかり忘れて、桁違いに巨大な物体が、まさしく鯨が海中を泳いでいるかのように、空中でゆっくりと方向を変えながら遠ざかっていく。


 砂色の外皮は日に焼かれて灰色に近く、細長い巨体は複雑なフレームの骨格と巨大で多数の気嚢、偶数の数のディーゼルエンジンの回すやはり大きなプロペラを比較的低速で回している。


「格納庫や工場の見学はいきなりだから無理だが……飛行船がドイツ全土に飛んでいる光景を見る機会なんて日本には無いからな」


 瑞端は少し残念な顔で見上げていた。


 大日本帝国航空宇宙軍の目標は、宇宙空間を活用する新世代の歴史に達することだ。その為には航空宇宙軍工廠だけでは足りない。他国や民間とも密に協力して、1年1日を早めようとしている。


「瑞端さん、アレは?」


 と、陸軍から航空宇宙軍に転向してきた神哉上等兵が指を指す。そこにいたのはドイツ帝国でも最新の重機で『足が』あった。


「足付きだな。イギリスに戦車有り、ドイツに装脚車有りて言うのがある。フランスもいるが……そうだな、どう思う、あれ」


 瑞端は逆に訊いて見た。


 それに豪農の嫡男であることとインテリだということで陸軍に馴染めなかった神哉の『馴染めなかった考え方』で言う。


「完全に歩いていますね。外にシリンダが露出しています。油圧か空圧……油圧の方がパワーがあるので油でしょうか。ピストン運動で脚部の関節を動かしていると思料します」


「うん。もう少し聞かせてくれ」


「えっと……」


 空気がザワザワとする。


 授業で詰めているようだ。


 だが神哉上等兵は答えた。


「私見ですが、鳥のように見受けられます。自分は鳥が好きで幾らか知っているのですが、ニュージーランドには飛べないが巨大な鳥、オオゼキオオモアというものがおるそうです。これが大変に巨大でして、頭を伸ばせば3mを超え、体重は200kgを軽く超えて熊並み、そういう怪物みたいなのがおって、ドイツさんのは……きっとオオゼキオオモアが目の前にいればこれのようだ、と」


 瑞端はニコニコとしていた。


 瑞端の内心は「オオゼキオオモアてなんだ?」という疑問でいっぱいだ。全然知らなかった。


「……さぁ帰るか!」


「閣下!?」


「これ絶対知らないぞ!」


「そんなことない!」


「絶対知らないって!」


「神哉! もっとなんか、こう、怪獣みたいなの言ってみろ! 閣下の嘘を見抜いてやる!」


「嘘とは失敬だぞ貴様らッ!」


 飛行船が──ゆく。


 ディーゼルエンジンの油の臭いを風に運ばせ、巨大なプロペラを回し、骨組みされた中にある気嚢や外皮を揺らしながら。


 その下で瑞端は尋問を受けていた。


 マン島TTの敗退の意気消沈は、機械式のオオゼキオオモアなる鳥と、砂色の飛行船が引く風に吹き飛ばされていた。


「大した物だよ。軍拡の今の時代、列強の加熱した建艦競争に待ったをしようとイギリスとアメリカは海軍を持つ国を呼ぶて話だ。軍縮会議だよ。ドイツ帝国は海軍以外の技術をかなり伸ばしてる。見ておけ、列強は伊達で名乗れるものではない。確かな基礎技術と工業力、研究力を持っているということをな」


「無知が努力しても理解は遠そうです」


 そうじゃないんだがな、と、瑞端は思いはしたが否定はしなかった。誰でもない瑞端が衝突する側の人間だからだ。


 理論的に正しいと実証は違うのだ。


 だからこそ瑞端は、完成形があるのならそれを共有することを躊躇わない。フリードリヒスハーフェンに立ち寄った理由だ。

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