第3話「新ソヴィエト人民帝国の発芽」(2)
戴冠式は、伝統あるモスクワの大聖堂でおこなわれる。支配者としての絶対的な皇帝というものは消えたが、皇帝そのものは残っている。
前皇帝が隠れて新皇帝が即位。皇帝が即位するのに皇帝の力のほとんどは公式には無くなる。民主的な政治の為のシステムが動いている。だがアナスタシア新皇帝は皇帝としての立場が決まりつつも、初代大統領として立候補して、ほぼ確実だという下馬評だったりする。
帝政から民主制への移行はほぼ革命だ。共産主義者が一掃されてからやってくるのが、帝政の破棄と、民政の到来なのである。
瑞端は八百長をかんじた。
彼は呆れながら感心した。
アナスタシアが戴冠する。
王室の多くも、参加する。
その日も、瑞端とチャーチルはサンクトペテルブルクに滞在していた。ラジオから戴冠式の報道が流れてくる。
ラジオからは、ロシア正教の司祭が王冠を載せたと興奮気味な中継だ。
「まるでプロポーズだ」
「ラジオ切りますよ」
「待て、悪かった……小隊長! ラジオを押収してジーバタを拘束せよ! このラジオが終わるまでだ!」
「チャーチル卿ズルいですよ!?」
「なんだ!? 貴様もヘルマンシュタットのオーベルトみたいなことを言うのだな」
「誰ですか、オーベルトて不幸な男は」
「ヘルマン・オーベルト。まったく、まだまだ若いというのに軍医を辞めて大学に行くというから連れてきた」
「酷すぎる……」
「軍から奨学金も出す」
と、瑞端とチャーチルが話しているのに楔を打ち込むように別席の男が声をあげる。
「チャーチル卿の拉致ですがね!」
オーベルトだ。
オーベルトは騎馬隊の中でも浮いているように、小説を読んでいた。ジュール・ヴェルヌの『月世界へ行く』という空想科学小説だ。大砲で月に行くという内容だ。
「ジュール・ヴァルヌが好きなのですね」
と、瑞端がオーベルトに訊くと、彼はかすかに顔をあげる。
「シラノ・ヴェルジュラックの[別世界又は月世界諸国諸帝国』、ムルタ・マクダーモットの『月への旅行』はどうでしたか?」
「君は急だね。とても古いよ」
「なんだ? 絵画の話か? 絵なら自信があるぞ。アドルフの小僧なんかにアレを描かせる前に俺を呼べと」
「チャーチル卿、お静かに」
「チャーチル卿にはたっぷりと言葉が詰まっているようで忙しないですな。そのでっぷりとした体型のように」
チャーチル卿が葉巻を噛む。
火どころか切ってもいない。
「瑞端です」
瑞端は握手を求めた。
「サラエボのか。ヘルマン・オーベルトだ。元軍医だったが無理矢理、戦場に戻されているよ。イギリス流でね」
瑞端はチャーチル卿のズケズケとした物言いから逃げる意味もあって、この場に少しうんざりしている雰囲気のオーベルトを捕まえて離さない。
大日本帝国航空宇宙軍を発足させた瑞端と、宇宙に関して興味が似ているということもウマがあった。
「いや、確かに俺達は同じ宇宙を見上げる同士だが、俺とオーベルトは違う。宇宙に関しての考え方の違いはあるが宇宙は広いのだ。同じような目線でしか見れないなんてことこそ、退屈だ」
オーベルトには大ウケだった。
オーベルトは、物理を勉強しなおしてロケットの開発に興味があるらしい。何を運ぶかではない、宇宙へ届くロケットの開発だ。
「いいな。日本では『宇宙軍』か。正直に言えば羨ましいよ。軍隊が予算をくれるのだろう?」
「好き勝手はできないよ、オーベルト。いろんなことで誤魔化しながら最終的な目標を目指してる。今は土台作りだ。基礎はあらゆる分野に通じると信じてるからな」
「ほぉ、具体的にはなんだズイバタ」
「おいおい、オーベルト……秘密に、随分と土足で踏み込むじゃないか。それはイギリスやドイツに造船の秘策を全て教えてくれと言うのと同じだぞ」
「スパイ容疑で逮捕されるね」
「そうだ。だが友人に漏らすかもな」
瑞端は、チャーチルが聞き耳を立てていることを確認した。彼が政治家に返り咲いたならば、対日本外交で使うカードの1枚になるかもしれない。
「ラジオステーションを宇宙に置くんだ。地上から宇宙を中継することで世界中に無線が届くようになる。確かに電波は不安定だが、海底ケーブルのように敷設せず、フリーで世界が繋がる……そういうことをやりたいんだ」
オーベルトは少し考えている。
「宇宙に?」
「宇宙だよ」
「なるほど」
それには、と、オーベルトは続けた。
「大きなロケットがいる。地球の軌道に上がれる、しかも、ラジオステーションを丸々と運べる巨大なロケットだ。発射の衝撃に耐えるような頑丈で重たい物を運ぶロケットなんて、今の段階では想像できないな。将来の話なら別だがね」
「電子機器の開発をする学校を帝国航空宇宙軍は管理しているし自前の工廠もある。とはいえ宇宙は遠い。まずは大型飛行機で中継をしようとしている最中だ」
「どんな数学者でも計算が間に合いそうにないな。想像もつかない場所に行きたがるとは、瑞端は余程、世界を繋げたいのだな」
オーベルトは呆れたように言う。
「そりゃあそうさ。電波は民族を仲違いさせるだろう。だが握手をするのも可能だ」
◇
「新ソヴィエト人民帝国ね……」
男は朝刊を丸めて脇に挟んだ。
1921年8月15日。
独立戦争時にフランスから送られ、今は青錆びた自由の女神をランドマークにする大都市ニューヨークの一角に日本人があつまっている。
「自由の女神も見飽きましたな」
日本人が数人、両手で抱えられるだけのパンを買い、路上生活者にパンを配る。
アメリカ中からニューヨークへと仕事を求めて集まった労働者のおかげで活気にあふれていた。しかしそのうち少なくない数の失業者、過酷な労働で体を壊した者たちが、社会から弾き出されて路上生活をしていた。
努力をしないから失敗した、怠け者。
敗者に対しニューヨーカーは辛辣だ。
「パンをどうぞ」
パンを配る。
天使を見たように拝み神に祈る浮浪者。
腕が無い者。
足がおかしい者。
精神を崩した者。
仕事の中でおかしくなったものだけではないが、大きな傷を作って捨てられた者もいた。
「ここはアメリカ人の国だ!!」
パンを配っていると、高貴な路上生活者や、自警団を名乗る白い若者らが棍棒に殴り、素手で殴り、黄色人種の手で汚されたパンを踏み潰した。
幾度と皮膚が裂け血が流れた。
しかし、やめるものはいない。
放置された死体があれば腐乱してタールと毛と骨となった死体も拾い、可能な限り宗教を合わせ、教会に葬儀をあげてもらい墓を建てた。
寡黙な日本人達は言った。
「私達は肌も、言葉も、神も違ったとしても同じ兄弟姉妹ですから」
朝の奉仕活動が終わる。
教会の聖職者ではないのだ。
これからが1日の始まりだ。
仕事が待っていた。
オフィスに帰ってきた社員達の顔は直後、微笑むものから厳めしいそれへと一瞬で変わった。
「アメリカで複数のダミー会社を設立している。ロシア銀行経由で資本関係は複雑怪奇な迷宮だ。易々とアメリカ資本が日本に流れていることは掴めないだろう。きっちり『還元』もしているしな」
「非公式ですがイギリスからの出資もあります。日露戦争の債務を減らすのにも都合が良いでしょう。しかし我々があの天文学的な債務を『返却可能とする』とはやりがいがありますな」
「株の売買だけのゲームはやめてくださいよ。我々はトレーダーである前に、ブリーダーである心は持つべきです。日本帝国航空宇宙軍流ですが」
「満州、アメリカ、日本の3つの拠点で、日本の単純な経済力は数倍になる。これを拡大する。世界最高の国、列強にとって最高の友人、植民地からは最高の主人となるよう奮闘するぞ!」
「例の基金の設立するのは良いのですが名義はどうしますか?」
チャーリー&ジョーンズ孤児院。
匿名の募金によって建築された孤児院は、極めて安定した資金提供で運営され、数多くの孤児達に食事と教育を与えて、社会に送り出してきた。
「今日もチャーリー&ジョーンズ社、しまって働いていこう! 学ぶことは多いぞ! 合衆国の繁栄を日本の繁栄に!」
チャーリー&ジョーンズ社は、アメリカンドリームの成り上がりを体現していた。莫大な資金を短期間で稼ぎ、昨日までは無名だったチャーリーとジョーンズが名をあげていく。
鉱山開発、特殊合金の精錬。
工場設立、大規模生産施設。
合成樹脂、合成ゴム……。
新素材や蓄電池など開発。
やる気はあってもポストにつけなかった負け犬を根こそぎ泥底から拾って、本物を探すような傍目には慈善事業か物を知らないような銭のバラマキだ。
だが生きる為だとアジア人がいる職場に来た白人や、黒人は、意外にも多くは馴染むだけにとどまらずお互いが刺激しあって高い向上心を見せていた。居場所、期待、それらが刺激になっているのではないかという仮説で、精神学者が工場に入っている。
「みんなで世界を変えてやろう!」
テーブルに模型が置かれている。
4本足のトラック。
人間が着る、重機。
何段も連なるロケット。
そして巨大な宇宙基地。
忙しのない急拡大と失敗を山積みしながらも、しかし、アメリカを起点に『航空宇宙軍の資本調達班』の活動は、急速に影響力を増していく。
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