第3話「新ソヴィエト人民帝国の発芽」(1)
カラマツの針葉樹が広がるタイガが、異様な方向に向けて全て薙ぎ倒されていた。
10年程前にツングースカ事件という、直径50mと言われる隕石が空中で爆発した事件が起きたときに生まれた環境だ。
今は10年が経ったということもあり、枯れたカラマツはバラバラと崩れつつあり、その上には植物が多い若い木々も育ちタイガは回復しつつある。
そこへツングース系民族を案内人にして白軍の大部隊が入った。
赤軍残党の掃討……マルクス主義革命結社“社会民主党”の指導者ウラジーミル・ウリヤノフ他メンバーの抹殺を任務としている。
軍を率いているのはミハイル・トゥハチェフスキー少将で、中核部隊に近衛セミョーノフ連隊がくわわっていた。
「少将閣下。ツングース人が言うには、ここから北へ、この世のものとは思えない巨大な足跡を見たと」
「例の足付きだな。斥候を出せ。それと野戦飛行場の地図を。空と陸から探すんだ。イギリス人が渡した陸上巡洋艦だとか抜かしている代物もあるかもしれん。気をつけろと伝えろ」
赤軍はもはや無数の農奴からの支持を失い、タイガに隠れ潜んでいても駆られるウサギとなっていた。
先住民からの通報と、最新鋭の飛行船や重飛行機械、機械力で押して次々と作り上げる野戦飛行場や道路は、赤軍が持つ母から授かった2本足さえ完全に上回り、その背中へ強烈な機関銃弾を浴びせ続けている。
「先方や哨戒が大規模な反撃で損害を出すようなことがあれば毒ガスの使用を躊躇わず撃破せよ。一々構ってはいられん。赤軍がタイガに築いた最後の砦だか町を包囲し、完全に殲滅するまでは連中の愚かな夢は止められん」
トゥハチェフスキーは野戦司令部の地図で、報告があがるたび動く部隊の位置を見る。予定よりもやや速い。
ツングース事件の爆心地である“スースロフの漏斗”へと巨大な包囲網は完成して、湯水のように消費する砲兵の榴弾と毒ガスで、強力に締め上げつつある。
しかし時折、タイガの中を移動してくる歩兵砲に損害を受けていた。歩兵砲ではあるのだが、巨大な足があり、歩兵部隊の6.5mm弾を正面からは弾き、野砲が狙う前に姿を消す厄介な獣だ。
「イギリスの玩具か。足付きめ面倒だな」
だが、たばねトゥハチェフスキーの軍は上手く残党を処理して、共産主義者の夢の慣れ果てにしては見窄らしい、町のようなものへと激しい砲火が降り注いだのは、それから数日後のことだ。
共産主義による労働者階級の解放の象徴。
赤軍の指導者は全滅し、革命は終わった。
◇
1921年1月1日。
新年の初めに新聞を飾ったのは、隣国であり列強の大国ロシアが、ソヴィエト帝国へと改名して、皇帝一族が皇帝としての地位を民衆に譲位するという大事件であった。
それは赤軍を駆逐し、遂に白軍がロシア全土を安定させることに成功した新ロシアを目指したからなのではあるが……列強各国、特に、王族や皇帝というものに強い権力と歴史があるヨーロッパでは激震だった。
皇族が、選挙の末に初代ソヴィエト大統領なるものと名前を変える。皇帝を自称した者は? 青い血の貴族が、アメリカのような“何か”になった!?
「農民の一大蜂起で赤軍が、白軍と戦えたなら、赤軍を打倒したのは皇帝が革命前から政策していた農奴との融和……共産主義への失望とは皮肉な話だ」
共産主義による搾取からの解放。
夢と希望はここに打ち砕かれた。
酷い現実だと瑞端は新聞を畳む。
「アナスタシア、故郷なんだから案内してはくれませんか?」
ロシア帝国あらためソヴィエト人民帝国。
その首都サンクトペテルブルクを瑞端とアナスタシアは並んで歩いていた。
「ピョートル1世がモスクワから首都を移すのに作った都市の今を見たらきっと泣くわね」
「アナスタシア。1812年にナポレオンを迎え撃ってモスクワは灰になったがすぐに復興したじゃないか。サンクトペテルブルクもそうなる」
「白い町と土の町から始まるかしらね」
サンクトペテルブルク。
2世紀も首都であり続けた古都は、赤軍が蜂起してから大規模な戦闘が幾度と発生して、そのほとんどが瓦礫の山と化していた。
暮らす人間は寒さに震えながらも、廃材を集め小屋を建て、たくましく生き延びていた。それを白軍が支援していたのもある。
「サハリンからのサンクトペテルブルク復興第1陣に同行した感想は?」
「酷いものだ」
「同感だわ」
日本と当時ロシアの共同出資で拡大したシベリア鉄道を使い、ロシア全土に吹き荒れた革命の嵐から避難していた樺太の難民らが各地に戻りつつある。
既に復興は始まっているのだ。
そんな中、大量の重機が走る。
「日本はロシアの内政に干渉しないさ」
「ソヴィエトね。……シベリアに出兵していた国の人間が言うことじゃあないけどね、ズイバタ」
「良い友達の距離感は大事。求めすぎず、押しつけすぎず、楽しめる駆け引きで済ませるのが1番」
「本当ね。良い付き合いでいましょう」
「俺達が?」
「勿論!!」
アナスタシアが淑女らしくない行動をする。彼女は男の、瑞端の腕を抱きしめて暖をとった。
「さよなら、瑞端」
「あぁ、さよならだ、アナスタシア」
アナスタシアが離れる。
指の先がかすかに、わずかに、絡み合った瞬間には解けて、アナスタシアはサンクトペテルブルクの復興軍の中へと消えていった。
「……」
瑞端は温もりの残る腕が、名残りおしいかのようにほんの数秒立ち止まっていた。
その時である。
「あゔぁッ!?」
瑞端は馬に噛まれた。
「未練があるなら引き止めればよかろう」
と、馬上の老人が言う。
老人というには若々しく、しかし、その髪は白髪がとても目立つ男。ロシアのスラブ人ではない、その他の民族でもない。英国訛りのロシア語を話すイギリス人。
「うぃ、ウィンストン・チャーチル!? チャーチル卿、貴方、サンクトペテルブルクで何してんですか!?」
「久しいなジーバタ卿」
気さくな歴戦の騎兵が降りる。
壮絶な戦傷が、肌を露出している場所に、白い轍のごとく掘られている顔は異様で、迫力に圧倒される強面だ。
「カフェで一服しながら話の続きをしよう。しかしジーバタ卿よ、なんだあれは! ジェントルメンであることの誓いに限りなく……情けない!」
「ははは……チャーチル卿は変わりませんね……また政治家界隈から追放されたのですか?」
「うむ! 腑抜けた腰抜け連中どもは、こそこそと権力を振りかざしてこの私を追放しおってな! また騎兵大隊の大佐として従軍しておる」
「ははは……当たっちゃったよ……」
「まあ気にするな幾らでも返り咲く!」
チャーチルは、片腕では馬の手綱、もう片手では瑞端をとっ捕まえて歩き始めた。
◇
砲弾痕が残るカフェ。
蜂の巣にされたブリキの看板。
そんな場所でチャーチルとその部下はティータイムに入っている。時代遅れの騎兵隊は逞ましいというよりは蛮族、凛々しいというには悪漢の集団のごとき連中である。焼いても叩いても曲がらない偏屈極まる歴戦兵が滲み出ていた。
瑞端がお邪魔して入っている状況だ。
「ブレッドラジオを修理できるとは大した腕なものだ」と、カフェのオーナーが瑞端の紅茶を淹れたカップをテーブルに置きながら言う。
瑞端の前にはパンを切るのに使う分厚い木板と、それに穴を開けて真空管や電子部品を取り付けられた手作りラジオがある。銃弾の直撃を受けて壊れていた物だ。
今は、瑞端が修理した。
ラジオからは戴冠式の予定についてのニュースが流れていた。新体制の国、その裏でおこなわれる退位した工程と戴冠する新皇帝の話はラジオの中からだけ流れてくる。
「お前も絵は描いたか?」
「アドルフくんは書いてましたよ」
「そうではない。まあアレは下手だ」
チャーチルが葉巻を噛む。
口を切っていなければ火もない。
「ソヴィエト帝国。共産主義者連中を全滅させたのは喜ばしいがロシア帝国から皇帝が降りるわ、帝政だが民主化した議会に、少なくとも表向きは政治させるとは予想外だ」
「赤軍が農奴の解放で革命を成したなら、皇帝は農奴と一緒に立つことで赤軍を倒した、それだけですよ」
「ふん。南下政策だ赤軍だとロシアは大嫌いだが、今はもう少し都合の良いデモクラシーに入ってくれたぞ」
瑞端はラジオに耳を傾ける。
サンクトペテルブルクで別れた、アナスタシアが送った文をラジオパーソナリティが読み上げていた。
サハリンで叛徒に襲われたとき遠い異国の紳士に助けられてから、しばらく日本で暮らしていたこと。日本では数多くの女性も子供も男に負けないほど勉強し、仕事をこなして、列強にも勝るとも劣らない力を獲得しつつある様子をその目で見た話……。
アナスタシアが日本に感じたこと、新生国家においてどう影響して、祖国がどうなってほしいかということ。
アナスタシアが日本で料理を大量に食べたり賭け事をしていた話はでてこなかった。
瑞端は走馬灯のように記憶が蘇る。
だが瑞端は寂しさに全て蓋をした。
「例の足付き、増えてるらしい」
チャーチルが葉巻を切り火をつけた。
擦ったマッチを振って、火を消した。
「やはりツングースカだった。トゥハチェフスキーが最後の赤軍を殲滅した場所だ」
「……足付きですか、チャーチル卿。イギリスが開発している陸上巡洋艦ではなく?」
「ふん。コードネームはタンクだ。漢字では戦車とお前たちは当てたのだろう? 中国人と違う字をな。フランス人はモノマネしてさらに進んだ物を作っている。だが違う」
「何にせよ世界中で目撃されつつあります。それも戦場で。ツングースカだけではなく、ロシア革命を中心に急激に謎の技術が広まっているのは気になります。アメリカでもです」
「子飼いの商社か。あまり派手に働かせるなよズイバタ。東洋人は目立つ」
瑞端はしばらく逗留する予定だ。
鉄道でも船でも遠い、ユーラシア大陸の反対側の都市サンクトペテルブルク。日本とは簡単に往来はできない。
瑞端は頭の片隅で思う。宇宙を往復するロケットがあれば簡単に行けるのに、と。帝国航空宇宙軍の3本柱の1つだ。
宇宙へ届くロケット。
空を飛ぶ航空艦隊。
水中を進む潜水戦闘機。
宇宙から海中までを自由に飛ぶ。
だが、まだまだ地味な地固めだ。
瑞端は先の長さにため息し紅茶を飲む。
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