第2話「機械化心臓」(2)
1920年5月5日。
すり減った靴を新品にした瑞端は、合同出資会社である東北瓦斯のプラントの式場に参加していた。
肥料プラントだ。
窒素肥料を生産する。
必要なものは水素と窒素と熱。窒素は空気中から、水素は石炭を燃やし石炭ガスで得られる。つまりは空気から肥料を、作物を生むわけだ。
「閣下も式典に来られておりれましたか」
「瑞端くん、知っていて言ってるね?」
第一次世界大戦は発生しなかった。日本が大戦景気で実態から乖離した大正バブルが生まれることはなく、弾けようないので恐慌も起こっていない。しかし日露戦争の国家予算何年分かという大借金は返済中である。あの戦争では大金を借り入れた。
「借金返済の為の借金か……」
閣下は顎を軽く撫でながら言う。
「公共事業として工業農業の改革、舗装路に鉄道の整備、列強との資源開拓、政治家は何人も倒れてしまうだろうね、君」
「うッ……ですが欲しいのです、閣下」
「君は我儘ばかり言う子供かい?」
「日本には何もかも足りません。全てを同時にこなすのは無理でも現在の経済状況では、日露戦争の借金返済は100年ではききません」
「まあそうだね。あの戦争は無茶をした」
「ですが貴重な戦訓が幾つもあり、各軍の目を見張る動きには率直に敬意覚えています。足りなかったものを埋める、それには国家が根本から変わらねばならない、というのが私見です」
「君はいつも色々見すぎているね瑞端君」
「製鉄所1つとっても屑鉄も足りないありさまですので。私が死ぬまでに列強としての日本を見たいものです、閣下」
「見られるさ」
落成式が始まった。
瑞端と閣下は同時に拍手を送る。
「日本は最前線ですよ、閣下」
と、瑞端は落成式に参加しながら、左右にちょこんと座る退屈と緊張の混じる女児に菓子を渡す。
「ところで瑞端くん、彼女達は?」
「工場で拾ったんです。幼年学校で勉強してるするそうなので、一緒についてきているだけですよ、殿下」
「僕はてっきり瑞端くんの愛人かと」
「殿下?」
「あぁ、許してくれ、言葉が過ぎていたね、瑞端くん。可愛らしい子になりそうじゃないか。しかしおとなしい子らだ。航空宇宙軍の連中を見てると忘れていたよ」
「あいつら伸び伸びしすぎですよ」
瑞端はうんざりした顔を作った。
何故か、瑞端が子供と関わると、良く言えば伸び伸びと成長する……悪く言えば、扱いが難しいだろう我儘で頑固で気ままな連中に育つのだ。
なお、瑞端が拾った猫もそうなった。
「お前達は美人になるぞ。だがその前に、他の子達と一緒に勉強しないとな」
「び、美人……ですか?」
1人が頬を染めてうつむく。
「あぁ、可愛い」
瑞端は4人を猫でも扱うように、わしゃわしゃと撫でた。頬擦りしたり、抱っこしたりだ。
基本的に瑞端は雑なのだ。
体をこわばらせて緊張していた彼女らだが、落成式が終わる頃には、緊張が切れてしまい、こてんと寝てしまっている。
「閣下、手伝ってくださいよ!」
「ははは。責任は自分の手の範囲にしたまえよ、瑞端くん」
閣下は助けてはくれなかった。
閣下は自分の自動車へと乗り込んで消えていく。デイムラー・30.1HPリムジンだった。
「……足が上手く動かないな」
やれやれ、と、瑞端は特殊合金の杖を使いながら、片腕で1人ずつ少女らを車に乗せた。
人身売買と見られ警察に止められた。
◇
「あれ? 瑞端さんがいる」
「ほんとだ瑞端さんだ」
「おーい、暇なんですか?」
と、航空宇宙軍の学生が声を掛けた。
瑞端は組み上がった水上機を見ていた。作業服を着てはいないし工具も持ってはいない。ただ、見上げていた。
「暇とはなんだ、暇とは。東北瓦斯のプラントの落成式に出て、学校まで帰ってきたんだぞ」
「列車にしても速いですね」
「山越えしてきたお前らよりはな」
「田舎バカにしてます?」
「俺、人買いと一緒に歩いて雪山超えたぞ。どこぞに工場に人手がいるからって高かったらしいけど」
「……お前はそうだったな」
水上機だ。
真っ白な。
「綺麗でしょ?」
と、学生の1人が瑞端に近づく。
高円千代子は手が届く範囲に行くや、瑞端の尻を一息に押し上げた。
「おわッ!?」
瑞端も突然浮かんだ体に驚きながらも、なんとか水上機のコクピット縁にしがみついて、背中から落ちないよう踏ん張る。
足を翼に掛けてバランスをとった。
「乗ってみたらどうです? カーチスさんから一応、教えてもらっているのでしょ」
「いや遠慮なくさせてもらうよ千代子」
と、瑞端はコクピットを見た。
計器が並び、操縦棍や各種の装置。
座席には落下傘の袋が置かれていた。
「この子に座るのは俺じゃない──」
瑞端は優しく微笑む。
「──千代子だ」
千代子は目を丸くした。
たぬき顔な千代子は言う。
「え? もしかして怖いんですか?」
「……お前、ほんと……まあいいか」
真っ白な水上機には落書きされていた。
胴体に日本語で『シュナイダートロフィーレース優勝!』と水上機の目標である。
「レースと言えば寅子の地元でもレースがある。トラクターのレースだがな。一緒に応援したい奴、列車代の片道分くらいだすぞ」
「ケチッ! 往復だせ!」
「みんなに伝えないと!」
「レースだレース、金を集めろ!」
シュナイダートロフィーレース。
人類最高峰の飛行機技術を競い合うレースだ。3点の三角形を通過する時間を争うのだが、アメリカが軍をあげて機体開発を支援してからはメーカーのチームというよりは国家事業に近い雰囲気となっている。
そういう意味では航空宇宙軍の組んだレース用機体も同じだ。航空宇宙軍の幼年学校、兵学校、外郭団体から、個人的な繋がりからと人材を集めて作りあげている。
「V型6気筒が2連のV型12気筒、1500馬力を過給器で搾り出し理論上は700km/hを超える筈なんだが……」
まさしく桁違いに高性能。
だが、1度として達したことはない。
エンジンも機体も現行の技量で維持することが困難なのだ。面白がったカーチスが飛んだが、死にかけてからは近づきもしないほどである。カーチス曰く、初めは素直なのに調子づくと途端に言うことを効かない怪物に変わる。
電動方式でシンプルな計器類。
ワイヤーではなくロッド操作。
フラップ角度、プロペラピッチ、混合気の濃度、プラグの点火時期などが自動制御される最新機械を採用して、スロットルレバーを動かすだけで最適化される。職人技的な操縦士の仕事を機械化した物だが……この余計な存在のせいで苦戦している。
歯車の化け物だったものが、シリコン結晶の円盤から切り出した半導体の電子化に設計変更をしている。機械的な信頼性は『理論上』高まっている筈だが故障ばかりだ。
外せ、と、嫌われているが載せていた。
「あと1年、いや、2年はいるか」
瑞端は見た目は美しいエンジンカバーを撫でる。見た目だけではダメなのだ。
「電子回路の教材で遊んでみたか?」
「電気積み木やチビ車のは楽しんで遊んでます。幼年学校の子にも良い反応ですよ」
ところで、と、瑞端は訊かれた。
「瑞端さん、幼年学校に新入生がいたんですけど入学の時期じゃないですよね」
と、学生が飛行機に乗り、瑞端とは逆の翼からコクピットに顔を出した。
「工場の視察に行ってたらな、ちょっとな。うちが融資して機械工業にする機械を作るとこで貰った。仲良くしてやれ、いじめるなよ」
「根性あるかは確かめますよ」
「そういうのをやめろて言ってんだ」
「うぅ……はーい。オヤジは甘いね」
甘い、と、言われた瑞端は、内心で小さく笑ってしまう。日本を裏で操ろうとする宦官とまで陰口されているのが瑞端だ。
口を挟んでいる計画は1や2ではない。
それこそ日本をまったく違うものへ変えてしまうような、日本の破壊者そのものなのである。
人を人とも思わぬ悪鬼。
新聞では悪しように批判されるのも瑞端だ。出過ぎた人間は分別をわきまえよ、というのであれば、極めて穏便な文章だ。
瑞端は新聞社と仲が悪い。
うっかり纏めて批判したことがあったからだ。ブン屋は己の立場をわきまえ、政治をしようと民草を悪戯に誘導するべからず、と。
それ以来、瑞端は新聞などの機関からのネガティブキャンペーンを受けて、愛国者に何度か暗殺されかけてたりする。
またまた正義の天誅!
という文は新聞で掲載されていた。
「生き血を啜る悪の総帥だぞ、俺は」
学生に大ウケした。
機体に落書きが増える。
余った塗料やチョークで、絵心のある人間が描きあげた。歳が離れている、ドイツからの留学生だ。ヨーロッパで川に身投げしていたのを瑞端が拾ってきた。そしてチョビ髭だった。
描いたのは、美女に噛みつく吸血鬼。
「エンジンの実験記録を読んだ。冷却やガジリに材質で試験を色々しているそうじゃないか。ゴミばかりで困ると学長が怒っていたのを宥めたぞ?」
瑞端は意地悪く言った。
くつろいでいた学生らがバツが悪そうに、何故、必要だったか言い訳を始める。瑞端は責めているわけではなった。言い訳の1つ1つを聞く。
大量の記録だ。
事細かで、今必要な代物ではないが学校で実験するならば絶対に将来引き継がれるだろう『膨大な』失敗と試行錯誤と結果の記録、グラフ化と、仮説での実験と報告、論理を急速に体系化していた。
勿論、他の会社の熟練職人からの支援や協力、瑞端がなんとか引っ張ってきた資金を潤沢に投入した結果、金で短縮できる実験を数をこなしている程度のことだ。
それこそが、瑞端には重要だった。
瑞端も海軍や陸軍を相手に、私的な論文を日夜送りつけている。大体は「こんなことも思いつかないのか?」と小馬鹿にしたような文章が添えてある。設計局は外様の口出しに赤い顔と青筋が浮かぶのが目に浮かぶ憤怒であろうが『文通』は続いていた。
「……」
瑞端は楽な姿勢をとる。意地悪をするのは趣味だ。必死の言い訳をする学生を見ながら楽しんでいた。
優秀な学生が、次々と生まれていた。
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