第1話「東洋の黄色い手」(4)

 白軍にも伝えておくべきだろう。


 アナスタシアの件である。


 ロシアの人間を拉致はできない。


 瑞端は海軍の通信所を借りて、日本国に打電してもらった。同時に、ロシア側にもその旨と皇帝の一族であるアナスタシア嬢の安否もだ。


 隠し通して策謀に利用するなどとは断じて許されぬ卑劣、という瑞端の思惑もあった。


 アナスタシアの一件。


 皇族である可能性をひた隠して政治利用はできないというのが瑞端の判断だ。ユーラシアを横断する電信線は、東京とサンクトペテルブルク間でも電報が通る。


 半日と経たずアナスタシアの疎開決まったのは即断すぎるが、と、瑞端は首を傾げる。


「……と、言うことで私は一足早く日本へ帰国命令が出たわけだがメドベーデフ大佐……」


「気にするな瑞端。それより上級司令部からの命令だアナスタシア様の日本への避難の権は頼んだ。ロシアの東の果てでも赤軍が伸びているしな」


「あぁ、任されよ」


「サラエボの英雄なら安心だがな」


 瑞端は不安を隠して自信を言う。


 大役である。


 同時に、重荷であるが表には出さなかった。それは瑞端に任せられたものであるからだ。


「第一二師団に寄り道しますからすぐではないですよ。独断に対しての抗命罪を出していたのに、どうもまだ、シベリアへの出征で浮かれている将官がいるようですので、殿下から略式裁判を見届けよ命令を受けたのです。航空宇宙軍は監視ですね」


「そうか……それで日本軍は、航空宇宙軍はどうするのだ。できれば我々と一緒に赤軍と戦ってくれると嬉しいのだが」


「難しい。列強は日本の撤兵の期日を見ている。もう長くは残れないだろう。それにこれは身内の話だが、シベリアの土地をとろうと躍起になる軍人が多い。師団長以上の階級にもな。そういう点でもシベリアに残したくはない。余計な問題を既に作っているという認識だ」


「新国家でも作るか?」


「ははは!」


 瑞端は、心から笑った。


 メドベーデフの冗談だ。


「もしサンクトペテルブルクが危なくなったらサハリンに土地を用意するよう殿下に提案してみるよ」


「是非、保険してもらいたいものだ」


 瑞端は雪解けを待たず、自動車で南下し、アナスタシアを連れて日本へと渡った。


 時期を同じくして、シベリアに展開した日本軍の撤退が決まるが、将軍らは堂々と本国からの命令に抗命し、国益となるだろう戦果の拡大をはかった。


 戦果をあげる陸軍に、日本国民は期待を大にして熱狂とともに行動を支持していたが、栄光は長くは続かなかった。


 シベリア出兵の軍に対して、航空宇宙軍を基幹にした鎮圧軍が編成されて、抗命する叛乱軍としての現地で略式裁判が突きつけられた。


 多くの部隊は自分の判断を撤回した。


 しかし一部は、日本の国益の為の必要だと自己弁明の末に、鎮圧軍を逆賊の非国民だとまでそしり軍事作戦を断行した。


 だが、容赦はされなかった。


 陸軍省からの厳重な抗議が、新参者の航空宇宙軍へと送られたが、それは陸軍省が抗命する将兵を黙認するつもりかと突かれて一触即発と なる。


 最終的には航空宇宙軍の後ろ盾である閣下の言葉はあり、陸軍は発言を公式では撤回した……だが水面下では強い反感が芽生えたのは確実であり、瑞端はこれからを考えてうなだれる。


「さらば大陸よ、また来る日まで」


 日本軍は公式にはシベリアから撤兵することとなり、以後、日本からの支援をロシア白軍が引き継ぐ。白軍は赤軍をタイガに押しやり、タイガからも駆逐していくこととなる。



 1920年3月1日。


「味噌汁がたりないわ!」


「えぇい、食いすぎだアナスタシア!」


 瑞端家に居候してるロシア人が、魚を頭から食べながら麦飯を食う。食いまくる。それに瑞端は飯をよそっていた。


「ほんとに2人分の食費か? 食いすぎだろ、アナスタシア、お前……」


「毎日同じことを言うズイバタは聞き飽きたわ。ご飯、ご飯!」


「えぇいやかましい!!」


 とは言うものの、瑞端は空になった茶碗に飯をよそうのであった。


 瑞端は東北を中心に──韓国併合時には予算不足から土地開発で割を喰っていたからという歴史がある──トラクターや各種の農業機械を導入して、また拡大しつつあった。


 従来の牛や馬とは桁違いのパワーの重機が投入され、数年で大規模な農業地帯として米も増産中である。農家が裕福になれば子供も増える。


 瑞端家に出されている米は、そんな、未来が明るくなり改革されてできた米であった。なお、数百キログラムという重量を毎年献上されるせいで米には困らない瑞端家であった。


 航空宇宙軍士官学校は農家出身が多い。


 アナスタシアの肉付きは、増していた。


「瑞端さーん!」


 土間から人の声だ。


 忙しいな、と、瑞端は悪態を吐きながら腰をあげた。どこかの隣人が土間にあがって呼んでいるのだ、出ないわけにはいかない。


「瑞端さん!」


「魚屋の奥さんじゃないですか。どうしたんですか、ツユさん」


「ちょっとちょっと」


 と、ツユは瑞端を手招きする。


 よく見ればザルを持っていて、それには型の良いメバルが5匹ばかし入っていた。


「聞いたわよ。ロシアのお嫁さんをもらったんだって!? かぁ〜! 遂にね! タイを持ってきたかったけど今日はあげられなかったのが悔しい! メバルとサザエで堪忍して」


 と、ツユは胸元から棘棘したサザエを置く。海の匂いが強く残っていた。


「ツユさん、うちのアナスタシアは嫁じゃないですよ」と、瑞端は言いながら、噂が確実に広まっていると確信していた。


 ロシアの皇族に殺されるかもしれない。


 瑞端は呆けた顔をしていた。

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