第1話「東洋の黄色い手」(3)
1920年2月27日。
ニコラエフスクでの本格的な戦闘は、赤軍ゲリラの野砲2門による町に対しての砲撃から始まった。
自動車化部隊のほとんどは凍結したことで運用不可能なものの、75mmの砲は健在であり、また数でも圧倒していた。
聴音機による対砲兵戦で、30分以内には完全に沈黙して、赤軍ゲリラにより第1次総攻撃が始まる。
塹壕陣地の存在を赤軍ゲリラは確認している筈だが、兵数では圧倒し、食糧危機に直面していることから強行したと、瑞端は推測していた。
5000人におよぶ突撃は、雷鳴のごとき地響きと唸り声を作り出し、その1個の存在そのものが恐怖という兵器であるかのようだった。
「掴みで5,000ですか」
雪氷に閉ざされた白いニコラエフスク。
人間がその雪景色を埋め尽くしている。
瑞端は陣地化された家屋の窓からカニ眼鏡を使い、砲撃と地雷、機関銃の弾幕洗礼を受けて鉄条網に止まる赤軍を観察していた。
時折、流れ弾が窓を抜けてくる。
赤軍は無謀なほど勇敢であった。
帝国航空宇宙軍は、想像を超える極寒環境に戦車こそ行動不能になった……だが三八式実包の6.5mm弾で統一された一六式自動銃、三年式機関銃を大量に配備しているばかりか、75mm砲と弾薬を充分に揃え、有線電話によって的確に標準をおこなっていた。
帝国航空宇宙軍と大半は農村から強制的に参加させられたゲリラでしかない赤軍の火力差は数十倍を優に超えていたのだ。
赤軍が肉片と血の雨のなか鉄条網に取り付き、ワイヤーカッターでの切断や、大量の衣服での突破を試みている。
日露戦争の経験者が混じっているのか。
だが無意味だった。
三年式機関銃が重々しい三脚から安定した弾道で6.5mm弾を吐き出し続ける。
「陽動か? 森を迂回してきたな」
正面から突撃してくる一団が釘付けされるなか、森に沿って回り込もうとする一団を見つけた。
赤軍の別働隊が、突撃を開始する。
だが同じ状況を焼き直しただけだ。
一方的な虐殺的戦闘であった。
人海によって幾つかの陣地が一時的に制圧されるようなこともあったものの、僅か1両日程度の戦闘で、砲弾と銃弾に晒された赤軍ゲリラの血肉でニコラエフスク近傍は染まった。
「瑞端さん、ちょっと来てください」
と、宇宙軍の士官が血相を変えて走ってきた。戦闘とは別の問題が発生したらしい。
◇
「……何があった?」
「赤軍との戦闘に巻き込みました。申し訳ありません……」
「いや、君は充分に職務をまっとうした」
と、瑞端は隊員の肩に手を置いた。
瑞端は銃撃戦のあった部屋を見た。
老人にしがみつく、少女だ。
日本人ではない、ロシア人。
老人は銃弾に貫かれて、黒い血を流し続けていた。応急処置こそされているが位置的には肝臓が完全に破壊されている。
老人は既に死んでいた。
「……」
瑞端は見窄らしい少女を見る。
アナスタシア殿下に似ていた。
アナスタシアは、ロシア皇帝ニコライ2世の四女だ。濃いめの茶髪、白い肌、そして、少林檎のように赤みを帯びた頬をしている。
1905年に発生した『血の日曜事件』以来、革命運動が散発していた。当局によって鎮圧され水際での治安は維持されているが……皇族を狙った狙撃事件や爆破騒動がサンクトペテルブルクでは何件か引き起こされていた。
瑞端が聞いた話では、安全のため、ニコライ2世の娘達は秘密の場所へと匿われているという。
「軍医殿に運ばせろ」
と、瑞端は遣いに走らせる。
「他は建物を確保後、制圧を本部に連絡」
戦闘は続いている。
巻き込まれた民間人に構ってはいられない、というのが正直なところであった。だが民間人を巻き込んだというのは戦闘そのものが初めてである帝国航空宇宙軍の兵士らには衝撃的であったようで、赤軍と撃ち合っていたよりも動揺する。
「腑抜けるな! 戦いは続いている!」
瑞端は喝を入れさせた。
砲撃も銃撃も断末魔も聞こえている。戦闘が終わっていないのに気を抜くものではない。
「お嬢さん、我々はもう行く。この建物から外には出るな。半日も掛からないうちの終わる」
少女が、瑞端を睨む。
瑞端は表情では無を貫いた。
少女の目つき、態度や雰囲気は一般の町娘とは言い難いものがあった。だが瑞端は今、詮索する情報ではないと切り捨てる。
少女らがロシア貴族であろうと脱走兵の家族であろうと、あるいはユダヤ人であったとしても今は関係ない話だ。
「瑞端さん……」
と、兵卒の一人が耳に口を寄せた。
「その……中国砲艦3隻が……沈んだそうなので至急、領事館の司令部へ来いと……」
瑞端は、焦るわけでも、怒るわけでもなく、ただ呼ばれたからいかなければとばかりの気軽さで出た。
「……外交問題みたいな話ばっかりか」
瑞端は『アナスタシアに似た人』と、中国艦撃沈の外交的な衝撃に動揺する臨時旅団長の後ろ盾になるため走る。
ふと、戦闘に耳を寄せれば、ニコラエフスクでの戦闘は既に終わりつつあるようで静かな町に時折、銃声が散発的に響いてくるばかりとなっていた。
瑞端は「呆気ない」と溜息した。
「瑞端くん」
それは航空宇宙軍の臨時旅団長であった。慌てたという様子もなく、あくまで落ち着いた口調で言う。
「例の『足付き』がいた。旅団にも白軍にも検分できる専門家がいない。調査を頼む、瑞端くん」
◇
領事館の一室で瑞端は手紙を書く。
同じ部屋には腕に包帯をしているアナスタシアが手紙を覗きこんでいた。
「あなたは軍人ではないの?」
ニコラエフスクでの戦闘が短期間で終わり、少々のボヤ騒ぎや流れ弾を受けた家屋の修理やらで住民が戻ってきた頃だ。赤軍ゲリラのシンパに目を光らせながら将校に対する暗殺を警戒しながら臨時旅団や白軍は戦没者の回収や後処理に出ていた。
「アナスタシア。う〜ん……難しいな。書類上は近衛兵ということになるんだが……」
瑞端の領事館の一室で歯切れ悪く言う。
例のサラエボ事件で、ただの兵卒よりは近衛兵のほうがハクがあると大嘘を吐き、だが書類上は正式にそうなってしまったことがちょっとした問題だ。
当然、瑞端は蛇蝎のごとく嫌われている。
麹町の師団司令部からは、恥晒し筆頭だ。
肩書きは近衛の兵士だが、その名前を明かすことは無いよう、念入りに忠告を受けていたりする。知ろうと調べないかぎりは表に出せない人間、それが瑞端なのだ。
なので、ただの軍属である。
「近衛兵! 皇帝を守る最古参の!」
アナスタシアの表情が変わる。
白い虎耳が幻視できるほど態度が変わる。
「ズイバタ」
「なんでしょう?」
「守るべき皇帝がここにいなくて退屈でしょう。私の身辺に立つことを許します」
「……ロシアの近衛兵ですか?」
「……それはともかくとして、私の面倒を見なさい。今は白軍といえど信用するのは難しいのです」
瑞端は、アナスタシアの身の上を聞いていない。個人的に知っていて違和感が無いレベルでのアナスタシアは、ニコラエフスクの小さな虎の町娘なのだ。
特に深掘りしなくて良いと考えていた。
航空宇宙軍の学校には女児も多いし、などとも考えながら、単純に新しい家探し程度の認識だ。
「じゃ、日本に来ます?」
「……あんまり良い印象は無いけど」
昔、1891年5月11日。日本を訪問していたニコライ皇太子があわやサーベルて脳天をカチ割られかけた大事件があった。
瑞端は思い出しながら、冗談を言う。
「アナスタシアさんがもし狂人に襲われたときは私が盾になりましょう。とある大公夫妻も悪漢から守り通しました」
瑞端はアナスタシアに振り向き、醜男な笑顔で歯を見せた。アナスタシアの指で腋を連続で突かれた。
「痛い痛い!?」
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