第1話「東洋の黄色い手」(2)

 1919年10月。


 瑞端は大日本帝国航空宇宙軍の学校の運営方針を考えながらも、とある準備を進めていた。


 書類には宇宙軍だけでなく、日本全国の民営工場の日露戦争時代の資料や、電波警報装置、無線機、資源分布、アメリカの航空産業にエンジン開発、名古屋の自動車産業、エアレース用の飛行機、半導体、兵器研究から書き写してきた資料……。


 多岐に渡っていて忙しい男だ。


「君、そんなに戦地が好きかね?」


「殿下……残念ながら我が国では、頭よりも腕力、算盤よりも大砲を扱い、汗と血を流す男のほうが通しが良いのですよ」


 閣下はすぐに思い当たる。


「黒竜江のニコラエフスクか。赤軍が接近しているとは聞くね。冬の寒い場所だね、君。毛皮や綿入りは持ったのかね」


「うちの犬猫殺したら殿下を首にしますから、お気遣いなく。ゲリラから、ちょっくら居留民を救出してきますよ」


「宇宙軍の初陣だね。健闘を祈るよ」


 ニコラエフスク港には、ロシア人や日本人が暮らしており、日本陸軍と海軍が四〇〇名ばかしの部隊を置いている。


 しかし、ロシアで革命が起きてより、皇帝派の白軍と、赤軍で国家を二分する内戦の最中だ。ロシア皇帝は革命前から始めた融和策により、食糧生産の拡大と辺境に至るまでの輸送の改善が人心を多少、皇帝へと向けることに回復しており、白軍の離脱は少なく、農村の支持率も最悪というわけではない。


 比較的、白軍が優位ではあった。


 しかし余談は許さない状態であり、火種は日本の目と鼻の先である土地にまで赤軍が到達しているほど混沌としている、というのが実態なのである。


「ロシアは6.5mm弾の姉妹ですしね」


「6.5mmといえば先の日露戦争の問題は解決しそうなのかい。銃身が膨張して廃銃となる事例を陸軍は問題視していたそうじゃないか」


「うッ……。はい、閣下。自分は必ずしも6.5mmの銃身が原因ではないと考えているのですが、しかし陸軍の調査する精緻な数字はまさしく驚嘆に値するほど緻密なのも事実ですし、それを抜いても6.5mm弾がクセのある弾なのはあります」


 瑞端は6.5mm弾の装薬と弾頭を調整して解決できないか実験をしているが、やはり、陸軍の研究のほうが確かだ。


「6.5mmの三八式実包……フェドロフさんのライフルの弾の日本で生産していますし、そのM1916小銃を16式小銃として本邦も採用してはいるのですけどね。セストロレツクの工場から輸入品もありますけど」


 瑞端は、閣下に一方的に話していたことに気がつき、こほん、と、咳払いして切り上げた。


「美味い蟹を食ってきます」


 日本は、赤軍ゲリラが活発化するサハリン州ニコラエフスク港へと上陸する。編成は帝国航空宇宙軍から戦力を抽出された臨時旅団で将兵の数は2,000強。直近で頻発する赤軍の推定5,000と比較すれば半分ほどの頭数であるが、軽装備も満足に行き渡っていない赤軍と比較して、臨時旅団は機械化で完全充足された旅団であり、高級な金食い虫だが、市街戦や陣地構築等を5年間訓練されてきた精鋭であった。


 宇宙軍のほぼ、全軍である。



 1919年12月。


 航空宇宙軍臨時旅団の将兵2,500と機材の荷上げが、ニコラエフスク港にて完了する。


 白い息を吐きかじかむ手を温めながら、重厚な防寒具を身に纏う彼らは、ニコラエフスクの町を守護するロシア白軍からスープとパン、そして酒で歓迎された。


 日本人居留地は日本軍が警備をしているが、町全体はロシア白軍が防衛を担当している。また日本人居留民の多くは、ニコラエフスクで商社を営む島田商会の関係者だ。彼らはサハリン州で赤軍ゲリラが活発化しているなかでも、春の雪解けに備えての通常業務に従事していた。


 日本人こそ300名程だが、他にロシア人が12,000人いる。白軍はその保護が任務だ。コルチャーク政権が赤軍を相手に頑強な抵抗を見せ、白軍の勢力は最盛期程でこそないがいまだ能力を維持している。


「我々と一緒にニコラエフスクを守って欲しい」と、白軍のメドベーデフ大佐だ。


 メドベーテフ大佐はM1916自動小銃を背中に回していた。対して瑞端も16式自動小銃だ。同じ弾と、同じ銃である。


「しかし『サラエボの勇者』とまた会えるとはな。覚えているか?」


「勿論ですともメドベーデフ大佐。ですが数奇です。日露戦争ではお互いに機関銃を向けて学びあったもの同士が、今は手を結ぶ」


「はっはっはっ。ヨーロッパの連中はバカにした旅順、奉天の地獄を、農奴あがりに教育してやるのが楽しみだ」


「まったくだメドべーデフ大佐。しかし、中国軍の艦船は目障りだな。日本人だが朝鮮民族のものもいる」


「中国の連中もサハリンを狙っている」


「赤軍に合流するかな」


「うん、可能性は高い」


 メドべーデフ大佐は中国が中立をとるなど微塵も信用していない口振りで言う。


 日本は、ロシア内戦に大してハッキリと白軍支援を表明している。労農革命の赤軍を完全に否定しているのは、日本の重工業が皇帝一族と一緒になり食糧改善の投資をしてきた資産をことごとく、赤軍に接収されたから……という建前がある。


 潤沢な肥料、農業トラクター。


 ロシアを肥沃な土地にする為、餓死する人間を減らす為の国土改善計画は、サラエボの英雄としての知名度と、大公夫妻の熱烈の推薦で勝ち取った成果だ。


 体を張って高貴な血を守った非ロシア人と言うのは都合が良く、政治の道具にもウケた。ただそれ以上に勇敢で恐れを知らない挑戦する男というのは、スラブ民族の琴線に触れるものがあったようだ。


「塹壕と有刺鉄線を張り巡らせましょう」


 ニコラエフスクの道を塞ぐように塹壕が半日で掘られた。1週間でで各所の塹壕が接続され、数週間で多層の塹壕陣地帯と野砲と弾薬庫が付けられる。


 数ヶ月でニコラエフスクは要塞へと様変わりし、その銃座は偽装陣地や予備陣地を完成させていた。



 1920年2月。


「赤軍連中は長くは待てないだろう」


 瑞端は革手袋に有刺鉄線の鉄の薔薇を喰い込ませながら、ロールから伸ばしていく。既に何十もの鉄条網が構築済みであり、工具があったとしても生半可では突破できない。


 それに足を止めた突撃してくる兵士を狙う、何重かの塹壕も掘り返されているし、ニコラエフスクの建物には土嚢と補強された銃座を据えた陣地も狙っている。


「時期に略奪した食糧を食い尽くす。無謀な突撃をせざるをえなくなり、俺達はのんびりと待とう。焦った腹を空かせた獣の爆発力がどこまで続くか、ゆっくりと料理すれば良い」


 3月が限界だろう。


 瑞端は計算していた。


 しかし赤軍は攻撃を躊躇っている。


 ニコラエフスクに到着した、帝国航空宇宙軍の臨時旅団の存在をシンパから聞いている筈なのだ。共産主義者で赤軍と通じる労働者は幾らでも潜伏していた。


 それでも要塞への突撃は困難だ。


 瑞端は考える。


 赤軍はまず、ニコラエフスクの白軍と航空宇宙軍を切り離すだろう。大勢の市民もだ。ロシア人は多い。少ない日本人なら軍民を同時に相手にできる。


 赤軍には2倍以上の頭数が存在する。


 白軍に降伏勧告をだし、航空宇宙軍を居留民の地区に押し込めたあと強襲するつもりだろう。


 後から合流した山賊ばかりの集団が機微を読む軍事作戦をするのも難しい。できることは少ないし、やることは想像がついた。


「おッ」


 瑞端は帽子を外して振った。


 ニコラエフスクに装甲車の一団が帰ってきた。近隣の村に潜伏している赤軍狩りに小突いて回っている部隊だ。大型の赤外線投光器、無線機、重機関銃に火炎放射器、小銃弾を完全に無効化する装甲を貼った鋼の獣は、余程の近接白兵戦を生き抜いたのか、氷柱となった血潮や装甲の一部と化している肉片をつけたまま凱旋してきていた。


 勇ましい戦果だ。


 貴重な車両を突撃させれば人馬に対して破滅的な効果を期待できることを目の当たりにした。


 だが、瑞端は放棄された車両も見る。凍りつき行動不能になった車両だ。今は機関銃座として置物となっているものが3分の2ある。


 車両部隊としては欠陥が露呈していた。


 上手くいっているばかりではなかった。


「ゲリラどもが一丁前に要求なんぞ寄越しましたぞメドべーデフ大佐、どう思いますか?」


「赤軍ですぞ?」


 メドベーテフ大佐の言葉で決まった。


 瑞端は臨時旅団長の指揮を観戦する。


 赤軍ゲリラと日本軍が衝突する。

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