第1話「東洋の黄色い手」(1)

 1919年2月。


「瑞端くん! 君の話していた大日本帝国航空宇宙軍設立の提案、原くんに通すことができたよ」


「おぉ、殿下! それでは口減らしや身売りへの対策は政府として対応していただけそうですね。殿下の提案とあれば帝国議会も通しやすいはず」


「うむ。僕のおかげでね」


「ははは……しかし事実ですか」


 起こるべくして起きた第一次世界大戦は起こらず5年が経過していた。いまだ民族的な対立が燻っていたり、列強の過激なゲームも欧米諸国を主人に暗躍しているがひとまず、大戦の予兆らしいものはない。


 大日本帝国航空宇宙軍の設立。


 それは世界大戦を回避して5年。


 同時に、サラエボでの大公夫妻暗殺未遂事件を身を挺して防いだ俺、瑞端翔平がようやっと奇跡的に後遺症を克服して歩け始めたときの歳だ。


「まだ辛いのかい?」


 と、言うのは、殿下だ。


 まあただの『殿下』だ。


 瑞端は杖を使って立つ。


 ぎこちなくとも5年物は馴染む。


「日常生活はなんとか。ただやはり心身頑健容姿端麗というには厳しいですかね」


「近衛には置いておけないだろうけど、そこは僕の推薦で除隊は保留させてもらっているよ。皇族ならともかく他国の夫妻を守護したからとその体に同情は集まらないからね」


「新設されれば航空宇宙軍に転職しますか」


「死にかけの君の遺言には耳を疑ったよ。宇宙軍幼年学校および兵学校を設立し、子女の教育を主たる業務とする航空宇宙軍を創設してほしいなんてね。頭がイカれたかと」


「イカレは酷いですよ、殿下」


 しかし、瑞端の夢なのは事実だ。


 自前の教育機関を持ちたかった。


 幼年学校と兵学校だ。


 入れる人材は今まで、農村部で口減らしや身売りに出されてきた子女だ。入校に男女の制限はない……普通の将来有望な人間は陸軍か海軍か大学を選ぶだろうが。


 全寮制で衣食住は全て予算と寄付金。


 そして、幼年学校と兵学校への受付が始まり選考をえて当初の収容予定をやや上回る4000名強以上の生徒が入学することになった。


「……閣下、女ばかりに見えます」


「労働力にならない女が主な生徒だからね。99%の学生は女子だ。男子もいるが、彼らは宇宙軍を選ぶ惰弱な精神の腐った奴と影口されているらしい」


 閣下、閣下!


 と、瑞端は、閣下の肩を揺さぶる。


 瑞端にとっては、このようなライトノベルのごとき女学校になるとは想定外であったのだ。たしかに瑞端は、口減らし目的に、悪戯に使い捨てされる人的資源の流れを再利用するため帝国航空宇宙軍が欲しかった。


 たまたま、知己を結ぶことのできた閣下を口説き落として理想に燃えた第一歩であった。


 だが……予想外!


「閣下、たしかに女児の手を掴むものは少ないでしょう。ですが正直……ここは嫁を教育する学校ではなく宇宙軍の学校であるはずです。そのような場所に女児を……」


「瑞端くん。君はどちらの理想を優先するのかね? 私は場所を用意した。しかしそれは君の宇宙軍が、賢くも優秀である陸軍ならび海軍とは違う目線をもつことが可能だと期待したからだよ」


「……失礼をお許しください、閣下。粉骨砕身で挑ませていただきます。そうですね、絶対に必要なものが手に入った。素晴らしいことです」


 瑞端は幼年学校の授業風景を見学する。


 口減らし枠を拾い上げた学校なだけあり、初等教育さえまともに受けていない連中ばかりだ。


 死ねと言われ、そうされる童なのだ。


 ちょうど給食が出されている時刻だ。


 食事の鉄の掟が、給餌される猿の群れのごとき連中に叩き込まれていた。言って聞く輩などほとんどいない。いかに食い物を多く奪い蓄えられるかで喧嘩が起き、そこに、戦艦の主砲にも勝る怒号と鋼の拳が黙らせた。


 最初はこんなものだろう。


 お上品の欠片も、理想の一歩も、繰り広げられる光景だけでは微塵も感じられるものはない。


 だが瑞端は悠長であった。


「ふむ。食い物を増やさねばな」


 見苦しい弱肉強食な食料争いと秩序をもたらす暴力荒れ狂う給食時間に幼年学校を徘徊する瑞端、そしてその背中を見る生徒がいた。


 瑞端は足を止めて振り返る。


「ガキども、俺に用事かい」と、瑞端は訊くが、授業中から逃げた小僧連中は隠れてしらばっくれた。


 瑞端は考える。


 勉強の態度には三つの過程がある。


 勉強をやりたくない。


 仕方なく勉強する。


 自分から勉強する。


 普通は勉強は皆大嫌いだ。


 理想は自主的にすること。


「ガキども、お前らがどうなれるのかの将来を少し見せてやる。気になったらついてこい」


 瑞端は宇宙軍の敷地の一角に行く。


 そこに建てられているのは倉庫だ。


 瑞端はその倉庫を開け手招きした。


 照明を入れる。


「ガソリン式トラクターだ」


 こいつは、と、瑞端は続けた。


「牛や馬を使っていた畑仕事、家畜以上の力で速くやれる。木々を薙ぎ倒し、土を起こし、それらをたった1人の仕事で可能にする機械だ」


 小屋ほどある巨大な機械だ。


 冷たい鉄の塊で、その足には幾つものタイヤがありタイヤを一塊に包むように鉄の履帯が紐掛けされているように通してある。


「北海道や東北の開拓用だがな。もっと手軽な手押し式がある。こっちは安い。米作りに使えるぞ。村総出で田植えをしなくても、稲刈りをしなくても済む機械化は、ここにある」


 倉庫外に隠れていた小僧らが、おっかなびっくりと足を踏み入れる。しかし機械油の臭いが満ちた倉庫は、クセがあったようだ。


「臭いッ!」


 そんな小僧を見て、瑞端は大笑いした。


「知っているか? 時期にロシア帝国はソビエト帝国へと変わる。ロシア皇族は帝政と共に降りるが共産主義者や赤軍を一掃する。日本は日清戦争と日露戦争で得た大陸の土地に傀儡政権を立てて引き上げる。そして日本の全ての道を国道としてコンクリートで固め、都市という都市には巨大な高層建築物を建て、大規模な化学工場と大規模な耕作地を機械で埋め尽くす」


 瑞端は、ぽかんとする小僧連中を見る。


 小僧どもは重大性は欠片もわからない。


「こっちこい。乗せてやろう」


 と、瑞端は小僧を手招きした。


 小僧どもはやはりためらった。


 しかし、1人が決断的に進みでた。


 三つ編みが左右に揺れ、丸い眼鏡を掛けていて、やや細ばった骨格であり、胸も尻も貧相な女である。


 瑞端は軽々とその女を持ち上げた。


 女を座らせたのはトラクターの座席。


 固く、大きく、小さな女にはハンドルもアクセルもまるで届いてはいないほど、それは大きかった。


「……なんで帝国航空宇宙軍なんだ?」


 と、女は退屈そうな声で訊いてきた。


 言う女は、ハンドルに手を伸ばし指先で回してみたり、アクセルペダルへと足を伸ばしてバネで返ってくるまま跳ねさせていた。


「ガキを相手に楽しいか?」


「カーチス! 日本にいたのか!?」


「……日本にいたのかじゃねぇよ……」


 倉庫の片隅に死んだような外人が、悪い目つきで瑞端を睨みあげていた。アメリカ人のカーチスだ。


「君の会社も忙しいのに働き者だな」


 と、瑞端が言えば、カーチスは口を開こうとするも、瑞端に遮られた。


「みんなに紹介しよう。君達の将来の理想! アメリカ最高のエンジン開発者であるカーチスくんだ!」

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