その10

「ちょっと行ってくる。青信号になったらお前はこのまま人込みに紛れて事務所に向かえ」


「え、あのちょっと…!」


 なにか遠くを見つめるような目つきで長井さんがそう言う。

 わたしの呼びかけも意に介さず、彼はわたしに荷物を持たせて、人込みの中から飛び出した。


「いたぞ! 長井仁だッ!」


 少し離れたところから声が上がると同時に、わたしの周りの人たちが動き出す。

 …青信号になったんだ。わたしは言いつけられた通り、人込みに紛れて信号を渡った。


 途中振り返って交差点を見るが、そこにはもう長井さんも追いかけてきた人たちの姿も見えない。

 みんな長井さんを追いかけていったようだった。


「長井仁…って、言うのかな?」


 路地に入り、事務所に向かいながら呟く。

 ここ数日、長井さんの事務所に厄介になったけど、彼の下の名前は結局聞いたことがなかった。

 それが、長井さんの名前なのだろうか。


 普通に考えたらそうなのだろう。そう呼ばれて追いかけられてたし…。


 事務所のあるビルに入り、階段を上る。

 長井さんに持たせるからと多めに買った食材の重さにひいひい言いながら4階に上がると、予想もつかない人物がそこに立っていた。


「…おか、えり」


 青ざめた男。ドラジットのリーダーである戸田さんがそこにはいた。

 今にも倒れそうなほど青い顔に、肩までかかる黒い長髪がくっきりとコントラストをつくり、なんだか化粧をしたバンドマンみたいだ。

 たぶん、長井さんを数日ぐらい寝ずに働かせ更に顔色を悪くしたら、こんな顔になるんじゃないかとも思う。長井さんはこんな髪長くないけど。


「戸田さん…でしたよね? どうしたんですか」


「君、は…イン君と、一緒に、住んでるの…?」


「…はい、泊るところがないので長井さんの家に泊めさせて貰ってるんです。数日間ですけど」


 わたしの言葉に質問で返してくるが、威圧的な感じはない。

 半グレ…っていうんだっけ。そのリーダーが目の前にいるというのに、不思議と恐ろしさもなかった。


 だらんと力を抜いて、うなだれる様に立つ戸田さんはその肌の色も相まって死体みたいに思える。

 そこには暴力性の欠片も感じられず、意思も感じられない…。

 まるで、太陽の下に引きずり出された死体だ。


「あの…これ中に置いてきて良いですか」


「うん…どう、ぞ」


 その立ち姿に見入っていると腕が痺れてきた。

 わたしは以前つくっておいた合鍵を取り出して、事務所の扉を開ける。


「それで、戸田さんはどうしてここに? それも一人で…」


 荷物を中に置いてまた戻る。流石に人の家だし、中に招き入れるのはまずいのかなと思った。


「うん…僕は、君に話があって、来た…。僕の仲間には…聞かせられない、ことも…」


「話…?」


「君の考えが、正しいのか…確かめて、きたよ…。約束だった、から…ね。

 腕時計の男に、ついて…知っていることを、教えるって…」


 それは、願ってもないことだった。

 なんならこの街から帰る前に、わたしのほうから再び接触しようと画策していたくらいだ。


「結論、から、いうと…君の想像は、当たって、いる…と思う。腕時計の男は…君の姉、大野晴香の…心中相手である、可能性が…高い…」


 ——そう…。


 4年前、わたしの姉…大野晴香は両親の死後、病院から飛び降りて亡くなった。


 それは一人で敢行した訳じゃない。

 お姉ちゃんは妹のわたしを差しおいて、見ず知らずの男と心中を図った。

 その人の名前は知らない。遺族であるわたしに教えるわけがない。

 ただ…生き残ったとは聞いていた。


 …だから、あの腕時計を拾った時、そうなのではないかと思ったのだ。


 姉の命日…霊園に行ったあの日。

 わたしを見て…逃げ出す様に立ち去ったあの人物。

 そして、姉の墓前に残された…ひび割れた時計。


 思い付きを繋ぎ合わせただけだが、わたしを突き動かすのにはそれで十分だった。

 咄嗟にその人物を追って、街を走った。

 そして、途中で見失い、なんとなく歩いていた人に声を掛けたら…長井さんと出会い、戸田さんのお仲間たちに追いかけられることとなったのだけれど…。


「その心中相手に、ついて…当時の、病院、関係者を当たって…しかるべき、手段で…聞き、出して、きた…。大野晴香の…心中相手は、同じ病院に入院していた…当時12歳の…少年だった…」


 …当時12歳の少年…たぶん、わたしと同い年だ。


「その少年、の…名前、は——」


 戸田さんは、なにか含めるように、一度息を吸った。


「——長井、仁…」


「…え?」


 意図せず、声がもれていた。

 その名は耳にしたばかりの、長井さんの…名前。


 別に珍しい名前じゃない。同姓同名だっておかしくない。

 なのに…頭の中で新たな思い付きが繋がり、形を成そうとしていた。


「僕らは、裏を取りに…長井仁…の、母親を探し出して…彼女に、あの腕時計を、見せた…。

 そしたら、彼女は…息子のもので、間違いないって…言って、いたよ…。あれは、彼女が、贈ったもの、らしい…」


 戸田さんは続ける。


「…この、証言も、踏まえて…僕は…その、長井仁こそが、僕の仲間を、襲った…腕時計の、男で、間違いない…と、思う…。どうして、陸揚げの地点が、わかったのか…。ずっと、疑問…だった。

 けど、彼ならば…知ることが、出来ても———」


 続く戸田さんの声は耳を素通りした。


 わたしは姉の心中相手が知りたくて追っていただけだ。

 その心中相手の名前を知った今、その人が収奪犯である腕時計の男かどうかは後回しでいい。

 そんなことよりも、頭に溢れる思い付きの精査に忙しかった。


「…その長井仁って人は…今、なにを…?」


「少し調べた、けど…はっきり、とした…足取りは、掴めて、ない…。何処に住んで、いるのかも…。

 きみ、は…最近話題の…トルスケイル…って暴走族は…しって、る?」


「トルスケイル…聞いたことはあります…」


 確か、このビルの3階で働いている燈花さんが言っていた、再結成した暴走族とやらがそんな名前だったはずだ。


「トルスケイルは…いま、沈澱党、って…グループと、抗争して、いるみたい…なんだけ、ど。

 その、沈澱党の、リーダーが…長井、仁という、名前だと聞いた、ことが…ある…。とは、いっても…別人の、可能性もあって…定か、ではない…」


 暴走族の抗争相手のリーダーが…長井仁と、名乗っている…。

 それが本当ならば…姉の心中相手は今、沈澱党というグループのリーダーをしている、ということなのだろうか…?


 先ほど、わたしたちを追ってきた三人を思い返す…。

 彼らは、長井仁の名前を叫んでいた…それを鑑みると、彼らはその暴走族なのではないだろうか。

 そして…彼らに追われていた長井さんは…。


 あ…、とそこで戸田さんが小さく声を上げた。


「そうだ…母親から、聞いたけど…長井仁は、インくん、と…同じ東高に、通って、いるようだ…ね。ほとんど、登校して、無い…みたいだけど…張り込めば、いつか…会える、かも…」


「…」


 更に裏付けるような情報が出て、わたしは何も言えなくなった。


「これで、終わりかな…。僕の知っている…こと、全部…話したよ。僕は…これ以上、もう長井、仁について調べる気が、ない。きみが…どうしても…彼と会いたい、のなら…効果的なのは…彼の母親を、説得して…捜索願を…出させることか、な…」


 これ以上、調べる気がない…?


「あ、あの…長井仁は腕時計の男なんですよねっ? 戸田さんたちは彼になにかを盗まれて…探しているんじゃなかったんですか!?」


「その…必要性が、もう、ない…」


 必要性…?


 彼はただですらうなだれているのに、更に視線を下げて、床を見つめる。


「ちょっ、と…めんどうで、ね…。

 …まあ…末端価格、で…一億足らず…そこまで…大した、痛手じゃない…と判断した…」


 戸田さんは言い切ると、徐々に面を上げて、こちらをまっすぐ見据えた。


「…うちの子たち、の前では…こんなこと、言えない、けど。彼…彼ら…には、関わりたく、ないんだ。だから…ごめん、ね…」


 申し訳なさげに目を細めて、戸田さんはわたしの横を抜けた。

 しかし、ふと途中で足を止める。


「…そう、言えば…君は、インくん…のこと、長井…って、呼んで、いたね…。彼の、名前は…なんて、言うんだい…?」


「…っ」


 息が詰まる。


「知り、ません…知る必要も、無いと思っていた、ので…」


 自分の迂闊さを指摘されているように感じて、かろうじて返事を絞り出した。


「…そっか…。でも、たぶん…彼は…」


 なにかを察したのか、戸田さんは沈痛な面持ちで呟く。


「…いや、なんでもない…。じゃあ、ね…」


 そんな言葉を残して彼は階段を下りて行った。

 そして、わたしは一人、玄関前でただ立ち尽くす。


「——どうしよう…」


 もし長井さんが、姉の心中相手———その、長井仁だったら…。


 いや…困るような事じゃないのかもしれない。

 姉の墓前であの腕時計を拾った時から、わたしは彼を追っていた。長井仁を探し続けてきたんだ。

 その長井仁が、思いもよらないほど近くにいたのだとしたら、それはどちらかと言えば僥倖だろう。


 でも、そうだと上手く割り切れないのは何故なのか…。

 自分がどちらを望んでいるのか、それすらも分からない。


 ただ、長井さんがその長井仁だと考えただけで…胸に渦巻く怒りがあるのも確かだった。


 あんな奴が選ばれて…わたしは置いてけぼりにされたのだ…と。

 あいつはのうのうと生き残ったくせに…姉の死の、その影すらも見せていない、と…。

 そんな…幼い感情が、時を越えて蘇る。


「わたしは、あの時から進んでいないのに…」



 事務所の一室。借りた部屋のベッドに座って、充電を終えたスマホを眺める。

 当初はこんなに長居するつもりは無かったのに、もう連休も終わってしまいそうだ。


 叔母には連休中に友達と遊びに行くとは言ったけど、詮索されなかったのでその相手も日程も言っていない。

 彼女と仲良くはできていると思う。でもそれは結局うわべだけのものなのだろう。

 目には見えない、溝がある。叔母に限った話ではない。

 姉の死を聞かされたあの日。亀裂が入ったあの時。あれ以来、世界は深い断絶を持った。



「一度…整理しよう…」


 わたしは数日前、姉の命日にこの街へやってきた。

 一番の目的はお墓参りだったけど、連休中家に居たくないという思いもあって、半ば衝動的に数日間滞在する準備をして来たのだった。


 朝の電車に乗って、この街に着いたのが10時ごろ。

 駅を降りたその足で、わたしは家族の眠る霊園に向かった。

 そして霊園に着くと、そこには先客が一人いた。

 彼…あの時は性別すらも分からなかったけど、目深にフードをかぶったその人はわたしに気づくと、たちまちその場を離れて霊園を出て行った。

 不思議に思いはしたが、その時は特に注視もせずに、わたしはその人を見過ごしてしまったんだ。


 しかし、墓前であの腕時計を拾った時…ある考えが過った。

 まるで、止まった時間が再び動き出すように…わたしはその考えに突き動かされ、彼を追った。


 彼も追うわたしに気付くと逃げ足を速め…それがわたしの考えを更に補強した。

 走るのは結構得意なので距離は段々と縮まってくれたが、あの高いビルの前に差し掛かると話が変わり、わたしは彼を見失ってしまったのだった。


 眼前も満足に見えないほどの人込みを歩き、彼を探しても時間だけが過ぎて行くばかり。

 とっくに彼はこの人込みを抜け出しているとも考えたが、他に何のあてもないわたしは意地になってその広場を彷徨った。

 たぶん1時間以上そうしていたと思う。

 それでも全く足取りが掴めなくて…諦めかけていた時、人の少ない通りに出た。


 そこで目に付いたのは、一人の…男性。長井さんだ。

 その生気のない横顔はやたらと影があって、わたしが追いかけていた人とは服装が違ったけど、なんだか気になり声をかけた。


 もしかしたらその影に、わたしは何かを感じ取ったのかもしれない。

 …まあ、話してみたら全然そんな感じじゃなかったけど。


 長井さんには覚えがないと言われたが、聞き込みという手法に行き着いたわたしはとりあえず似ている人に声をかけようと、近くにいたフードの人に声をかけた。

 そしたら、なんかいきなりその人は怒り出して…そこに横入りしてきた長井さんと一緒に逃げることになった。


 その後、長井さんの案内で駅前に向かったが、駅前にも追手が居てわたしが先導する形になったので、とりあえず道を知っている霊園に向かった。

 無事追手を撒けて、霊園に辿り着いたわたしは、腕時計を拾った場所に長井さんを案内した。

 長井さんはああいう手合いに詳しそうだったし…あの腕時計を見せたらいきなり追われたという事もあり、少しでも情報が欲しかったのだ。


 その時の長井さんの受け答えは…普通だったと思う。

 わたしの姉については、何も知らない人…という印象だった。


 それからは…まあ考えるまでもない。


 未成年はホテルに当日飛び込みできないという予想外もあったけど、長井さんが事務所に泊めてくれることになって助かった。


 それから数日、長井さんの事務所に住むことになって、人となりもわかった。

 口うるさいところがあるけど、放っておくなり話を逸らすなりでやり過ごせるし、根がお人好しなのか、要求もごねまくったら大体通るし…なんというか…かなり扱いやすい人だと思う。


 その印象はとても、姉の心中相手のイメージとは繋がらない。

 むしろ、文句を言いつつもわたしの我が儘に応えるそのさまは…お姉ちゃんを思い出す。

 そんな長井さんが…本当に長井仁、なのだろうか。


 そもそも、長井さんと初めて会った時、わたしが追っていた彼とは服装が違った。

 けど、わたしが一度彼を見失ってから長井さんを見つけるまで、1時間以上かかっている。

 わたしから逃げ切り、一度事務所に戻って着替えてから広場に戻ってきたとしても何も不都合ない時間間隔ではあると思う。しかし、わざわざそんなことをする意味があるのか…。


「…わかんないや」


 体を投げ出すように、ベッドの上で大の字になる。


 長井さんが、長井仁…姉の心中相手なのか。

 仮にそうだったとして…わたしはどうするつもりなのか。


「とりあえず…帰ってきたら直接聞いてみよう…」


 そのまま天井を見上げていると、眠気が身を包む。

 わたしはいつの間にか、眠りへと落ちていた。


 ◇


 うたた寝を断ち切ったのは、部屋の扉を叩くノックだった。


『真尋? お前、ちゃんと飯食ったのか?』


 浅い眠りだったのか、意識は比較的すぐにはっきりとしてくる。

 長井さんが帰ってきたのだろう。

 続けて、そういえば食材をそのまんまにしていたなな…と、平坦な思考が流れてから、ようやく彼に聞かなければならないことを思い出した。


『俺は今から外で飯食ってくるけど…なにか買ってくるか?』


「…いえ、大丈夫です…」


『…そうか。あとで冷蔵庫になんか入れとくから、食っといていいぞ』


 何も食べていない様子のわたしを気遣ったのだろう。

 長井さんはそう言い置いて、事務所を出て行った。


「…何で聞かないんだよ…わたし」


 その後、長井さんは帰ってきてちょっとしてからソファで眠ったようだった。

 結局わたしは何も聞けないまま、部屋にいる。


 何故、たったひとつの質問を投げかけるだけのことに、こんなうじうじしているのだろう。

 聞きたくない答えがあるからか。答えを聞いた後、どうすればいいかわからないからか。


 長井さんが長井仁だったら…わたしはそれを裏切りと捉えるのかもしれない。

 だとしたら、わたしはただ、姉が飛び降りたと聞いたあの時と…同じ思いをしたくないだけなのか。


 考えに没頭していると、居間の方から物音が聞こえ始めた。長井さんが起きたのだ。

 たぶん、これから街に出る準備をしているのだと思う。


 …そうだ。

 長井さんは連日夜に出かけ、朝方帰ってきたと思ったらすぐさま眠り込むという生活をしている。

 彼は毎夜、一体なにをしているのだろう…。


 事務所のドアが開閉する音がした。それを耳にしたわたしは着の身着のまま部屋を飛び出て、急いで靴を履くと長井さんの後を追う。

 たったひとつの質問にすら多くの逡巡を要し、未だしり込みしているというのに、その行動に迷いはなかった。


 ◇


 街に出た長井さんは表通りを外れ、人気の少ない場所へと進んでるように感じた。

 どんどん辺りは暗くなる。人のざわめきも、車の音も、進めば進むほど耳に入らなくなる。

 はじめは人込みのお陰で、そして今はこの夜闇のお陰で、未だ長井さんに尾行はバレていないようだった。


 やがて彼は河川敷の土手に上がり、空を見上げながら歩き出す。

 わたしも土手に上がり、後を追う。

 流石にこの暗さといえども、土手は一本道なので彼が振り向いたら発見される可能性が高い。

 わたしは出来るだけ長井さんから距離を離して、それでいて彼を見失わないギリギリの距離を保って土手を歩いた。


「あっ」


 突然、前方の長井さんが土手を降りて、下の路地の間に入っていった。

 わたしは慌てて土手を走り、上から彼を探す。


「いた…」


 長井さんは下手にある建物の駐車場にいた。

 わたしも土手を下りて、物陰に隠れながら彼の動向を見張る。

 長井さんはその建物の入り口の扉を開き、その中に足を踏み入れていった。


「倉庫…?」


 建物の形といい、彼が今開いていった大きな引き戸といい、その建物は倉庫のように見える。

 彼はこんな場所でなにをするつもりなのか…。


 わたしは、長井さんが半開きのままにした大きな引き戸に近づき、そこから中の様子を覗き見た。


「なに、これ…」


 倉庫のなかには、目を見張るほど大勢の人たちが蠢いている。

 長井さんの姿はその人の壁に隠され、見失ってしまった。


 何の集まりなのだろうか…。長井さんは一体ここでなにを…。


「人の古巣にうじゃうじゃいやがるなぁ…沈澱党のやつらよ!」


「——っ!?」


 突如、すぐ後ろから野太い声が響き、咄嗟に振り向こうとして尻もちをつく。

 見上げるように目に入ったのはひげ面の男性。その男性は顎に手を当て、引き戸の先を覗き込んでいる。

 ひげ面のせいでかなり老けてみえるが…光を受ける顔半分は思ったより若々しく、30歳ぐらいに見えた。


「あ、秋鷹あきたかさん…声デカい…気付かれますよ…!」


「トルスケイルたる者、そうビクビクすんな。あと、おれの事はカシラか、ヘッド。もしくは総長と呼べっつったろ」


 その人の後ろには高校生くらいの男性が数人。

 手ぶらの人もいるが、大抵傍らにバイクを押し引いて駐車場に立っている。

 トルスケイルって…この人たち、もしかしてあの暴走族…?


「…で、姉ちゃんはここで何してんだ? 沈澱党のアジトなんか覗いて」


 ひげ面の人がわたしを見下ろして聞いてくる。

 威圧的なものを感じない。心底疑問といった表情だった。


「沈澱党…?」


 何だっけ…何処かで聞いたはず…。


「何だ知らねぇのか。沈澱党つーのはな、チャチなイタズラばっかりやってる根性のない中坊の集まりだ。そういうガキどもには、一度お灸をすえてやんなきゃならん」


「あ…」


 そうだ戸田さんが言っていた。暴走族と争っているグループ…それが沈澱党という名前だった。

 そして確か、その沈澱党のリーダーが…長井仁と名乗っているんだ。


「秋鷹さん…こいつ、長井仁の女ですよ! 今日アイツを追ってる時、この女も一緒にいました…!」


 後ろの男性たちのなか、一人がわたしを見て声を上げる。


 …この人、昼間にわたしと長井さんを追いかけてきた一人だ…。

 やっぱり昼間追って来ていたのは…この人たち。トルスケイルだったのか。


「なにぃ…? 長井仁の女ってことは、それはつまり…」


 ひげ面の形相が歪む。

 わたしは咄嗟に身構えた。


「最近、愛しの彼の様子がおかしい…。シャバいガキんちょとつるみ、あたいには全然かまってくれない…! 一体どうしちまったんだい…そう思い、あたいは彼の後をつけた。そしたら…彼は怪しい倉庫の中に消えて行き…という状況ってことだな!?」


「え…、いやあの…?」


 彼は突然、立て板に水のごとく謎のストーリーを読み上げた。

 それを受けて、後ろの人たちが皆、何言ってんだこの人…という表情でひげ面の男を見ているのが倉庫から漏れる光により露わにされている。


「秋鷹さん…それはちょっと違うと…」


「ああ? 何が違う? この子は長井仁の女なんだろ? でも、沈澱党について知らなかったじゃねぇか。そのうえ、奴らのアジトをコソコソ覗きこんでいたんだ…そういうことだろ!?」


「沈澱党については、とぼけていただけじゃ…」


「馬鹿野郎ッ! 無暗に人を疑うんじゃねぇ!! 確かになぁ、おれらはなぁ…なにもしてなくても人に疑われ、罪を押し付けられるような人生を生きてきたろうよ!! だがな! だからと言ってそれを人にやり返すってのは道理が違えだろ!? 男ならば…! どれだけ不平等に晒され、傷をこさえようとよそ見なんてしねえ!! それが真なる硬派ってもんだ…ッ! だからこそっ、この世の不条理と戦うため相棒とダチを信じっ…一直線に走り抜けてきたんだろうがよぉ…っ!!」


 あ、この人ヤバい人だ…。


 ひげ面の人はいきなり叫び出すと、途中で涙声になにか語りだし、後ろの人たちが困り果てた様子で顔を見合わせている。


「——おいっ! 外に変な奴らいるぞッ!!」


 そんな大声を出したら、当然こうなる。

 倉庫の扉が限界まで開かれると中学生くらいの子たちが数人、入り口をふさぐようにこちらを窺い、更にその後ろでは大勢の視線がわたしたちに向いていた。


「あ…」


 その中に、わたしは長井さんの姿を見つける。


 大勢見える彼らは沈澱党というらしい。そして、戸田さんが言っていた。

 沈澱党のリーダーは長井仁を名乗っていると…。

 それならば、彼らの中にいる彼は…。


 長井さんがこっちを見る。

 目が合いそうになったその時、わたしは強い違和感と共に眩暈を覚えた。


 …それは、おかしい。

 よくわからないけれど、なにかが、おかしい気がする…。


 一瞬の前後不覚。

 足がよろめき、わたしは思わず後退りして彼の視線から逃れる。ところで、後ろから肩を支えられた。


「宣戦布告…だけじゃつまらねぇな。姉ちゃん、ちょっと協力してくれ。大丈夫だ、悪いようにはしねぇさ」


「え…?」


「てめえらちょっと時間稼ぎしろっ。そこに停めたバン取ってくるからよッ。へへ、相棒をバンに乗せて来て良かったぜ…単車じゃ説得力ねぇからなぁ」


「説得力…? ちょ、あの…」


 ひげ面の人は駐車場から道に出て、見えない所に行ってしまう。


「テメェら何処のもんだ!」

「こいつらバイク持ってやがるッ、トルスケイルだ!!」


「おい…時間稼ぎってどうするよ…今にも突っかかってきそうだけど…」

「とりあえず、コールでも切るか…?」

「お前下手だろ…」


 倉庫の中から出てきてまくしたてる子たちを前に、彼らは慌てふためき顔を突き合わせる。

 昼間はあんなに好戦的だった暴走族の彼らも、この大勢を前にしては消極的になるらしい。


「ようしッ、おめぇらもライトをつけろ!」


 そこで、そんな掛け声と共に暗い駐車場へ光が差し込まれた。

 光源には一台のバンがある。その運転席にはお馴染みのひげ面。

 そして運転席の背後の荷室に、いかめしいバイクが積んであるのが微かに見えた。


「エンジンを吹かせッ! 徒歩の奴は誰かのケツに乗れッ!」


 ひげ面に従い、彼らは押していたバイクに座ってそのヘッドライトを点灯させる。

 駐車場のアスファルトをスクリーンにして、放射状に光が走った。

 その焦点に躍り出るのは、運転席から飛び降りたひげ面だ。


 多勢に無勢。それを気にする素振りもなく、野太い声を響かせる彼の異様な雰囲気に、外に出てきた沈澱党の人たちも気圧されるよう倉庫の入り口に後ずさる。


「———おう沈澱党の奴らよッ!! お前たちは何故チンケなイタズラを繰り返す!? おれらに恨みでもあるのかッ!?」


 拡声器を使用しているのではないかと疑うほど、その声は良く響いた。


「何言ってんだテメェ! そっちの奴らが先に手ぇ出してきたんだろが!」


 少し間をおいて、声変わりしたての声がそう反論する。

 ひげ面は初耳だ、と言わんばかりに、ヘッドライトに目を細めながら振り向いた。


「そうなのか?」


「…っすね。溝口のバイクにちょっかいかけられて…イキってたんでちょっと小突いただけっすが」


「溝口がいたのに止めなかったのか…珍しいな。ま、相棒を汚されちゃあ仕方がねぇよなぁ」


 ひげ面の人が仲間たちに確認を取っていると、その沈黙を機と見て、沈澱党の人たちは主導権を奪うよう騒ぎ立て始める。


「ぎゃあぎゃあうるせえ!! 男なら殴られたぐらいで騒ぐんじゃねぇッ! よし分かった! こうなったら拳で決着をつけようじゃねぇか!?」


 拳で決着という言葉に、またもや倉庫の中からぞろぞろと沈澱党の子たちが出て来る。

 ひげ面の後ろにいるトルスケイルの人たちはその数に動揺し、放射状になったヘッドライトが少しぶれた。


「だがなぁ! おれにガキをいたぶる趣味はねぇッ!」


 すうっ、と彼は大きく息を吸う。


「おれは秋鷹と言うッ! 新生トルスケイルのヘッドだ! いるかァ!? 長井仁ッ! 

 おれとお前のタイマンでケリをつけっぞッ! 場所はおれらトルスケイルのアジトで行うッ! 

 夜明けまでに来いッ!!」


 この人数差だからか、一対一という条件を付け加えたうえ、ちゃっかりこの場を後にしようとしている。何も考えてなさそうな人だけど、流石に形勢が悪いのは理解しているみたいだ。

 だが、いきなりそんな勝手なことを言い出しても突っぱねられるが世の常だろう。

 誰が行くか、とそこらじゅうで声が上がる。


 しかし、そこでひげ面の人は薄く笑った。


「長井仁っ! 見えているか!? ここにお前の女がいるぞッ!」


「うわっ!?」


 唐突にひげ面の人が振り返ってわたしの腕を引く。

 視線の矢面に晒されたわたしは、状況を呑み込めず、目を瞬かせることしかできない。


「え、あの子…仁さんの彼女なの…?」

「さあ、知らね…誰か知ってるか?」

「案外そういうこと興味あんだな…あの人」


 倉庫の入り口に出来た人だかり。その先頭の子たちを中心に、困惑のざわめきが波及しだす。


「この子はおれたちが預かるッ! 長井仁ッ! 一人でおれたちのアジトに来いッ!」 


「え!? ちょっと…っ!?」


「男、見せてみろ!!」


 何言ってんのこの人!? 

 そのまま首根っこを掴まれる猫のように、わたしはひげ面の人に引きずられ、バンに押し込まれそうになる。


「なあに、長井仁は少し痛い目に合わせてやるだけだ。んな心配しなくていい。おれに任せておけ」


「そういう問題じゃなくて…っ」


 じたばたと抵抗して、なんとかバンの手前で踏みとどまる。


「真尋! お前ッ、なにして——」


 ふと、人だかりの中から聞き覚えのある声が上がり、やがて喧騒に飲まれていった。


「…っ」


 声変わりしたての騒めきの中聞こえたその声に、何故か再び違和感を抱く。

 人込みが邪魔で彼の姿は見えない。でも、それほど離れていないはずだ。


 気付けばわたしは抵抗を止めて、ひげ面の人に為されるがままバンに押し込まれていた。

 それはまるで、彼から逃げるように。

 リアドアが閉められ、外とバンの荷室が隔絶されると、わたしは妙な安心感さえ覚える。


 …あれ? わたしはなにをやってるんだろう…。


「じゃあな、ガキどもッ! お前らアジトに直行だッ!」


 そう叫びながら、ひげ面がバンの運転席にとんぼ返りしてきた。

 わたしは後部座席の窓から外をみると、沈澱党の子たちはどうするべきなのか分からないようで、まごまごとしている。


「長井仁ッ、待ってるからなァ!!」


 彼らのバイクがけたたましいエンジン音を出して、駐車場を飛び出していく。

 それに続くよう、わたしが乗せられたバンも発進してしまった。

 運転席のひげ面に訊ねる。


「あの…これ、どういうつもりなんですか…」


「んー? 男ってのはなぁ。大事な存在が危険に晒されて、ようやくその存在が自分にとってどれだけ大切か気づくんだよ」


 …駄目だ話通じないや。

 ちょっと頭がおかしいだけで、そこまで悪い人じゃないんだろうけど…。たぶん…。


「はぁ…」


 なんだか、力が抜けた。

 端に工具入れや車のバッテリー、そして謎の円柱などが積まれ、中央に大型バイクが居丈高に陣取る荷室には、くつろげるスペースなんてない。

 わたしはそのバイクによっかかるよう、バンの荷室に腰を下ろした。


「悪いな姉ちゃん。狭いだろ。ガンガンエンジン吹かして大手を振り行きたいところだったが、うちの奴らが静かに行こうってうるさくてなぁ。おれの相棒を吹かさずにコロコロ転がす気もなかったから、バンに乗っけて来たんだよ。…あ、そうだ。どうせなら宣戦布告は相棒に乗って決めたかったのに…ちくしょう、忘れてた…」


「…バイク、好きなんですね」


「おう。二年前ぐらい前に、初代トルスケイル解散の憂き目に遭った時も…この相棒と臥薪嘗胆。

 二人三脚で泥水をすすったもんよ…」


 二人三脚というか…まあいいや、突っ込まなくて。

 この人にとっては、このバイクがそういう存在なのだろう。


「この街とは別の地方都市に越してな…フードデリバリーや配達でコツコツ金を貯めながら牙を研いださ。しかし途中でバイクがうるさいってクレーム入っちまってなぁ。とはいえ、そんな事情で相棒に負担をかけるなんて男の所業じゃねぇ。仕方がねえからなけなしの貯金でこのバンを買って、こいつで配達業を続けたんだ」


 言うほど二人三脚じゃないな…。


 そのままバンは夜の道を行く。

 先導するやたらうるさいバイクの音を後ろに、ひげ面の人が喋っている。


 途中で降ろして貰えるよう頼むべきかな…。

 逡巡のなか、曖昧にひげ面の声へと相槌を打った。


 しばらくそうしていると、不意に周りのバイクの音が止んだ。

 ひげ面の人…秋鷹さんというらしいけど、曰く…アジトの近くまで来たら通報されないように、バイクから降りて押しながら向かうらしい。


 なんか思っていたより小賢しい奴らだな、と思いながら窓から外を覗けば、丁度バイクを押して歩く彼らをバンが追い越す。


 外には、マンションから漏れる光やいくつかコンビニなどが見えた。さっき居た河川敷付近よりは人口密度が高そうだ。たしかにこの辺りで大きな音を頻繁に出していたら、すぐに通報がいきそうではある。


「…公園?」


 バンが速度を落としカーブを描くと、道の先に公園の入り口のような場所が見えた。

 そして、バンはそのままそこに向かって前進する。


 その公園はぱっと見かなり大きい。

 公園内をケヤキの樹木が道を作るように立ち並んでいるが、それが何処まで続いているのか、ここからじゃ終点が見えない。


 バンは当然のようにその入り口を踏み越えて、ケヤキが並ぶ広い道を通る。


「あの…こういう場所の入り口って、車止めがあるんじゃ…」

「ん、取り外せるタイプだったから引っこ抜いた」


 ちらりと荷室の隅を見れば謎の円柱が積まれている。

 これ車止めのポールか…。


 ルールに反し公共の場へ侵入しているのに、悪いことをしているという気色もなく、ひげ面の人こと秋鷹さんは鼻歌交じりで運転を続けた。


 我が物顔にバンは公園を悠然と進む。やがて、ケヤキの道が途切れた。


 道をつくる木々が途切れた先には、円形にひらけた大きな広場がある。

 鬱蒼とした森林に出来た巨大なギャップのようなこの広場は、何処までもだだっ広い。


 秋鷹さんは円形を形作る、樹木の内壁を沿うように車を走らせると、ベンチがあるところでバンを停めた。

 そのベンチの近くにはいくつかの人影と、バンのヘッドライトを射返すバイクが数台。


「よお留守番組っ、いい子にしてたか? 今日は帰んないほうがいいぞ~。沈澱党と決着がつくからな!」


「は、はあ…?」


 そう言いながら、秋鷹さんはバンから飛び出す。

 顔は見えないが、彼の仲間たちのものと思われる、なんだか戸惑いを含んだ返答が聞こえた。


「時田お前、煙草はあっちで吸え」


「えーっ、なんでぇ」


「ゲストがいるからな。もてなせもてなせ」


 リアドアが開け放たれる。少し冷たい夜気が流れ込んできた。


「おう姉ちゃん。降りていいぞ」


「あの…鷹さん。誰? その子…」


「長井仁の女なんだとよ」


「え? ど、どういう…?」


 促されるまま、広場に降り立つが…暗い。


 この暗闇に目が慣れているからか彼らはこちらの姿が見えてるみたいだけど、わたしからは暗くて何も見えない。

 一人、スマホを弄りだした人が居て、その人だけは何処に立っているのかなんとなくわかるけど…。


 公園内に街灯はいくつか見えたが、この広場には少ない。

 バンのヘッドライトと微かな室内灯だけが、闇を照らしていた。


 ◇


「——それで、連れてきたんすか…。誘拐ですよ」


「おうよ。なんだ溝口、ビビってんのか? なに、全部上手くいく。俺たちはやってきた長井仁を懲らしめる。長井仁は真の愛に気づき、姉ちゃんと上手くやる。沈澱党は解散。めでたしめでたし。な?」


 溝口と呼ばれた人は、ちらりとわたしを見てから、俯くように、はぁ…とため息を漏らす。


 あの後、道中音を立てないようバイクを押して来た人たちも合流すると、秋鷹さんはドラム缶のようなものを何処からともなく引っ張りだして来て、ベンチの前にそれを置いた。そしてまたもや何処かに消えたかと思えば、両手に木々の枝のようなものを抱えて戻り、そのドラム缶と枝木ですぐさま野焼きを始めてしまった。


 秋鷹さんにすすめられ、わたしはベンチを一人で貸切るように座っている。

 わたしの手前にはドラム缶に細工を施した焼却炉が炎を揺らめかしていて、地べたに座る秋鷹さんを含めて、彼らの仲間たちは炎を囲むよう円陣をつくる。

 風よけなのか、車座になる彼らの背にはバイクが数珠つなぎに並び、やたらと閉塞感を醸し出していた。


 彼らの数は十人。

 秋鷹さんが言うには総勢二十人以上のメンバーがいるらしいが、夜も遅いのでそんな集まらないとのこと。

 それでも輪取る彼らは楽しそうに雑談を交わしていて、わたしはそれをベンチから眺める。


 しかし、冷静になると…この状況は一体なんなのだろう…。

 揺らめく炎を見つめるが、よくわからない。


「てか鷹さん。単車いちいち押して来なきゃいけないのめんどくせーよ。通報とか気にしなくて良くねー?」

「そう言うな。流石にここを追い出されたら行き場がねーんだ。当てにしてたアジトもあのガキどもに奪われちまったしさ。今はここで生活するしかねぇ」


「生活…」


 気になって、ベンチの傍で胡坐をかく秋鷹さんを見る。

 わたしの視線に気づいたのか、地に座る彼は見上げるように首を動かした。


「もしかして、この公園で…?」


「おう。広場の端っこに車置いて寝てるんだ」


 こんなバンが公園に留まってたら、かなり怪しい気がするが…。


「以前は河川敷の橋の下に居を構えてたんだ。でも数日前、だいぶ暖かくなってきたからって川辺で寝てたらあの大雨で流されちまってなぁ。起きたら知らねー河川敷に漂着しててスゲェ困ったぜ。こいつらが迎えに来てくれなかったら帰ってこれなかったかもな。はは」


「自分が入ってすぐにそれでしたね…入った翌日に解散するんじゃないかと思いました」


 良く生きていたなこの人…。


「…とはいえ、あの大雨も悪いことだけじゃねぇ。こうやって、流されてきた木々を川辺で拾い集めれば燃料になる」


 秋鷹さんが先ほど抱えてきた枝木の一本をドラム缶に投下する。

 野焼きは違法だけど…、この人たちは気にしないだろうな…。


「とはいえやっぱり、屋根と壁のあるアジトがなくちゃ集まりも良くねぇな。沈澱党を懲らしめて、はやいことあのアジトを返してもらわねぇと…」


 …アジトを返してもらう?

 あのアジトってのは、さっきの倉庫のことだと思うけど…。


「奴らのアジトって、さっきの倉庫っすよね。かなり立派だったけど、本当にあそこがトルスケイルのものだったんすか? 眉唾物な気が…」


 彼らの一人が、わたしの疑問を代わりに聞いてくれた。


「んだよ疑ってるのか? 昔、初代トルスケイルが解散する前はあそこがアジトだったんだよ。あん時はトルスケイルも栄華を極めていてなぁ…いや、晩年ちょっと集まりは悪くなっていたが、それでもおれたちを阻むものなんてなかった…。競い合った他チームを吸収したあとは、ここら唯一のチームとして雷名轟かせていたもんさ。しかも当時は…」


「おい誰だ…昔話させたやつ…」

「これ一時間コースだぞ…」

「ごめん…」


 流暢に語りだした秋鷹さんを前に、仲間たちは辟易した表情で小声に話す。


「お前らちゃんと聞いとけっ、初代トルスケイルの生き様を! 二代目トルスケイルの新生メンバーとしてな!」


「でもその話、なんか盛ってません? 鷹さんが言ってるだけだしー…」


「おれは初代総長かつ二代目総長なんだぞ!? これ以上の生き証人がいるかよ! 信じろッ」


「だったらせめて初代の人たち連れて来てくださいよぉ~」


「だからぁ…あいつらは忙しいらしくて全然来てくれねぇんだよ!」


 ほんわかした人がその雰囲気とは裏腹に秋鷹さんに楯突く。

 周りの人たちも口には出さないが、彼らもそうだそうだと言わんばかりに頷いていた。


「…初代からいる人は、秋鷹さんだけなんですか?」


 今の集まりは再結成したものだとは聞いていたけれど、前のメンバーが戻ってきたりはしていないのだろうか。


「うん。再結成する際、二年ぶりに昔の仲間に連絡とったんだけどな。みんな仕事と子供の世話で無理だと断られた。そういや、うるさくて迷惑だからやめてくれ、とも言われたなぁ…」


「…」


 そこで再結成を踏みとどまらないメンタルは凄いな…。


「時の流れってのは残酷なもんさ…創設メンバーも今や散り散り。

 創設メンバー同士で休日に顔を合わせる機会があっても、各々の子供の世話で、懐旧談に花を咲かせる暇もないと聞いた…」


 散り散りどころか、他のメンバーは家族ぐるみで付き合いが残ってるように聞こえる…。


「そんでなぁ——」


 秋鷹さんが昔話を続ける。

 わたしもなんとなく耳を傾けるが、この人の語り口が独特なのもあって、本気で言っているのか冗談交じりなのか、分からない。彼の仲間たちがその武勇伝を信じきれないのも、そういう所が関係しているのだろう。


「…」


 でも、先ほど秋鷹さんが言った、時の流れが残酷というのは…嫌と言うほど身に染みる言葉だった。

 よく使われる文句だけれど、それは上辺だけではない言葉に感じた。

 この人もまた、過去に取り残されている人だからなのかもしれない。


 世間の言うまともな大人にはなれず、一回り年下の子を集め過去を語る秋鷹さんのさまはなんだか憐れにも映る。


 …わたしという人間も、傍目からはそう映るのだろうか。


「…今はそんな惨状だが、当時はメンバーも40人以上いたし、この町でその名を知らない奴なんていなかったんだ…お前らだって昔、聞いたことあったろッ!?」


「…俺ここ生まれここ育ちだけど、聞いたことなかったな…」

「オレも…」


 意識を戻せば、秋鷹さんはまだ懐古話に熱中している。

 しかし仲間たちとはどうも噛み合わない様子。と思ったら、溝口と呼ばれていた彼がぽつりと言った。


「…俺は聞いた覚えがあります。たぶん解散した時ですね。確か、中学生一人に壊滅させられたって…一時期かなり話題になってました」


「え…? それまじ?」


 荒唐無稽に聞こえる噂を伴ったその言葉を耳にすると、他の人らが初耳だと聞き返し、続けて秋鷹さんが猛り立った。


「違えッ! 喧嘩に負けただけで壊滅なんてしてねぇよ!

 むしろ尾ひれのついたその噂のせいで、みんなやめて行っちまいやがったんだッ!!

 それにあの日は、面子が五人しかいなかったし、アイツは不意打ちみたいにいきなりアジトに現れて…」


「…それじゃ、中坊に五対一で負けたんスか…?」


「まあそん時はな。だが、負けたとしてもまた立ち上がればいいだけの話だろ。

 それより、そのことで流れ出した噂の方が質が悪ぃ。噂を気にして脱退するやつが後を絶たなくなっちまったんだ。だからおれはその噂を断つために喧嘩吹っ掛けてきたあのガキを調べて、その居所を探し当てた。そして一対一のリベンジ吹っ掛けたんだが…おれは勝てなかった。そのまま初代トルスケイルは解散。己の無力に打ちひしがれたおれは、修行の旅に出たんだァ…」


 遠い目をしてしみじみと呟く。


「ガキ付けまわしてリベンジって…しかも負けてるし…」

「知ってたけど…このオッサンやべぇ…」


 何処を見てるのかもわからないその視線の外では、ドン引きしてる仲間たちがコソコソ冷評をしているが幸い、秋鷹さんに聞こえた様子はなかった。


「しかし、二年間の厳しい修行の末、ついにおれは帰ってきた。だからもう遅れは取らねぇ。そのうち、アイツにも借りを返すつもりだ」


 彼がそう言うとまた溝口と呼ばれていた人がそれは…、と訊ねるように声を上げた。


「松田…。三中の、松田に…ですか?」


「おう、良く知ってんな。と言ってもまあ、まずは沈澱党の相手をせにゃならんけどな。んで、首尾よくアジトを取り戻せたら、次はチームの拡大を図る。ヤツはその後だ」


 …松田? 

 それが、その中学生の名前なのだろうか…。

 何故か、そのありふれた苗字に引っ掛かりを覚えた。



「…しっかし、遅いっすねぇ…長井仁」


 わたしが考え事をしているとやがて、そんな不平が出始める。

 わたしはおろか、彼らもこの時間の意義が分からなくなってきたのだろう。

 たしかにこの場所に来てからなんだかんだ一時間以上は経っている気がする。


「秋鷹さん…その子はもう帰した方が良いんじゃないですかね。夜が遅くなりすぎて、問題になったら面倒ですし…。沈澱党の前でその子を使って長井仁を呼び出したんでしょう。だったらもう、お役御免じゃ?」


 スマホを弄っていた溝口さんがやにわにわたしを見るとそう言った。

 自分がここにいる理由もわからなくなっていたので、ありがたい話の流れではある。


「いんや駄目だ。もしかしたら今もどこかから見られているかもしれんし、姉ちゃんにはここに居て貰った方が良い。それに決闘するってのに、囚われの姫が現場にいないなんて長井仁もやる気でねぇだろ」


「…まあ、その子を帰しちゃって、長井仁と連絡を取られたりしたら意味ねぇもんな」


 なんか、帰して貰える感じじゃないな…。

 まずは秋鷹さんの誤解を解かないと帰れそうにない。


 話すことが無くなったのか、炎を囲む輪に沈黙のとばりが降りる。

 みんな言葉なく、炎を見つめている。誤解を解くのには格好の状況かもしれない。

 しかし、そう思いついたわたしが言葉を出そうとしたその時、彼らの一人が口を開いた。


「あのさ、そもそも長井仁来ないんじゃね…?」


 不思議と神妙さを漂わせたそれは、声量に反して良く聞こえた。


「来るさ。その為にわざわざこの姉ちゃんを人質に取ってまで、啖呵切ったんだからな。

 あんな大勢の前で女を人質に取ったんだ。これで来なかったらやつは男じゃ——」


「いや、そういう話じゃなくて…秋鷹さん、沈澱党のやつらにこのアジトの場所言ってなくね…?」


 冷や水を浴びせられたように、秋鷹さんは口を半開きにしたまま固まる。


「…そういえば…」


「たしかに、言ってなかった気がする…」


 一緒にあの倉庫へ来ていた仲間たちも、口々にそう言いだした。


「いやっ…言った! てか、言ってなくてもわかるはずだッ! 長井仁はあの長井道則のガキなんだろッ!?」


「どういう理屈? わかるわけねーじゃん…」


「うるせぇ! おれは言ったっ。言ったよな!?」


「留守番してたオレに聞かれても…」


「なあ姉ちゃんッ! 言ったよなぁ!?」


 突然こちらに振られて、わたしは返事に困る。どうだったろう…。

 言ってなかった気がするけど、いろいろ突然だったからわたしが聞き逃しただけかもしれない。

 いや…。


「やっぱバカだな~秋鷹さんは」


「んだと時田! お前新入りの分際で…!」


 …そんなこと、どうでもいいか。

 言い争うように、言い合う彼らを尻目にそう思った。


 だって、どちらにせよ…彼は来ない。

 この場所を知っているにしても、知らないにしても。

 彼が長井仁だろうと、そうじゃなかろうと…彼は来ないだろう。


 彼がそうする由がない。


 たった数日世話になっただけで、わたしがあの人に与えたものなんてない。

 そんな相手に体を張るとは思えない。所詮、他人なんだし…。


 そしてそれは、わたしにとっての彼だって同じだ。

 だというのに、わたしは何をやっているんだろうか…。


 赤の他人に、お姉ちゃんを重ねて…。

 彼の正体を想像し、勝手に裏切られたような気になって…。

 突き止めようとした挙句、土壇場で逃げ出し…そして今は、こんなところにいる…。


 自分の頭の中がどうなっているのかわからない。

 なにを求めているのか。なにを恐れているのか。

 いっそのこと、頭の中の物を全てぶちまけて、一つずつ目の前に並べることが出来たらと思う。


 何もわからなくて、途方に暮れるようにわたしは顔を上げ、空を見た。

 ずっと炎をみつめていたから、そこには一面広がる暗闇しか見えない。


 そのうち、網膜が星々の光をとらえ始めてくると、広場を囲む木々に支えられるような夜の空が見えてくる。とうに沈んでしまったのだろう。月の光がない空はやけに広く、空虚に感じた。そのままわたしは魅入るようにそれを見上げ続ける。


 ——そんな時。


 地を照らす光も、熱もない空の下。

 何処からか、砂と、靴底が擦れるような音だけが聞こえて来る。


 …わたしはその音に、なにか気付いてはいけないことを知ってしまった気がした。


「…誰だ?」


 それは幻聴かと疑うほど微かだったが、秋鷹さんもそれを耳にしたのか、急に言い合いを止める。

 立ち上がり辺りを見回す秋鷹さんの隣で、わたしは呆けたように、五月蠅いバイクに乗っているだろうに結構耳が良いんだなと、どうでもいいことを考えていた。


「え…マジで来た?」

「誰? 長井仁? 暗くてわかんねーよ」

「お前らライトで照らせッ!!」


 徐々に大きくなる足音に向かって、バイクのヘッドライトが照射される。

 炎を囲む円陣は崩され、開けた暗闇を白色の光が走った。

 わたしはそこで、思わず顔を伏せる。


「…長井仁だ! 間違いねぇ!」


 わたしは現実逃避をしているのだろう。

 これはたぶん、わたしにとって都合が悪い現実なのだと思う。


「囲め囲め!」

「テメェ長井仁! オレの愛車の修理代弁償しろ!」

「くそ…顔見るとガキどもにペンキ引っかけられたの思い出してムカついてきた…。俺にも塗装代返せッ!」


 おそらく、わたしは彼に裏切られるのが恐ろしくてあの場から逃げ出したんじゃない。

 今、この身に湧き上がる嫌な予感がわたしをそうさせたのだ。


 …捨てたはずのものが、いつの間にか手元に返って来ていたような。

 別れを告げた過去の自分が、わたしの元に帰ってきたような。

 とうに消え失せた月が、この空に巡り還るような…そんな、不気味な予感がしたんだ…。



「よう。やっと待ち人が来たらしいぞ。行こうぜっ」


 秋鷹さんが声を弾ませてベンチに座るわたしの腕を引いた。


 秋鷹さんに無理矢理連れられて歩くと、背後のドラム缶から上がる炎がわたしの影を前に伸ばす。

 俯いたままのわたしは、その影を辿るように足を踏み出した。


「ンァ?」


 ふと、秋鷹さんが変わった声を出す。

 顔を上げていくと、前を伸びるわたしの影は交差するヘッドライトに打ち消される。

 そしてその先に投射される一際濃い影が、否応なしに目に入った。


 …いや、見たくないのなら俯いたままでいれば良かっただけだ。

 それでもわたしは、その影と向き合った。


 その人は自身を取り囲むライトに目を細め、緊張した感じもなく周りのバイクを数えるように視線を走らせている。


「…真尋、か…?」


 明暗差でよく見えないのか、こちらを向いた彼は訝し気にそう言った。


 ライトのおかげで普段より若く見える。

 それでも疲労は隠せないのか、何処となく苦しそうに立つ。


 数日前に会ったばかりの、赤の他人。そして、わたしの姉と心中を図った…長井仁。


 そのはずだった…長井さんがそこにはいた。

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