その8

「氾濫はしなかったようですね…」


 早朝。

 私は急流に荒らされた下手の高水敷を眺めながら、アスファルトで舗装された土手を歩いていました。

 つとに赴いた靴底を迎えるアスファルトはほとびるように何処か柔らかく、立ち昇る土と緑の香りは懐旧に似た心地を呼び起こします。


「いい天気です…」


 雨はとうに上がり、空は青く晴れ間が広がり、地には点々、水たまりが続いていました。

 路の水気にはめくるめく朝日が照りかえり、覚えず視線を切れば土手を囲むよう茂る青草が目に入ります。

 澄明な陽射しの下、心地の良い風に揺られる青草は、朝露のごとく滴る水玉をきらきらと煌めかせて、明ける世界を美しく飾り立てていました。


 この明媚たる眺めを楽しみながら、うららかな追い風に身をまかせること少し…工場群の尾が見えてきます。


 その尾には尻すぼみになるように、他の工場と比較すると小ぶりな建物が背を向けてたっておりました。

 思わず竜頭蛇尾という言葉が思い浮かびますが…しかし、あれこそが我らがアジト。


「とはいえ…事を為すには十分すぎるサイズでしょう」


 そのまま土手を下りた私は回り込むようにその入り口へ向かいました。


「おはようございます。冠水は…していませんね」


 やはり見立て通り溢水はしていなかったようです。アジトが冠水したら大変ですので助かりました。

 中には変わりなく若人たちが集まっておりましたが、しかし普段と異なるところもあります。


 まず、この時間帯にしては少しばかり彼らの人数が多いようです。

 昨夜の雨を鑑みると、人はいないだろうと見当をつけていた為、これには驚きました。

 懐の侘しい彼らのことですから、屋内で時間を潰すわけにもいかずここに逃げ込んだのでしょうけれども…家に帰るという選択をしていないのをみると…思っていた以上に、家族と折り合いがつかない子が多いのかもしれません。


「それにあれは…扇風機ですか」


 彼らは日に日にアメニティの向上を図りソファや布団なりを持ち込んでいました。

 今もそれらを有効活用し、くつろいだり眠り込んだりとしているのですが、その傍らには以前は見られなかった扇風機があります。

 開け放たれた窓から入る風だけでは涼をとるにしても物足りなかったのでしょう。

 これからは温度も湿度も上がっていきます。私からもなにか対策を講じたい所ですが…。


「あと虫対策もしなくては…ソファや布団にトコジラミなどが発生したら大変です」


「…あ、れ…仁さん」


 アジトに入ってすぐの所であれこれ思案していますと、ふと私の名を呼ぶ声が聞こえました。

 振り向いてみればそこには、入り口の横の壁に寄りかかるよう座るコウくんの姿があります。


「コウくん、おはようございます。そんなところで眠ってはお体を痛めますよ」


 彼はいま起きたようで、ずれていた眼鏡を外して目をこすっています。


「…シンくんとは一緒じゃないのですか?」


 彼はいつも背丈の高いシンくんという子と一緒にいますから、一人でいるのは珍しく思いました。


「昨夜は一緒に街にいたんですけど…雨が降ってきたんで解散したんです」


「なるほど…」


 おそらくシンくんは大人しく帰宅したのでしょう。

 意外にもコウくんのほうが家庭に居場所がないのかもしれません。


 …いえ、意外でもありませんね。

 失礼な物言いですが、なにせ彼は過去の私と少しだけ似ています。


「そうだコウ君、喉は乾いていませんか? いまあちらから水を持ってきますね」


 私は手近な冷蔵庫に向かって水があるか検めますが、冷えているのはジュースばかりでした。

 仕方ないので水道のあるほうへ行きます。


 体育館のように空間が続くこのアジトですが、端の方には部屋がいくつかあります。

 備品の類はもうなく、お手洗いのほかは以前どう使われていたのか分かりませんが、部屋のうちには水道が設けられているところもあったので、もれなく使えるようにしておいたのでした。


「紙コップ…切れかけていますね」


 水道の近くに備えておいた紙コップを取り、水を汲みます。

 これも後で新しいのに取り替えなくてはいけませんね。

 私が幼い時分は水を手で汲んで飲んだものですが、最近の子たちは抵抗があるかもしれませんので、用意しておくに越したことはないでしょう。


「ふう…」


 …色々とやるべきことが多く、なかなか手数がかかります。

 こういった細々とした仕事を、誰か信頼できる方に一任できないものでしょうか。

 成哉君に頼もうにも彼がアジトに顔を出す頻度はそう高くありませんし…。

 お金のやり取りが発生するものですから、やはり人選には気を使わないとですよね…。


「どうぞコウ君。お水です。ぬるくて申し訳ないですが」


「…あ、ありがとうございます」


 汲んできた水をコウ君に渡します。

 彼がそれに口をつけて嚥下したのを確認してから、私は彼に尋ねました。


「コウ君はいつ頃まで起きていましたか? 昨夜、アジトから出て行った方がいたのなら、教えてほしいのですが…」


「昨夜…ですか? 俺が来たのは雨が降ってからですけど…」


「ええ、それで大丈夫です。コウ君は何時頃にここへ来たか覚えていますしょうか」


「えーと…来たのは夜11時ぐらいで…寝ちゃったのはたぶん5時ぐらい…かな。雨が止んで、外が少し明るくなってはいたので」


 確か…昨夜、雨が降り出したのは夜の10時で、止んだのは朝の5時くらいでしたね。

 間がよくて助かります。


「入って来たやつらなら結構いましたけど、アジトから出て行った奴は二中の湯浅達だけだったかな…。

 雨が弱まった三時ごろに、コンビニ行ってたとかですぐに戻ってきてましたね。そんくらいです」


「そうですか。ありがとうございます」


 私はコウ君に軽く頭を下げます。


「それで、それがどうかしたんですか」


「ああいえ、彼らはまだまだ子供ですから、好奇心で増水した河川敷に近づいたりしてはいないかと心配になっただけです。注意しなくてはいけませんし、無いとは思いますがもし誰かが流されでもしたら…警察に通報しなくてはでしょう?」


 正直に答えますが、コウ君は何やら引っ掛かるところがあったらしく、じっと探るように私を見て一言、


「…そんなことしていいんですか?」


「と、言いますと…?」


 どういう意味か分からず、呆気にとられます。


「あの、仮に誰かが流されてしまったとして…警察に通報なんかしちゃったらこのアジトが露見してしまいますよ」


 矢継ぎ早に彼は続けます。


「通報をせずとも流されたやつが救助されたり、生死に関わらず、下流で発見されたりしても同様にリスクがあります。

 このアジトを存続させたいのなら、まずは流されたやつの交友関係をあたり、緘口令を敷きつつ聴取を警戒して口裏合わせをさせるべきです」


 …おっしゃる通りですね。


「仁さんは何か目的があってこの場を開いているんですよね。目的を果たさないまま、お開きにしていいんですか? あるいは、もう目的を…」


「…果たしておりません。コウ君のおっしゃる通り、私にはやらなければならないことがあります」


「だったら、通報はしちゃだめですよ。もし、そういう状況になったら、ですけど」


 全く彼の言う通り。私には為すべきことがあり、その為にはそうするべきです。

 しかし何故…私は、彼の言葉に反発した思いを抱いているのでしょう。


 大切な弟を巻き込み、多くの方への迷惑を顧みず、とんだ暴挙を敢行している最中というのに…。

 一貫性がなく、支離滅裂。私は一体、なにがしたいのか…自分でも判然としません。


「仁さん?」


「…いえ」


 わからないのだとしても…。


「お、仁さんじゃん。はよっす。あいつらいる?」


 折に声をかけてきたのは、今ちょうど入り口の引き戸を引き、顔を覗かせた少年。

 彼はなかなか顔が広く、このアジトにおいて重要人物の一人といえます。


「おはようございます安田君。君の友達ならさっき奥の方でみかけましたよ」


「ども。じゃ行ってきますわ」


 そう言って彼は私たちの横を通ります。

 彼の姿が離れると、黙って様子を見ていたコウ君が不思議そうに言いました。


「アイツ…ついこの前まで仁さんにかなりの反発を示していた気がしますが…何か手を打ったんですか」


「先日、街で会いましてね。少しご一緒させて貰ったんです。話してみれば素直で物分かりの良い子でたちでしたよ」


「そういうところは周到なんですけどねぇ…」


 呆れるようにコウ君が長大息しました。


「…覚えてますか? 俺らが初めてここに来た時の事。二か月前、あっちの橋あたりで輩に絡まれシンが喧嘩していたら、それを見た誰かが近くの交番から警察を呼んできて…俺たちが逃げようとしたとき、仁さんが現れた」


「ええ、勿論覚えています。それがなにか…?」


 そうしてコウ君たちとこの倉庫に逃げ込み…その機に、この倉庫をたまり場にすることを彼らに勧めたのでしたね。あれを境に、コウ君たちはこのアジトに遊びに来てくれるようになりました。


「その仁さんの案内のお陰で俺たちはこのアジトに逃げ込み、警察の手から逃れる事ができた…という顛末ですが…、あれって全部仁さんの仕込みですよね」


「…」


「おあつらえ向きに交番とアジトの近く。それに喧嘩売ってきた奴も気炎を上げる割に消極的だったような気がしますもん」


 おや…、気付かれていたようです。

 とはいえ、彼はシン君を除く同年代の方々を見下している節があります。その性格を考慮すると、このことを他の子に言いふらしたりはしていなさそうですけど…。

 シン君相手なら伝えている可能性がありますが、シン君もシン君で浮世離れしたところがありますから…証拠があるわけでもないし、そんなに気にしなくて良いでしょう。


「あの時から成哉伝手で仁さんの顔は知っていましたし、直接誘ってくれればよかったのに…なんであんな回りくどいことを…?」


「その…誘うなら、偶然を装った方が抵抗が無いかな、と…」


「あー、確かに。あん時の関係値じゃ誘われてもたぶん行かなかったなぁ、俺たち」


 そう言って、彼は笑いました。

 彼がこうした表情を見せてくれるようになったのも、つい最近の事です。


「というか仁さん、もしあの時俺たちが仁さんの案内を無視してたら、どうするつもりだったんですか」


「…いえ、それは、あの…お二人はちゃんと付いてきてくれると思ったので…」


「はは、適当ですね。…まあ、そんぐらい偶発的な方が疑われにくいってのもあるのかな。実際、シンは全然気づいてないですよ」


 ただ考えなしだっただけなので、こう事実と異なる裏読みをされると…羞恥を覚えます。


「それで、結局あれはどっち狙いだったんです」


「? どっち、とは?」


「俺とシン。どっちを仲間に引き込みたくて仕組んだかってことです。普通に考えれば色々と有名なシンだろうけど…」


 答えづらい質問に私が沈黙していると、突如コウ君が辺りを見回す様に首を振りました。


「…あ、この音は噂の」


 コウ君のその呟きを聞き終えるとともに耳を澄ましてみれば、北の方向からエンジン音のようなものが耳に入ります。

 徐々にこちらに近づき、かまびすしくなるその音は先日も耳にした覚えがありました。


「トルスケイル…朝早くからこんな閑静な所まで来るのですね…」


 いえ、以前見かけたのも似たシチュエーションでしたか。

 しかし、この前はたったの一台でした。聴力には自身がないので断言はできませんが、この近づいてくる騒音は少なくともマフラーを改造している車体が二台はありそうです。


 ふと一瞬静かになったと思えば、今度は等間隔にエンジン音が響いてきます。

 橋近くの交差点の辺りで空ぶかしでもしているのでしょう。

 その音に目を覚ましたのか、アジトで眠っていた子たちが何人か起き始めました。

 ここでいろいろ話すのは、良くなさそうですね…。


「コウ君、外に出ましょう。トルスケイルが近くを通りかかるかもしれませんよ」


「え?」


 スマホを取り出して、アジトの外に飛び出します。

 そんな私の後をコウ君は要領を得ないといった顔つきでついてきていました。


 手に持ったスマホを操作しながら、道路と面した駐車スペースの端まで行きます。


 スマホの画面上に開かれた地図には、やはり見当をつけた通り、橋近くの交差点に赤いピンが刺さっておりました。彼は上手く入り込めたようです。


「それってもしかして…トルスケイルの位置情報ですか? どうやってそんなもの…いや、バイクにGPSでもつけたとか…?」


 私の手元を覗き込んだコウ君が疑問を呈します。


「いえ、バイクに小型GPSを仕掛けようにもバイク弄りの際に見つかる可能性が高いと思い断念しました。代わりに、トルスケイルがメンバーを募集していたようなので、いっそのことと人を送り込んだのです。この位置情報は送り込んだ彼のものですから、彼もいま一緒にいるようですね」


「人を送り込んだって…」


 彼は藤君と違い、人と打ち解けるのが早いタイプではありませんが、上手くやってくれたようです。

 バイクという共通の趣味のお陰でもあるでしょう。


「おや、動き出しましたね」


 遠くで聞こえていた空ぶかしの音が止んだと思えば、地図上のピンが動き、複数のエンジン音がこちらに向かってきます。


「本当にこっち来た…」


 近づいてくる音を頼りに、駐車場の前を延びる道路の先を覗き込んだコウ君がそう呟きました。


 上がり続ける音量はやがて耳を劈いて、私は耳を塞ぎます。

 そして、ふと風を感じたかと思えば、耳を塞いだとてなおも耳底に突き刺さる轟音が、辺りの空気を搔っ攫うように私の横を吹き抜けていきました。


「うわッ!」


 コウ君が声を上げます。


「あ、あの…仁さん大丈夫ですか…? びしょ濡れですけど…」


 いつのまにか私の後方に退避していたコウ君が近づいてきます。


 アジトの駐車場と河川敷との合間に敷かれた側帯を走り抜けていった彼らのタイヤは水たまりを引き裂き、その水しぶきは余すところがないのではというほどの正確さをもって、私に降りかかっておりました。


「大丈夫です…スマホは防水ですので」


「いや、スマホどころか着衣水泳したみたいになってますが」


 それにこの感覚はなんだか子供の頃を思い出して…悪い気分ではありません。


「しっかし…危険な運転をするやつらだなぁ。雨の後なのに、あんなにスピードを出して…」


 今通ったバイクは都合五台。マフラーを改造していないのは…2台ほどだった気がします。

 新入りに先輩風を吹かして良い気になっているのかも知れませんが、少しスピードを出しすぎです。

 あれでは、いつ事故が起きてもおかしくありません。


「…彼らには痛い目にあってもらいましょう」


 しかし、その為にはまず彼が必要です。私は翻り、彼の方に向き直りました。


「コウ君、手伝ってくれますか」


「手伝う…なにをですか?」


 子供だましと侮っていましたが、このコウ君には容易く見抜かれていました。

 やはりこういった形のマッチポンプは人を使って行うのが肝要なのでしょう…しかと、心得ました。


「我らが沈澱党は未だ戮力協心にはほど遠い。目下我らに足りないものは、結束を育む時間と、敵の存在と考えます。しかし、時は自ずと刻まれますが、都合の良い敵の存在なんてものはそう現れてくれません。こちらよりも弱く、正当性に劣り、叩く名分を持つことが出来る…。そんな敵が欲しいのです」


「…なるほど。その為にトルスケイルへ人を送り込んだんですね。つまり、そいつを使いトルスケイルとの火種を起こすのを…俺に手伝えっていうんですか」


 頭が切れて、つねに冷静。

 モラルは是非のどちらにも偏っておらず、多角的視点を持ったうえで自己基準を第一としている…まるで超人の卵。

 年相応にもろい部分もあるのでしょうが、それは彼の家族か、シン君の関わるところだけでしょう。彼が持つ、他の子に対する優越意識もいい塩梅です。


「はい。出来ればこちらに正当性があるよう諍いを起こしたいのですが、送り込んだ彼と私が自作自演を行うのではいろいろと不都合があります。なので、是非ともコウ君にその手伝いをしていただきたいのです」


「…押しが強いなぁ。仁さんってそんな感じでしたっけ」


 私が彼の瞳を見つめますと、コウ君は迷うように目を泳がせます。

 あくまで気楽でいたいのに責任が発生しそうなのが嫌…といったところですか。

 私に協力するのを嫌がっている風ではないので、何か、あと一押しあれば…。


「あとですね…アジトの備品整理もお願いしたくてですね…勿論代金は私が持つので…」


「…いや、何でこの流れで意欲を削ぐようなこと言うんですか。凄い面倒なんですけどそれは」


「いえっ、備品整理はされなくても、仕込みに付き合ってくれれば十分です!」


 間違えました…!

 上手く考えがまとまらず、思考と乖離した発言をしてしまいました…。


 声を荒げて弁明する私をコウ君はじっと見てきます。

 彼はひとしきりそうすると、ふとなにか諦めたように小さく息を吐きました。


「…良いですよ。仕込みも備品整理も引き受けましょう。あ、でも備品代は多めにください。俺も遊ぶ金が欲しいので」


「は、はいっ。そのくらいのことでしたら…あっ、代金増やすので出来たらトイレ掃除も…」


「やっぱ、やめよっかなぁ…」


「…いえ…やはりトイレ掃除はいいです…」


 トイレ掃除は断られてしまいましたが、幸い、コウ君を仲間に引き込むことが出来たようです。

 少々出費が嵩むでしょうが、まだまだ資金には余裕があります。

 それだけで彼が協力してくれるのなら破格と言えましょう。


 私たちは道路に背を向けて、並んでアジトに戻ります。


「それより仕込みのことなんですけど、送り込んだやつは金で雇ったんですか? 裏切る可能性とかは大丈夫ですかね」


「…恐らく大丈夫でしょう。送り込んだ彼…溝口くんというのですが、彼は以前に私を集団暴行にかけたことがあるのです。その時のことにだいぶ負い目を感じているようなので…頑張ってくれるはずです」


「し、集団暴行…? そんなことするやつが負い目なんて感じるとは思えないけど…」


「あれは私が小学生の時のことですから…人は変わります」


「そうは言っても…そんなやつ使いますか? 普通…」


 …まあ、その集団の一員でもあった藤君は当時から何も変わってないように見られますが。


「しかし…人は、道を踏み外してしまったら終わりなのでしょうか」


「…?」


「ニーチェは綱渡りに喩え、エリクソンは空中ブランコと擬えました。なるほどそれは曲芸ともいえましょう。ですが、当の本人は曲芸をさせられていることにも気付かない。地にたたきつけられたとき、ようやくそのことを知る…それを鑑みるとあるいは、道化芸にも思えます」


 隣を歩くコウ君の顔を見ます。


「道化であることに気付いた者は…どこを目指すべきなのか。私はそれを確かめたいのかもしれません」


「いや意味わかんないです…」


「あ…す、すみません…」


 また悪癖が顔を出してしまったようです。気を付けねば…。


「…面白い人ですね。仁さんは」


「そ、そうでしょうか…?」


 アジトの入り口前まで戻ったところでコウ君は足を止めます。


「慇懃かと思えば、強引だし。周到に見えて、間が抜けてるし。読みやすいのに…なにを考えているのかわからない。まるで人格がいくつもあるかのようです」


「…ただ、中途半端なだけですよ。私は」


 あの時、引き裂かれた私は収縮も拡散もしなかった。

 ただ歪なまま、なにを目指しているのかも分からず、無為に蠢き続けている。


「仁さんが言うのならそうなのかもしれませんね。でもま、面白そうなうちは協力しますよ」


「…ありがとうございます。では退屈させないよう尽くさねばなりませんね」


 彼にそう伝えて、私はアジトに足を踏み入れます。


「…そういえばコウ君は知っていましたか? 2年前、ここがアジトになる以前のことです。

 この倉庫は当時のトルスケイルによって不法に占拠されていたことがあったらしいですよ」


「えっ、マジですか? 凄い偶然ですね。あー、だから鉄パイプとかバイクのパーツみたいな変なガラクタとかが置いてあったんだ」


「そうですね。2年前の彼らはここから追い出されて直ぐに解散してしまったと聞きますので…」


 計画の目鼻は付きました。

 色々と粗はありますが、所詮は子供相手です。


 彼らを振り回すことに、迷いも矛盾もあります。

 それらを振り切るほどの強い動機があるわけでもありません。


 …しかし、何故か私は歩みを続けている。


 溢れた水が四方八方よもやも流れゆくように。ただ赴くままに。

 巣にかかった獲物へと、蜘蛛が飛びつくように。身体が世界の刺激に応じるがままに…。


 亀裂が入り、破綻した私にはおそらく、そうするしか術がない。

 超人になり損ない。狂人にもなり損ない。何者にもなれなかったのだから、恃むところも寄る辺もなく…ただ彷徨するのでしょう。

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