第4話 勇者、登場

 しばらく走り、俺たちはダンジョンの上層へ辿り着いた。

「おかしいですね……」

 俺のすぐ後ろを飛ぶハトが呟いた。

「何がだ?」

「いえ、ダンジョンボスを倒してからもう1時間は経ちます。それなのに、ダンジョンが崩壊する気配すら感じられません」

 ダンジョンが壊れるとき、下層の洞窟から潰れるように崩れるらしい。真下の洞窟が潰れた衝撃に誘発され、その上の洞窟が潰れるといった具合で崩壊が連鎖していくそうだが、今だ最下層すら潰れていない。また、崩壊を察したダンジョン内の魔物たちが、脱出をしようと出口に殺到することもあるそうだが、その現象も見られない。


「なんだか嫌な予感がします。忘れてはいけないことを忘れているような……」

「あいつ、まだ死んでなかったんじゃないのか?」

「いえ、間違いなく生命活動の停止を確認したのですが……」

「分からないことは考えても仕方がない。とりあえず、人間がいる街へ行ってみて、そこでゆっくり考えよう」

「そうですね。……一応、現在のダンジョンの様子を調べておきます」

 足で器用にスマホのような端末を操作するハト。

「……!? これってまさか。いやでもそんなはずが……!」


 その時、はるか遠くに光が見えてきた。出口だ。


「よっしゃあ、やっと外に出られるぞー!」

 光に向かってスピードを上げた瞬間。

「危ない!」

 声が響くと同時、胸のあたりに強い衝撃が走り、俺は思わず転んでしまった。


 魔物の攻撃か!?

 何が起こったのかわからず、慌てて立ち上がり辺りを見回す。


 俺の周りを囲む3人の人間。男が1人、女が2人おり、各々奇妙な格好をしている。女の1人は、放心した様子で地面にへたり込んでいた。

 更に、10メートルほど前方にもう1人男が倒れている。まるで、高速で移動する何かに吹飛ばされたかのような有様だ。地面にへたり込んでいた女がはっと立ち上がり、血相を変えて気絶した男に駆け寄った。


「エクスハルト! ねぇ、エクスハルトってば! 目を覚まして!」

 彼の体をゆすり、涙まじりの声で呼びかける少女。どうやら頭から出血しているらしい。少女の悲痛な叫び声にいたたまれなくなり、何かできることはないかと彼女に駆け寄ろうとした。


 冷たい気配。


 首筋に、剣が突き付けられていた。

 もう一人の男の仕業だ。俺の首に向けた西洋剣ツーハンドソードに加え、重厚な大盾を装備したガタイのいい男だ。刺すような視線でこちらを睨んでくる。


「なんのつもりだ」

「それはこっちの台詞だよッ……! てめェ、ナシシアに突進してきやがって。エクスハルトが庇わなきゃ、今頃あの子は死んでたぞ。……おまけに、そのエクスハルトもあの有様だ」


 男が指さした先に、先ほどの意識を失った少年。

 倒れている少年はエクスハルト、その脇で泣いている少女はナシシアというらしい。

 ナシシアとは別の、黒いローブを纏った女がエクスハルトに掌を向けると、彼は淡い光に包まれた。顔をしかめながら、彼はゆっくりと体を起こした。


「グレッグ、落ち着け」

「で、でもよ……」

 エクスハルトの声に、グレッグと呼ばれた大盾の男は食い下がる。

「一旦下がれと言っている」

 渋々といった様子で、しかし視線をこちらに向けたままグレッグは後ずさりした。


「……クローネ、拘束二番エボンニュー

 黒いローブを纏った女が頷き、右手の杖を俺に向けた。


 瞬間、俺の足元から薔薇のツルが飛び出してきた。青白く光るそれが俺の体に素早く巻き付くと、途端に力が抜け、ふらりと地面に倒れ込んでしまった。


「グレッグ、やれ!」

「応ッ!」


 エクスハルトの呼びかけに応じ、グレッグが大剣を上段に構え突進してくる。ツルの拘束から抜けようとするも、手足にも力が入らない。


 グレッグの大剣が眼前にまで迫る。

 体が動かなくとも、呼吸はできている。

 ならば。


 息を地面に向かって吐き出し、天井近くまで打ちあがる。ジェット噴射の要領だ。薔薇のツルが千切れてバラバラになると、体が動くようになった。


 ほっとしたのもつかの間、腹部に凄まじい衝撃が走り、地面に叩きつけられた。

 エクスハルトの攻撃だ。


 細身の西洋剣を振り抜いた勢いそのままに体を反転させ、空を蹴ってこちらに突っ込んでくる。俺も脇にあった剣を拾い応戦する。


「違う、それ剣じゃなくて私——————むぎゃぁ」

 空中で激しく衝突する剣とハト。

 エクスハルトの体が吹き飛ばされ、ハトの羽も余さず吹き飛んだ。

 衝撃波により地面にヒビが入り、土煙が朦々と立ち込めた。


 ぐったりとした様子のハト。

「おいどうした、夏バテか?」

「違ぇわ! そもそもこの世界に夏なんてねえよ!」

「じゃあもっとシャキッとしろ。そんなんじゃ立派な剣になれねぇぞ」

「いい加減にしろ、ブチ殺すぞ! あ、すでに私がブチ殺しちゃったんだっけ」

 何やら怒っているが、怒りっぽいのはカルシウムが足りない証拠。焼き鳥を作るときに取り除いた背骨を咥えさせてみる。


 やがて土煙を薙ぎ払ってエクスハルトが現れた。右手に持った西洋剣が半ばから折れている。折れた剣を鞘に納め、空中から新たな剣を引き抜いた。

 先ほどまでのナマクラとはまるで違う、圧倒的な覇気を纏う剣だ。鞘から引き抜き、こちらへ中段に構える。


「攻撃も防御も、他の魔物とは一線を画している。さすがはダンジョンボスだ」

「…………………………………………………………は?」


 エクスハルトの言葉に、俺はしばし固まってしまった。

 ダンジョンボス?

 誰が?


「……俺?」

「俺は勇者。貴様のようにダンジョン外へ逃走しようとする魔物を討伐、もしくは撃退するのが使命だ」



 勇者と名乗る男の言葉が、どこか遠くに聞こえる。


『そしてその一角には、そのダンジョンで最も強い生物である“ダンジョンボス”が鎮座している』


 天使の言葉が鮮明に蘇る。


 ……最も強い、生物……?


『並の生物なら近付いただけで微塵みじんだ』


 ……俺を襲ってきた魔物のほとんどは、指も触れずに弾け飛んだ。

 


「あのー、大変申し上げにくいのですが……」

 ハトがおずおずと切り出した。目で続きを促す。

「……先ほどダンジョン内の状況を調べてみたら、とんでもないことが判明いたしました。ダンジョンボスが死ぬとダンジョンが崩壊するのは、先ほどお伝えしましたね。しかし、おそらくダンジョンボスであった『ドラゴン竜・ワイバーン』を倒したのにも関わらず、崩壊が始まってすらいない」


 ハトの表情を見なくても、声音だけで恐ろしいことが起こっていることが分かる。嫌な予感がする。


「……ダンジョンボスとはダンジョン内において最も強い生物に与えられる名です。現在のボスより強い生物が誕生すれば、そちらにボスの称号が引き継がれます。つまり現在のダンジョンボスは『ドラゴン竜・ワイバーン』を倒したあなたかたぶらっ」


 ハトの横っ面を足刀そくとうで蹴り上げた。ローストチキンのような格好で壁に埋まるハト。


「結論を聞かなければ、俺がダンジョンボスになった可能性となっていない可能性が50:50で存在する。シュレディンガーのダンジョンボスってやつだ」

「往生際が悪いな!?」

「というか結論はエクスハルトが言った通りよ!!」

 グレッグとナシシアが口々に叫ぶ。

 エクスハルト————もとい勇者は、表情を崩さない。


「そういうことだ。すまないが、人々の安全のため、君を狩らせてもらう」

「いやいや、俺は人間だぞ。勇者が人殺しなんてしていいのかよ」


 勇者は、不思議そうな顔をした。

「……君は、自分を人間だと思ってるのか?」

 その言葉の真意に辿り着くよりも早く、勇者とグレッグが襲い掛かってきた。

 勇者の剣が上段から俺の喉元へと迫る。

 よく磨かれた剣に、俺の顔が映る。


 ああ、俺ってこんな姿だったのか。

 そういやあの天使、転生させるとは一言も言ってなかったな。


 足元から伸びてきた薔薇のツルを引き千切り、襲い掛かってくる2人の攻撃を華麗にけ、勇者の腹に一発食らわせてやろうと拳を構える。

 この時、俺は綺麗さっぱり忘れていた。

 つい先日までダンジョンボスであった『ドラゴン竜・ワイバーン』を今しがた葬ったのは、他ならぬ己の拳であるということを。


 ほら、俺って考えなしのバカだから。


 勇者パーティー4人組とともに吹き飛んでいくダンジョンの壁。

 この日を境に、当ダンジョンの最上層は吹きさらしになったという。

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