第3編 宝物
1 砂糖
コーヒーを飲もうと思って、袋詰めの砂糖スティックに手を伸ばす。
一端をちぎると、仲には無数の世界が広がっている。
目を凝らすと、わずかに分かる結晶が、私の瞳を見返し続ける。
黒い海に注がれるとき、私の瞳を見返す相手は、実のところは私なのだが、
ふいに不安になっていく。
もしかすると、何かの拍子に私が向こうに行ってしまって、向こうにいたのがこっちに出て、
そうして、私をじっと見ているのか。
黒い海の中、私は私たちへと溶け合って。
いつか私の喉を通るとき、私は再び私に戻る。
2 宝物
子供の頃の話だ。
畑へ遊びに出かけると、決まって拾う宝物がある。
手のひらサイズの青い筒で、プラスティックでできている。底は金属だ。
筒の中には何もない。
何が入っていたのか、考える。
もしかしたら、種が入っていた。
ここは畑だ。野菜の種が入っていて、きっとそれが蒔かれたのだ。
もしかしたら、肥料が入っていた。
ここは畑だ。肥料の粒が入っていて、きっとそれが撒かれたのだ。
もしかしたら、お菓子が入っていた。
ここは畑だ。小粒のお菓子が入っていて、きっとそれが食べられた。
もしかしたら、誰かが入っていた。
ここは畑だ。誰かが中に入っていて、きっとそれが、放たれたのだ。
毎日、毎日、少し遠くで昼間に花火の、音を聞きながら、
想像しながら宝物を眺めていた。
3 走る
走るのは嫌いだった。
息が切れるし、足は痛いし、体がどんどん重くなる。
走らなくてもいい日が来るのを待っていた。
雨が降ったら走らなくていい。
なのになぜ廊下を走るのだろうか。
家路を進めば走らなくていい。
なのになぜ帰り道を走るのだろうか。
頭の中の神経がどうでもいいとき限って走れと叫んで、響かせる。
嫌だと思って、拒否をする。頭の中を不満の電気信号が大腿を高く上げて走っていく。
しかし、いつまで経ってもたどり着かない。
頭をぐるぐる回っている、そんな自分がもどかしい。
結局走り切って疲れ果てて、ぐったりする。
頭の中はまだまだ走っている。
4 木の枝
自分が別の誰かに、誇らしい誰かに、勇ましい誰かになりたいと思ったら、
木の棒を拾い上げる。
それは聖なる剣で、暗い影を切り裂く光の一筋。
握りこんだ手のひらに、突き刺さる棘の数々は、正義の重い代償で、
痛みが走れば走るほど、痛みが続けば続くほど、ただひたすらに誰かに自分がなっている。
振り下ろした切っ先が空気を切って、風を生む。
電信柱が口を開けた巨人で、ガードレールが舌なめずりする大蛇で、アスファルトが眠り続ける邪悪な龍だ。
振り下ろした切っ先が、魔物をしっかり打ち付ける。
切り裂いた一閃が、魔物にとどめを刺していく。
折れた切っ先が頭上を高く飛んでいく。
役目を終えた誰かはいなくなる。
5 バッテリー
行き場の失ったバッテリーが机の上に転がっている。
昨日は電気屋を覗いてみた。
一昨日は役所に顔を出した。
先月なんてリサイクルボックスを巡ってみた。
あれだけみんなに求められて、
あれだけみんなに買われていったのに、
今ではだれも見向きもしない。
仲間は棚の隅でほこりをかぶっている。
もしくはどこかの川の中で凍えている。
最近どうも張りがある。
あるいは間もなく最後になるのか。
6 走っていった
走っていった。
何が?
あれはなんだろうか。
風がすごかった。ものすごい風圧で、ものすごい勢いで。
街路樹が一瞬で緑から赤く染まっていって、今ではもう枯れ葉に根元を覆われている。
あれだけ真新しかった歩道の石畳は、汚れて、黒ずむ、ひびがある。
ほんの一瞬走っただけで、周りは歳を取っていく。
忘れたいことがあった人は、両手を上げて喜んでいる。
もはや記憶が何もない。
嫌なことは、楽しいことと一緒に消えていた。
もしくは我々が取り残されてしまっただけなのかもしれない。
7 滝昇り
目の前にあるのは、それはそれは大きな滝なのだが、果たしてそれは本当に滝なのか。
確かに上から下へと流れているが、肝心の水ははどこにもない。
滝というのは、川から川へとつながるものだ。
だというのに、こいつは、どこにもつながっていない。
一人ものか?
どこからきて、どこへ行くのかも、分からない。
あげくの果てにお前が流しているのはなんなんだ?
声には出さないように頭の中で、必死に肯定するか、否定するか、検討している。
答えは出ない。
ふと一歩踏み出す。
流れに身を任せるのは簡単だが、あえて、逆らうと、
これが、良い感じに逆らえるのだ。
そうして昇り切った先の世界は、少しだけ違って見えた。
8 帰宅して初めにすること
玄関のドアを開ける。
いや、違う。
自宅の敷地に足を踏み入れる。
いや違う。
自分のいる場所がちゃんと自宅か把握する。
自宅だったらそれでいいだろう。
一つ聞いてほしい。
頭の中は仕事のことで埋まっている。
両手に仕事の残骸を抱えている。
このまま持って帰るのか?
このまま続きをやるのか?
これを何とか放り出す。
まず初めにそうしなければ、たぶんいけない。
いつ帰宅できるのか、まだ、誰にも分らない。
9 龍と少年
少年は龍の住処に放り出された。
毎年毎年いろんな人間が、放り出されている。
聞けば、次の日には辺りに大きな雨が降るそうだ。
聞けば、次の日には水が透き通るそうだ。
聞けば、次の日には龍の唸り声を耳にしなくなるそうだ。
少年はじっと待つ。
逃げられないように足には頑丈な鉄の鎖が付けられていて、もう一端は大きな岩に打ち込まれている。
そこは巨大な洞穴で、だけど隙間は空いていて、光が刺して、割と明るい。
龍の寝顔がはっきりと見えるくらいに。
少年はすることがない。
だから寝ることにした。別にいいだろう。誰も見ていないし、龍だって寝てるんだ。
目を覚ました二人は互いの寝ぼけた顔を見て、そのあまりの間抜けさに笑い合った。
10 飴の弾丸
飴を一つ選びだす。
そいつを銃に押し込んだ。
銃口をどこに向けようか。
ちょうど日が沈んだところだ。真っ暗だ。
ちょうど空には何もない。
斜め45度に狙いを付けて、引き金を引く。
ボンッ、と音がして、飴が勢いよく飛び出していく。
どこまでも黒い空へと、飛んでいき、しばらくは光っていた。
これはつまらない。
今度は二つ飴を入れる。
引き金を引く。
ボンッ、と音がして、飴が勢いよく飛んでいく。
もう一度引き金を引く。
ボンッ、と音がして、雨が勢いよく飛んでいく。
やがて二つの飴がぶつかると、砕け散った破片が、空に広がる。
空からどんどん落ちてくる。
落ちた飴の破片が人の光を反射して、新たな世界を作り出す。
日が昇るまで、その熱で溶け堕ちるまで、夜は終わらない。
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