101.魂源神の祭壇
「特訓のタイムリミットは今日を入れて五日間……討伐依頼開始の前日まで」
磨き抜かれた大理石の石柱の立ち並ぶ、白亜の回廊。
そこをまるで自宅の庭を散策するような、軽やかな足取りで進みながら――
「それまでに貴方には、対物理・対術法戦闘の基本を体得してもらうわ。この神殿の修練場を使ってね」
フェレシーラは、背後に続く俺にそんな注文を付けてきた。
「今日から五日間の間に、か……」
それはミストピアで利用していた、石造りの宿を発ってからのこと。
俺はフェレシーラと共に、町の入口近くに構えられた神殿を訪れていた。
聖伐教団が擁する神殿従士たちの拠点である神殿は、練兵場と祭祀の場を兼ねている。
そうした神殿の多くは教会と併設されるのが基本であり、機能・職務面での相互補完を行いつつ、有事の際は周辺に駐留する公国兵の指揮を執る権限も備えている。
兵舎に修練場、武器庫に厩舎。
それらの施設で周囲を固めつつ、その中心に聖伐教団の信奉する女神『魂源神アーマ』の祭壇を配する。
そうした形が、レゼノーヴァ公国における神殿の一般的な構造だ。
そしてそれは、このミストピアでも同様だった。
「修練場で特訓って、気楽に言ってくれるけどさ。あのまま俺たち以外に参加者が集まらずに、スケジュールがずれ込む可能性だってあるんだろ? その場合、お前の言う特訓ってのがずっと続いたりするのか?」
「それも当然ありえるでしょうね。でも……私の見立てでは、そのパターンはないと思うから。貴方は心置きなく、短期間の訓練に専念出来るはずよ」
正門から真っすぐに伸びた回廊より、祭壇の間へと向かうその途中……
こちらの投げかけた質問に、フェレシーラは歩みを止めずに答えてきた。
これから起こるであろう闘いに備えて、足手纏いになるであろう俺を鍛えておく。
今後フェレシーラと共に影人との戦いに挑むからには、たしかにそれは必要なことだった。
戦闘能力の未熟さ故に伸びしろが期待される俺は、可能な限りの訓練を行っておく。
既に十分すぎるほどの戦力であるフェレシーラは、『隠者の森』で遭遇した影人の特性を踏まえて、教団の施設を利用して準備対策を済ませておく。
その重要性は俺にも理解出来た。
出来る、のだが……
それにしても、急な話だった。
「まずは祭壇の間で従士長に挨拶をしておきましょう。それとメルアレナに頼んで、ミストピア周辺に出没していた影人の資料を教会から回してもらうから――」
話を続けながらも、フェレシーラは相も変わらずこちらの前を進んでいる。
「ここの修練場と兵舎はすぐにでも使えるはずよ。それと手隙の従士にも協力を頼んでおかないとね」
凛々しくも頼り甲斐のある、普段どおりの彼女の立ち振る舞い。
事の問題点を浮き彫りにして、鮮やかに解決してゆく。
聖伐教団で唯一人、単独での行動権を所有する聖女。
白羽根の神殿従士がそこにいる。
だけど……何故だろうか。
そんなフェレシーラの後姿に、俺はなんとはなしに引っかかるものを感じていた。
「なあ、フェレシーラ――」
「ストップ。この先で従士長が待っておいでよ。質問があれば、そのあとにね」
白き回廊の終着点。
両開きの大きな扉が見えてきたところで俺が声をあげると、彼女は人差し指を立ててこちらを制してきた。
いい子にしていろと言わんばかりのその仕草に、勝手のわからない俺は押し黙るより他にない。
「失礼します、カーニン従士長。白羽根神殿従士フェレシーラ、ただいま参殿しました」
縦長の木目が刻まれた黒檀の扉の前で、フェレシーラがゆったりとした所作で姿勢を正す。
それを見計らったかのようにして、扉の向こう側から「どうぞ」という低く落ち着いた、男性の声が返されてきた。
フェレシーラが小さく頷き、それ見た俺もまた、倣う形で扉の前に進み出る。
ひんやりとした金属製のドアノブに手をかけると、ずっしりとした扉の重みが伝わってきた。
力を込めて、俺は扉を押し開く。
すると、うっすらとした甘く華やかな香りが辺りに漂ってきた。
その香りに誘われるようにして、祭壇の間へと足を踏み入れる。
おそらくそこは、部屋そのものが正四角形となるように設計されていたのだろう。
幅、奥行き、天井までの高さ――
それらすべてが20mはあろうかという広々とした空間が、眼前に広がっていた。
その中心には、一つの岩から削り出された白い女神の像が鎮座している。
左手に天秤、右手には黒っぽい木の棒を持ち、右足を軽く浮かせた、いわゆる遊脚像だ。
その左肩からは白い大きな翼生やされており、それのみで天に向けて羽ばたく様を現している。
白一色で塗り潰されたフロア全体には、無数の自然石が敷き詰められていた。
祭壇の周囲には筒状の香炉が置かれており、そこから薄煙と共に薔薇の香気が立ち昇っている。
ただ一枚の扉を境界として周囲より隔絶された、祈りを捧げるためだけに存在する空間……
そこを等間隔で床より生え伸びた螺旋状の柱たちが、懸命に支えあっている。
そんな風に、俺には見えた。
「やあ。すまなかったね、フェレシーラ。君のほうから足を運ばせてしまって」
万物の魂を司る『魂源神アーマ』を祀った、祭壇の間。
そこで待ち構えていたのは、紫紺の法衣に身を包んだ壮年の男だった。
「公都には戻らず、隠者の森に出向いていたと聞いていたが。息災だったかな」
彼はフェレシーラの姿を認めると、片手をあげて小さく祈りの印を切ってきた。
「私であればこの通り。お久しぶりです、カーニン従士長。職務でお忙しい中、滞在の許可をいただきありがとうございます」
フェレシーラがそれに倣う形で印を切り、男の元へと進み出た。
そこに付き従う形で俺も後を追い、深々と頭を下げる。
滞在の許可というのが、俺に対して与えられたことが明白だったからだ。
「教会からの報告書は読ませてもらったよ。君がフェレシーラに影人の調査を依頼した少年……フラムくんだね」
「は、はい」
従士長カーニンからの言葉と視線に、俺は反射的に背筋を正して返答を行った。
目尻に刻まれた浅い皴からして、歳は四十代の中程といったところだろうか。
僅かに白いものが混じる黒髪を短く刈り込んだ、紳士然とした佇まいの男性だ。
体格は中肉中背。
しかし法衣の襟から覗かせた首周りは太くがっしりとしており、それが全体に引き締まった印象を与えている。
おそらくは、聖伐教団での役職や階級を表すためだろう。
その右胸には、太陽と重なった剣の紋章が。
左胸には、金色の剣の紋章が縫い付けられている。
場所が場所だけに、ということなのだろうか。
武具の類こそ帯びてはいないが、彼自身も従士としてかなりの腕前を備えているだろうことは、素人目にも一目でわかる。
ミストピア神殿の長カーニンは、そんな男だった。
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