60.暫しの別れ
要約すると、彼女の話はこうだった。
「神殿従士であるフェレシーラには、教団によるスケジュール調整の元、定期的に職務が与えられており、彼女はそれに従い行動をしている」
「その職務内容の大抵が荒事の解決であり、場合によってはかなりの日数を要するケースもある」
「そして今現在、彼女はスケジュールに空きが出来ている状態であり、それなりに自由に出来る時間があった為、俺と公都を目指していた」
「だがそこに、突然教団内での直接の上司に当たる司祭長からの待機要請が下ってきた」
「待機要請の後には、往々にして大きめの仕事が舞い込んでくるのが常であり、そうなれば、彼女がこのまま公都を目指せなくなる可能性が非常に高い」
「そして原則、司祭長クラスからの要請を直に拒否する権限は、白羽根には与えられていない」のだと。
……そこまで話を聞き終えてから、俺は知らずのうちに溜息を吐いていた。
「なるほど。それで目算が崩れて、受付の人を問い詰めていたのか。納得だ」
「崩れてなんか、いないわ」
こちらが頷いていると、やってきたのは否定の言葉。
その声に俺は顔をあげる。
そこには、青い瞳に決然とした意志の輝きを灯した少女の姿があった。
「まだ私が教団からの仕事を受けることは、決定していない。だから、私の……私たちの目算は、崩されてなんていない」
その宣言に、俺は息を呑む。
呑み、迷ってしまう。
フェレシーラにそこまでさせていいものかと。
自身の上役に逆らってまで、こちらに付き合わせていいのかと。
そんな怖れを含んだ想いが、俺を躊躇わせていた。
「心配しないで。まだ、手はあるから。貴方に協力を願い出たのはその為よ」
「それって……俺から教会に依頼を出せっていうヤツか? でも、そんなことしても」
「ええ。司祭長以上の指名による仕事の割り当てには、白羽根といえど逆らうことは出来ない。でもね……待機要請に対しては、必ずしもそうではないの」
自分でも知らないうちに、不安な気持ちが顔に出ていたのだろう。
そんな俺に彼女は優しく微笑み、安心させるように続けてきた。
「待機要請が有効になるのは、飽くまで私が仕事に就いていない間のみ。そして白羽根や黒獅子、青蛇といった一部の教団員には……自発的に教団の仕事行う権限が与えられているの。勿論、相応の条件は求められるし、待機要請以上の強権を発動されると厳しいのだけれど」
「自発的にって仕事が出来るって……それって、つまり」
「ええ。そうよ」
その声に合わせて、亜麻色の髪がふわりと揺れてきた。
「明日にでも私からの紹介で貴方が『隠者の森で』『霊銀の鉱床のある洞窟に』『大穴を開けた』『影人の調査依頼』を申請出して……それを私がすぐに受理してしまえば」
「それなら……その状態になりさえすれば、このまま皆で旅を続けることが出来る……! 頼みごとをしてきた理由って、それか! 手があるって、そういうことか!」
「大穴云々の辺りも含めて、かなり強引なやり方だけどね。一応、普段からしっかりと職務はこなしているつもりだし……上の人間も大目にみてくれる筈よ」
「くれるくれる! フェレシーラなら、大丈夫だ!」
悪戯っぽく笑うフェレシーラに、俺は思わず無責任にも太鼓判を押してしまう。
「あ、でも……俺の名前で依頼しにいくと色々と不味かったりしないか? 知り合いなんてほとんどいないけど、チャドマさんみたいな行商の人とかには、名乗ることもあったし……」
「そうね。無用の揉めごとを未然に防ぐって意味では、貴方がマルゼス様の弟子だっていうは隠しておくに越したことはないでしょうね。この国では、良くも悪くも有名すぎる人だから」
「あー、そういう可能性もあるか。俺としては碌に魔術も使えないのに、弟子ってバレるのが嫌なだけなんだけどなぁ……しかし、そうなるとだ」
フェレシーラからの返答に、俺は「ふむ」頷いてみせる。
そして顎に手をあてると、もっともらしく考えこむポーズを作ってみせた。
「何か、別の名前……偽名ってヤツを考えておいたほうがいいか? 万全を期してってことでさ」
「ん? 別に、フラムはフラムでいいと思うけど。天涯孤独っていうことなら、下の名前は無しで大丈夫でしょう?」
「それは確かにそうだけど……俺はお前に迷惑かけずに済むんなら、名前ぐらい変えたっていいけどさ」
「名前を変えるぐらい、なんて言っては駄目よ。そんなこと……しないで済むのであれば、しないほうがいいに決まっているわ」
「それは……」
いつにないフェレシーラの強い物言いに押されて、俺は押し黙ってしまった。
名前に拘りはないというのは、本当のことだった。
勿論、師匠に付けてもらった自分の名前は好きだし、それを誇りにも思っている。
でも……ほんの少しだけ「偽名ってなんかカッコいい」という気持ちも、なくはないのだ。
フラムという名前を金輪際名乗れないというのであれば、話は別だが……
とにかく俺としては、必要とあれば素性を隠しきることにも抵抗はないのだと、フェレシーラに伝えたかった。
だがどうやら、そんな俺の覚悟は上っ面だけのものだったらしい。
その証拠に、今のこうしてフェレシーラに見つめられただけで、何も言えなくなってしまっている。
目の前にいた少女の瞳が妙に悲し気に見えて……俺はどうしてよいのか、わからなくなってしまっていた。
「もう、そんな風に思いつめた顔しない。ええと……ほら、偽名を使うにしても、私のほうがついフラムって呼んでしまうかもでしょう? 普段やり慣れていないことをすると、ボロが出るのが関の山だと思うし……貴方だって、うっかり本名を名乗ったりもあると思うから」
「なるほど……それは確かに、一理も二理もあるな。じゃあ今日から俺は、ただのフラムだな」
「ええ。それがいいわ。それが一番よ、フラム」
そこで彼女がにっこりと微笑んできたので、俺は納得することにした。
さよならアルバレットさん。
暫しの別れになることを許して欲しい。
俺は今日から天涯孤独の独学系魔術士志望者、フラムくんだ。
「なら、俺の素性はそれで通すとしてさ。実際に依頼を申請するとなると、どういう手順でいけばいいんだ? 細かいことはフェレシーラに教えてもらうとしても……形だけでも、俺から支払う報酬を準備しておかないとだよな」
「それについてはご心配なく。貴方が魔術の訓練をしている間に、用意を済ませきたから」
「済ませてきたって……」
「これよ。この町の知り合いに頼んで、工面してもらったの」
言葉の途中、フェレシーラが白い法衣の袖から球状の物体を取り出してきた。
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