55.足止め、苛立ち、問答

 

 

 フレン号こと、術具馬車の試運転を滞りなく終えてから、緩やかな渓流の岸辺にて休憩をとっていると。

 

「これからは都市圏での生活を送ることになるのだから……少しずつ、この国のルールを覚えてもらわないとね」

 

 裸足となり丸石に腰かけたフェレシーラが、そんなことを口にしてきた。

 

「覚えてもらうって……例えばどんなことをだ?」 

 

 木陰のせせらぎへと舞い降りたその爪先がパシャパシャと水音を立てる最中、俺は飼い葉を手に問いかける。

 馬車を走らせるフレンの体力は術具で回復可能だが、それで水分や栄養の補給、睡眠までもが不要となるわけではない。


 フレンは頭の良いヤツだ。

 自分が術具の力でどんな役目を期待されているのかも、もうわかっているようだ。

 普段決してやらない長距離での全力疾走も、瞬く間に対応してきた。

 俺も彼を見習い、自分がなにを学ぶべきかしっかりと見据えていくべきだろう。

 

「そうね。実用的な知識を優先して、というのも悪くはないでしょうけど。先に貴方が興味のある分野から、っていうのはどうかしら?」

「興味のある分野、か……」 


 フェレシーラの提案に、俺はしばし考えこむ。

 足元では、ホムラが飼い葉に手ならぬ口を出して、「ぺっぺっ」とそれを吐き出している。

 好奇心旺盛なその姿は、傍から見れば微笑ましくもあるが……

 

「確かに、知識ってのは手当たり次第に詰め込んでも意味はないもんな」 

「ピィー……」

「そゆこと。勿論、必要とあれば逐次覚えてもらうけどね」

「うん、わかった。じゃあ、前から気になってたんだけどさ――」 

 

 それから俺は彼女から、馬車を走らせる合間に様々なことを教えてもらった。

 

 公国では今現在、騎士制度が廃されており、神殿従士がそれに取って代わっているのだとか。


 その国土は公王ユーセラス・ミシェラトゥール・レゼノーヴァが治める公都アレイザ周辺と、それを取り巻く三つの地域で成り立っているのだとか。

 

 そうした三つの地域は、先の魔人将との戦いで抜きん出た功績を残した三人の大領主による、分割統治が図られているのだとか。


 公国軍と冒険者ギルドは公王の、術具工房は聖伐教団の長である教皇の認可の元、各地での管理運営が執り行われているのだとか。

 

 聖伐教団はレゼノーヴァ建国以降、公国民となった人々に対して、アトマ文字の読み書きを含む基礎教育に力を注ぎ込むことで、魔人との戦いで疲弊した国力の回復に尽力してきたのだとか。

 

「あとは……そうね。ついでに税制とかの話もしておきましょうか?」 

「あー……いや、それはまた、後程ということで……」 

「あら残念。そっち方面は教団の管轄だから、もう少ししっかりと教えられたのだけど。あ、でも最後にこれだけは――」

 

 ……そうした公国内の常識を、みっちりと教え込まれてから。

 

「さて、そろそろ次の町ね。今日はもう陽も暮れてしまいそうだし。続きはまた明日にしましょうか!」

「……了解、しましたー……」 

「ピィ……スピー……」 

 

 俺は今更になって、フェレシーラが結構な世話好きであることを、理解させられたのだった……


 いや、正直助かってますけど。

 でも術具の並列使用中は、ちょっと頭に入って来にくいかなって……!

 

 

 

 

 それは夕刻、湖畔の町ミストピアに立ち寄った際。

 セブの町のものと殆ど変わりのない、教会の待合室でのことだった。

 

「司祭長からの通達があるまで待機、とは……どういうことなのでしょうか」


 俺が一人で税制関連の本を読み漁っているところに、そんな声が響いてきた。


「定期報告は、昨日全て済ませておいたはずですが。こちらの書類に、何か不手際がありましたでしょうか」 

「い、いえ! 報告そのものに、不手際があるというわけではなく……その……」


 丁寧だが、しかし苛立ちを隠せぬ女性の声に、別の女性の声が続く。


「では、速やかに説明をお願い致します。こちらは連れを待たせていますので」

「りょ、了解しました……こちら神官長に確認を行いますので、もう暫くのお待ちをば……!」

「わかりました。よろしくお願い致します」


 カッ、カッ、カッ――ギィ……パタン。

 

「……はぁ」 


 黒塗りの扉を後ろ手に締め終えてから、フェレシーラが溜息を吐いてきた。 

 どうやら今のやり取りは、彼女と受付の女性との間で交わされていたものらしい。


「お疲れ、フェレシーラ。ちょっと揉めてたみたいだけど……なにか問題でもあったのか?」

「ううん。別に揉めてたってわけじゃ……いえ、そうね。明日の朝に、この町を出られなくなったのは確かね」

「ふぅん……」 

 

 明らかな困り顔となっていた少女に、俺は本のページをパラパラと送りながら曖昧な相槌を打つ。

 

 縦長のテーブルと長椅子が二セットずつ配された室内には、俺たちの他に誰もいない。

 

「ごめんなさいね。公都に着くのが遅れてしまって……」 

 

 不意にやってきたその言葉に、俺は顔をあげる。

 みればフェレシーラは、未だ待合室の入口に背を預けていた。

 

「いや、それは気にならないけど」 

 

 一応の前置きをしてパタンと本を閉じると、少女がこちらに顔を向けてきた。

 二人で旅をしているときとは違い……なんとも言えない、距離を感じさせる表情だ。


「なんか……なんて言うか。俺の思い過ごしかもしれないけどさ」 

 

 それを見て、俺は常日頃から抱えていた疑問を口に昇らせた。

 

「なんか、無理してないか。お前」 

「……なによ、無理って」

「なにって……フェレシーラは、神殿従士だろ?」

「そうだけど。それが、なに? 私が教団の人間だと、何か問題があるの?」

「いや、そうじゃなくてさ。ええと……」


 微かに苛立つような気配を見せてきたフェレシーラに、言葉を選びなおす。

 分厚い本をテーブルの上に置き、姿勢を正す。

 そうして彼女の目をまっすぐに見て、


「フェレシーラには、俺のことよりもっと大事な……聖伐教団の仕事があってさ。無理して俺に、付き合ってくれてるんじゃないかなって。そう、思ってた」


 俺は日に日に大きくなっていた疑問を、はっきりと口にしていた。

 

「……どうして、そう思うの」 

「どうしてって、そりゃあ……」

 

 予想外の反問に、言葉が詰まる。

 

 当たり前だ。

 本音を言えば、こんなことは追及したくはない。

 都合よくも俺の世話を焼いてくれている彼女を問い詰めて、藪蛇な結果になって困るのはこちらのほうだ。

 

 生まれ育った森を出て、誰一人として頼る相手もいない身で、右も左もわからない状況下で、わざわざフェレシーラに手助けの理由を問い詰めて、まかり間違って彼女の気が変わりでもしたらだなんて……正直言って、考えたくもない。

 

 だからこんな無用な詮索は今すぐやめるべきなのだと、頭の中ではそう考えていながらも。

 

「フェレシーラが……お前が辛そうな顔してるからに、決まってるだろ……」 


 俺はぼそぼそと、心の内を曝け出してしまっていた。

 

 溜息がこぼれる。

 俺とフェレシーラ、双方の口から。

 

「もし――私にとっても、利益があると言ったら?」 

「……?」


 唐突にやってきたその言葉を理解出来ず、俺は顔を上げる。

 そこに、真っ直ぐにこちらを見据えてくる青い瞳があった。


「どうせ貴方のことでしょうから。自分の手助けをしても、私にとって得がないとか、理由がないとか、そんな風に考えているんでしょう? 従士の仕事の邪魔をして、迷惑はかけられないとか思ってるんでしょう?」 

「それは……ある、けどさ」 

「ほらね。やっぱり。だから、理由があるって言ってるの。私にとっても、貴方と一緒にいることには利益があるって、そう言ってるのよ。それなら何も問題はないでしょ? それともなに? 私が一緒だと、都合が悪いとでも?」 

「いや、都合が悪いなんて……そんなこと、あるわけないけどさ……」

「じゃあ、なに? さっきから黙って聞いてれば、けどさけどさって。言いたいことがあるんなら、この際全部言っておきなさい」

 

 予想外の糾弾を受けて口籠っていると、フェレシーラが腰に手を当てて捲し立ててきた。

 なんだかよくわからないが、憤懣遣る方無し、と言わんばかりの憤り様だ。

 

 いつも落ち着いて余裕のある、彼女らしくない反応だ。

 少なくともいまのフェレシーラは、俺にはそう見えてしまう。

 付き合い自体はまだ浅くとも……なんとなく、この神殿従士の少女が普段と違っていることぐらいはわかっていた。

 

 だが、こちらに知りたいことがあるのも、また確かだった。

 

「なら、聞かせてくれよ。フェレシーラが言う、その理由ってのを」 

「……それを言ったら、納得してついてきてくれるのね?」 


 その問いかけに、俺は頷く。


 とはいえ、その答えの内容に関わらず、俺は今後も彼女についてゆくに決まっている。

 そう考えると、我ながら不誠実極まりない対応だが……


 今の俺は、フェレシーラの言う理由というヤツを聞いておかねば気が済まない、という状態だった。 

 

 そんな俺の気持ちを察してくれたのだろう。

 彼女は扉の前から離れると、テーブルの向かい側にまでやってきてくれた。

 

「理由は三つよ。二度は言わないから、心して聞きなさい」 

「わかった。聞く」 

 

 余計な口は挟まない。

 そう決めて両膝に手を置くと、ナップサックの重みが背中にズシリとやってきた。


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