51.ない袖は 振らば旅路の 籠のなか


「一度、旅の間の役割分担を決めてみようと思うの。さっきも言ったけど、アレイザまでは随分と遠いことだし。あてはあるにしても、どれぐらいのペースで進めるかは予測が付かないから」


 その提案に、俺は膝上でホムラを撫でつつ頷いてみせた。

 

「わかった。出来る限りのことはやってみたいから、言ってみてくれ。今のままだと、何から何までフェレシーラの世話になりっぱなしだし」 

 

 その言葉には、今度はフェレシーラが頷きを返してきた。 


 彼女は寝台の上に腰かけて、その横に置かれた小さなテーブルの上に羊皮紙を広げている。

 備え付けの椅子がもう一つあればよかったのだが、そこは仕方がない。


 何せここの宿代にしても、フェレシーラが立て替えてくれている状態なのだ。

 こちらの路銀はホムラの為に使って欲しいとのことで、そうしてくれているのだが……

 

 そんな状況下では、部屋の質がどうのとか口が裂けても言えない。

 思ってしまうのは、偏にシュクサの村での待遇が妙に良すぎたせいだと責任転嫁しておきたい。

 

「それじゃあまず、旅の間にかかるお金に関してだけど……それについては、気にしないでいいわ」 

「うん。わかった。そこは出来るだけ自力で稼――へ?」 

「わかったなら、次ね。じゃあ明日からは」 

「ちょ……ちょっと、ストップだ! 待ってくれ、フェレシーラ!」 

「? なによ、そんなに慌てて。あんまり騒ぐとホムラが寝つけないわよ」

「う――たしかに、っていうか……」


 至極もっともなその指摘に、そっと声を顰めつつ……

 

「その、理由を聞きたいんだけど。お金のことを気にするなってヤツの理由をさ」 

 

 俺は結局あっさりと、フェレシーラに向けて質問を投げかけていた。


 気にするなということは、彼女がお金の問題を引き受けてくれるという意味だろう。

 今まで散々世話になっておいて何だけど……流石にそれは、あまりに虫がよすぎる話だ。


「理由って。そんなの決まってるじゃない」 

 

 しかしフェレシーラは、その疑問に平然と応えてきた。

 

「今の貴方には経済的な基盤がないからよ。というか、他に理由ある?」 

「それは、そうだけど……ないならないで、どこかで働いて稼ぐとかさ。フェレシーラだって言ってたろ。俺なら仕事に困らないって」 

「ああ。それは飽くまで、働き口のある場所に定住した場合の話よ。それ以外で纏まったお金を稼げるとは思わないで。言いかたは悪くなるけど、そんなことしてたら旅脚を鈍らせるだけだから」 

「それは……」

「やってみなければわからない――なんていい加減なこと、言わないでね。まずはこの旅の目的が、アレイザで貴方の魔術的不能を回復することなのをお忘れなく」

 

 きっぱりとした彼女の説明に、俺は押し黙るしかなかった。

 

 フェレシーラの言っていることは、正しかった。

 加えて言えば、口調こそややきつくとも、優しさもある。

 というより、むしろ優しさのほうが随分と大きいし、甘いとすら言えるかもしれない。

 

 体のことを気にかけてもらった上に、そこまで甘えるわけにはいかない。

 ……そんな青臭いことを口にして言い争う前に、俺は一度、自分の頭で考える必要があった。


 繰り返すが、今の俺に経済的能力はない。

 塔を離れる際に師匠からは『それまでの労働への対価』として、銀貨五十枚ほどを与えられていたが……

 

 仮に俺が単身で馬車なりを使い、公都であるアレイザを目指したとしたら。

 相当低く見積もっても一週間分ほどで底をついてしまうだろう。


 移動費、食費、宿代。

 最低限これらにお金を回すと仮定して、一週間。

 

 フェレシーラの話では、二頭匹の馬車で荷物を控えて走らせたとしても、このセブの町からアレイザまでは、早くとも二週間はかかるとの話だった。

 つまり俺の(穴だらけの)計算では、その半分ほどしか進めないことになる。

 

 しかもそれは、何のアクシデントも起きずに進んだ際の予想だ。

 例えば天候に恵まれなかっただけでも、出費は一気に膨れ上がるだろう。

 

 勿論、俺が取れる選択はアレイザを目指す以外にもある。

 術法式が使えないことなど気にせずに、このままこの町で食い扶持を探すという選択が、現実的と言えば現実的なのだろう。

 

 でも……俺の気持ちはもう、フェレシーラの掲げた目標に傾いてしまっている。

 それは勿論、人並みに術法式を扱えるようになり、一人前の魔術士になりたいという欲に根差している。

 ホムラのことにしても、果たすべき責任がある。

 少なくとも、独力で狩りをして生きて行けるようになるまでは手助けが必要だろう。

 躾だって、しっかりやっていかなければならない。

 そう考えれば、なんとしてもアレイザまで辿り着き、安定した食い扶持を得たいところだった。

 

 だが、もしも……

 もしもそういった明確な、やるべき目標が仮になかったとしても。

 俺は既に、『フェレシーラと旅をする』ということ自体に、強く惹かれてしまっていた。

 

 ここに来るまでの四日間は、苦労の連続だった。

 知らないこと、慣れないことでばかりだった。

 何一つ、思うようにこなせなかった。

 重ねて言うが、自分一人では何処かであっさりと命を落としていたかもしれない。


 昼間、スリに遭ったときにしてもそうだ。

 フェレシーラの背を追ってさえいればよかったから、すぐに財布を奪われたことに気がつけたのだ。

 あれが自分だけで町に辿り着いた後であったなら……周りに気を取られて、十中八九、カモにされていただろう。

 

 ……いや、違う。

 これは多分、言い訳だ。

 フェレシーラに助けられたとか、彼女がいなければなんていうのは、事実はであっても、理由にはならない。

 そういった損得勘定抜きに……単純に俺は、彼女と旅をしたいのだ。

 そのこと自体に、強く惹かれてしまっている自分がいるのだ。

 

 だから……今の俺に言えることは、一つだけだった。

 

「出世払いで、お願いします……!」

「オッケー。アレイザに着いて落ちついたら、必死になって働きなさい」


 許された……!

 

 まあ、厳密には出世払いとは違うけど。

 ニュアンスとしてはそこまで間違ってもいないだろう。うん。

 

「て言うか、そもそも渡されてた額が微妙すぎるるもの……十年以上頑張ってたんだし、もう少しぐらい余裕を持たせてもいいでしょうに。銀貨五十枚なんて、ここに十日泊まっただけで尽きちゃうじゃない」

「いやぁ。あの人の想定では、俺が公都を目指すなんて思ってなかっただろうしさ。それこそ近場ですぐに職を探すとか、そっちの方向で考えてたんじゃないかな」 

「想定ねえ。……まあ、マルゼス様にしてみれば、まさか貴方がグリフォンを育てるだなんて思ってもみなかったのは、確かでしょうね」 

 

 そう言うと、彼女は俺の膝上へと視線を移してきた。

 

 そこでは既に、満腹となったホムラが寝息を立て始めている。

 食べて、遊んで、よく寝る。

 これがホムラの一日で、役割だ。

 

「こうして見ていると、予想に反して犬っぽい感じよね。その子」 

「たしかに。見た目は子鳥と子猫で半々、って感じだけど……案外、お手とかお座りなんかも出来るようになったりしてな。あと、待て! とか。取ってこい! とか。ほんきだせ! とかさ」 

「うーん。そこまで可能かはわかんないけど。意思疎通にも役立ちそうだし、暇を見て色々教えてあげるといいんじゃないかしら」

「なるほど。意思疎通の為に、教えてやるか……へへっ」


 まだやわらかなホムラの羽根の手触りを手の中で感じながら、俺は知らぬ間に笑みを溢してしまっていた。


「なによいきなり、急にニヤニヤし始めちゃって」

「あー、いやさ……俺がちっさい頃はこんな感じだったりしたのかなぁ、って」 

 

 呆れ気味でやってきたその指摘に、俺は特に深く考えず、答えを返す。 


 ふと顔をあげると、そこには瞼を伏せて優しげに微笑むフェレシーラの姿があった。

 

「マルゼス様は、貴方を大切に育ててきたのね」 

「な、なんだよ。そっちこそいきなり……」 

「特に理由なんてないわ。そう思っただけよ」 

「ふーん……その割に、持たせたお金は大したことないみたいだったけどな」 

「そこは、まあ。これまでにかかった養育費とか……色々と、ねえ?」

「ぐ……! やめろよ、マジでそういうの……! 今まであやふやだった部分が、生活費とか目の当たりにして具体的にブッ刺さって来てるんだぞ、こっちはさ……!」

「それは失礼しました。さて、冗談はこれぐらいにしておいて。話を進めましょうか」

「冗談だったか、今の……?」

 

 その後、持ち込んでおいた夕食を口にしつつ、諸々の予定を決め終えると。

 明日からの旅路に備えて、俺たちはゆっくりと羽根を休めることにした。

 

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