43.再来の術士

 

「あっ、つぅ――い、いきなりなんだよ、フェレシーラ……それに、いまの鳴き声って――」

 

 グリフォンの雛の、鳴き声だ。

 そう思い、上体を起こして声のしてきたほうを見回すと……

 

 そこには見覚えのある、しかし予想外のシルエットがあった。

 

「おや。これは良いところを邪魔してしまったようだ……済まないね、御両人」 

「あんたは……確か」 

 

 こちらの頭上でぽっかりと空いた横穴に立つ、鴉の如き蓬髪の男。 


「バーゼル――」 

「やあ、少年。探し物は見つかったかな」


 その名を口に見上げると、暗褐色ダークブラウンの瞳が細められたのが遠目にも見て取れた。


 男の眼前で漂う魔術の光源を目印に、俺は膝立ちで身を起こす。

 そして懐へと手を伸ばし――

 

 そこで今更ながら、俺は得物である短剣を失っていたことに気付き、舌打ちを飛ばしていた。

 

「ふむ。これは随分と嫌われてしまった様だが……何か、気に入らないことでも?」


 その仕草を敵対の証と見做したのだろう。

 バーゼルはその場を動かずに、こちらに語り掛けてきた。


「生憎と怪しい家庭教師のおっさん相手に、すぐに気を許す癖はなくってね。その上こんな場所でバッタリ再会すれば……否が応でも、警戒するさ」

「なるほど。これは失敬。あれからそちらに遅れて影人の痕跡を追っていたのだが……グリフォンの鳴き声に釣られて、迷い込んでしまってね。そこでこのトンネルを見つけて覗いてみた、という次第だよ」

「体よくこっちを利用して安全に進んできた、って風にも聞こえるな。目当ての影人は全滅で期待外れだったかもだけどさ」

 

 バーゼルが口にしてきた説明は、一応、筋の通ったものだった。

 にも関わらず、俺は煽るような口調となってしまう。

 

 何故だかわからないが、この男を見ていると妙に気分が落ち着かなかった。

 

「ちょっと、フラム……」


 そこにフェレシーラの、耳打ちするような声がやってきた。


「この人が、貴方に影人のことを教えてくれたんでしょう。警戒する気持ちもわかるけど、もう少し言いかたってものがあるんじゃない?」 

「……まあ、そうだけど。でも、それいったらお前だって黒幕がどうの――てぇっ!?」 


 言葉の途中、フェレシーラの爪先がこちらの足元に、ずいっと伸びてきた。

 

「お初にお目にかかります、バーゼル様。影人に関する情報提供、感謝致しております。私はレゼノーヴァ公国、聖伐教団の神殿従士。フェレシーラ・シェットフレンと申します。こちらにいるのは、フラム・アルバレット。わけあって、今回の討伐補佐をさせています。まだ心根が幼いゆえ、口の利きかたを知らぬところがありますが……どうか、平にご容赦を願いますよう」 

「これはどうも、可愛らしく美しいお嬢さん。どうやら自己紹介の必要はないようだね」


 流暢且つ堂に入った言い回しで、フェレシーラがバーゼルへとこうべを垂れる。

 その動きで裏では、俺の足の甲が悲鳴をあげていた。


「ちょ、フェレシーラ……! お前そんなにペラペラ喋って、どういうつもりだよ……!」

「いいから、ここは黙って任せておきなさい。あの男が何を考えてるかはわからないけど……もうこっちにアレと一戦構えて無事で済む保証も余裕も、欠片だってないんだから」 

「……お前から見ても、そこまでの相手なのか」

「ええ。貴方の話を聞いて、何となくそんな気はしていたけど。間違いなく、只者じゃないでしょうね。放っているアトマの質が、まともじゃないもの」

「質、か。わかった。ここは任せる」


 もしこの場でやり合うことになれば、無事では済まない。

 戦闘のエキスパートであるフェレシーラの口からそう諭されて、俺はそろそろ足の甲が限界だったこともあり、彼女の後ろに控えた。

 

 にしても……平時から相手のアトマを視覚的に測れるって、相当便利な能力だな。

 限定化された『探知』の魔術が常時発動してる様なものだけど、これも神殿従士の技能ってヤツなのか。

 術法を放つ瞬間とかならともかく、具現化したアトマなんてそうそうお目にかかれるものじゃないけど。


 ともあれ、ここはフェレシーラのお手並み拝見だ。

 何を考えているかもわからない手練れの魔術士を相手に、一体どんな――

 

「ところで、御両人に提案なのだが」


 どんな駆け引きが始まるのかと、思いきや。 


「もしこのまま話をするのであれば……ここは一つ、こちら側でゆっくりとどうかね」 


 余裕たっぷりの口調でもって、ふわりと宙に浮いてきた男を前にして。

 俺たちに残された選択肢は、そう多くもなさそうだった……


 

 

 

 洞窟の入口で待ち構えていたのは、あのグリフォンの雛だった。

 

「ピィ! ピィ!」 


 あれからきっと、ずっとそうしていたのだろう。

 ヒトの親指ほどの長さの黄色い嘴で、母の亡骸を揺り起こすようについばみながら。

 そいつは白茶の羽根を、せわしなく動かし続けていた。


「……無事だったのね」 


 その事実を口にするだけでも、随分と躊躇いがあったのか……フェレシーラは冷たくなった雌グリフォンの傍で膝をつくと、彼女の番いにそうしたように祈りを捧げていた。

 

「私が訪れたときから、ずっとこの調子のようでね。おそらくまだ産まれて間もない、幼体なのだろうが……母親の死というものが、認識出来ていないようだ」 

「ああ……」 

 

 隣に立つバーゼルの言葉に、俺はそれ以上の言葉を継ぐことが出来ずにいた。

 

「なあ……何であんた、俺たちを助けてくれたんだ?」 

「さあ、何故だろうね。君たちとて、出会ったばかりのこの雛を助けたのだろう? 理由など、人それぞれ……助けるに値すると感ずるか、否かだ」 

「そっか……そう、だな……」


 轟く滝の水音に呟きを掻き消されて、俺はその場に俯いた。

 

「さっきはつっかかる様なことばかり言って、悪かった。あのときも、今も、助けてくれたのに」 

「なに。気にすることはないよ。これでも一応、不審がらせてしまった自覚はあるのでね。それよりも……これからどうするつもりかな」 


 頭を下げたところに、バーゼルからの問いかけがやってきた。

 俺はそれに、答えを返せない。 


 両親を一時に失った雛には、厳しい現実が待ち構えている。

 フェレシーラも言っていたように、犬猫を助けるのとはわけが違うのだ。

 

 幾ら幼いとはいえ、相手は幻獣。

 それを人の手で保護して育てるとなれば……どれだけ無謀なことであるかぐらいは、流石の俺でも想像に難くない。

 

 だけど、俺は――

 

「フラム……ちょっと、フラム!」 


 思考の迷路へと踏み入りかけたところに、フェレシーラからの声がやってきた。

 

「え――あ、な、なんだよ。急に、でかい声出したりして」 

「なに言ってるのよ。貴方こそ、いきなりぼーっとして……いえ、それよりも、この子!」

「この子って――」


 切羽詰まったその声に、俺は身を乗り出す。

 そしてそのまま、息を詰まらせていた。

 そこには、地に横たわる雛の姿があった。


「お、おい、どうしたんだよ……このチビ、さっきまでは何ともなかっただろ……!」 

「急に鳴きやんだと思ったら、こうなってしまったの。すぐに回復術をかけてみたけど、効いてる様子もなくって……」

「そんな……なんとか、何とかならないのかよ……!」 


 ぐったりとして動かなくなった雛を前に、フェレシーラが首を横へと振ってくる。

 如何な彼女でも、神術の効果が及ばないとなれば、手の施しようがない。

 それは明白だった。

 

 当然、俺にも打つ手がない。

 幻獣に対する最低限の知識はありはしても、グリフォンという種に関する詳細な情報など……ましてや、母を失った幼体への対処法など、知り得ているわけもない。

 

 いや。

 もし俺に専門的な知識があったとしても、どうにもならないだろう。

 それを活かせる技術も、道具も、俺は有していないのだ。

 

 なので、今の俺に出来ることは一つしかなかった。

 

「バーゼル!」

「心得た。少し下がって居給え。容態を診てみるとしよう」 

 

 その叫びに応じて、黒一色の魔術士が進み出てきた。 

 今この場を治めることが出来るとすれば、この男しかいないだろう。


 地に黒衣を広げたバーゼルを、俺は無言で見つめることしか出来なかった。 

 

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