39.夢より覚めて


 

 幼い頃は、鳥が好きだった。

 大空を自由に、どこまでも飛んで行く鳥たち。

 その姿に俺は憧れていた。

 

 窓から二人で見上げる、師匠に抱えられながら見る鳥たちが大好きだった。

 巨木の塔には、様々な鳥たちが巣を作っていた。

 その中でも、俺は特に大きな巣を見つけては喜びはしゃいでいた。

 

 オオワシ、ノスリ、ハイタカ……時にはハチクマだとかも、見かけたりした。 

 

 初めてみる鳥を目にするたび、俺は師匠にその名を尋ねた記憶がある。

 彼女はその都度、真新しい本を片手に事細かに教えてくれていた。

 まだ幼かった俺は、夢中になってそれに聞き入っていたものだ。

 

 俺から見た師匠はとても物知りで、知らないことはなに一つないと思っていた。

 しかし今にして思えば、彼女も俺に振り回されていたのだろう。

 

 初めて見る珍しい鳥の名を尋ねた際などは、急に「雨が降りそうだから」と言って俺を部屋に連れ戻していたりもしたが……

 その直後に、それまで青々と晴れ渡っていた空が急に雷雲に包まれ大荒れとなり、雨が止むのを待ち疲れて眠りこけてしまい、目が覚めればまた晴れ空になっていただとか。


 思い返してみれば、相当に露骨だ。

 しかもその後決まって都合よく、答えられなかった鳥の名を教えてくるのだから……

 鳥を含めた森の住人たちには、幾らごめんなさいをしてもし足りない気分だ。

 

 そんなある日……

 師匠は俺に「何故そんなに鳥が好きなのか」と尋ねてきたことがあった。

 

 俺はここぞとばかりに、得意気になった。

 大好きな鳥たちの素晴らしさを、師匠に教えてあげられる絶好の機会だと思ったからだ。


 飛び立つ瞬間のカッコ良さだとか。

 冬の寒さにも負けぬ逞しさだとか。

 朝を迎えて囀り合う可愛らしさだとか。

 番いで描く、ワクワクするような孤と孤の交わりだとか。

 

 思いつく限りのことを口にして、それから最後に取っておきの言葉でそれを締めくくった。

 

「大きくなったら、魔術で鳥に変身する」のだと、胸を張ってそう答えていた。


 だけど結局、俺はそれだけでは飽き足らずに、聞かれてもいないことを喋り始めてしまった。

 

 師匠に教えてもらった魔術で、物凄く大きな鳥になってみせるのだと。

 そうして、師匠と並んで森の向こうに飛んでゆくのだと。

 あの鳥たちを引き連れて、遥か地平線まで旅に出るのだと。

 俺は我を忘れて、そんな夢をあの人に語っていた。

 

 その最中、不意に頬にポタリと落ちてくるものがあった。

 雨だ。

 またいいところで、雨が降ってきたのだと。

 

 そう思い顔を上げてみると、彼女がいた。

 肩を震わせて、声もなく。

 止むことのない雨を降らし続ける、女性の姿があった。

 

 それが俺の記憶の中にある『煌炎の魔女』マルゼス・フレイミングが見せた、最後の涙だった。

 

 

 

 

 頬に、何かがポタリと落ちてきた。

 

 記憶の底にあったその感触に、瞼がピクリと動く。

 意識が覚醒する。

 全身が微睡の沼より浮上して、押し寄せてくる情報を五感が知覚し始める。

 

 光が、色が、音が。

 そして最後に、後頭部へのやわらかな感触が、俺の元へと伝わってきた。

 

 藍い。

 藍い何かが、目の前にある。

 その奥には、きらきらとしたピンボケ気味の、銀の天井。

 

 それが一体何であるのがわからずに、俺は瞳をパチリと瞬かせる。

 すると、左目側に――銀色に輝いていた位置に、青い瞳が飛び込んできた。


「気がついた?」


 続けてそこに声がやってきて、亜麻色の髪がパラリと頬に落ちてきた。

 それらを前にして、意識が急速に焦点を定め始める。


「フェレ……シーラ?」

 

 全身に纏わりつく気怠さと、それを包み込むやわらかさ。

 その二つに身を委ねながら、俺は彼女の名を口にしていた。 

 

「まだじっとしていて」

「いや、そんなこと言われても……あのあと」

「いいから。じっとする」


 今だ判然とはしきっていないこちらの視界を、肌色のなにかが遮ってきた。

 手だ。

 フェレシーラの掌が、額にあてられている。

 

 ……それでようやく、俺は自分が彼女に膝枕をされている状態だったのだと、理解した。


「腕の傷は治せたけど、体力の消耗までは補えてないと思うから」 


 だから暫くは休んでいろと。

 彼女は俺の髪を、ポフポフとはたくようにして撫でつけてきた。 

 

 まるで幼い子供相手にするような、子守唄に併せるような仕草だ。

 だが、不思議とそれに気恥ずかしさを感じることもなく、俺は瞳を閉じる。

 

 色々と、聞きたいことはあった。 

 ここは一体どこなのだとか。

 あの後、なにが起きたのだとか。

 グリフォンの雛は、どうなったのだとか。

 

 それらすべてが、気にならないと言えば嘘になる。 

 でもそれは、フェレシーラにしてもわかりきった話だろう。

 そんな彼女が休んでいろと言うからには、差し迫った危機はないのだと思えた。


「実のところを言うとね。私のほうもヘトヘトだったから。さっきの『防壁』の維持もだけど……貴方の治癒に、アトマをかなり注ぎ込んじゃって」 

「そっか。それで億劫になって、鎧も脱いじゃってたわけか」

「ええ、そういうこと。ちなみに盾はどこかに落としちゃった。どのみちかなり損傷していたし、新調する羽目にはなったと思うけど」

「……そっか」 


 それは以上は聞けずに、俺は呼吸を繰り返すことに没頭した。

 彼女の説明を受けて「ごめん」と口にせずにいたのが、自分でも意外だった。


 まだ、頭が上手く動いていないせいだろうか。

 そんな風に理由を見つけていると、またも頬に何かが落ちてきた。

 

「ん……なんだよ、さっきからこれ」 

「今のは、天井からの水滴よ。ここってちょっとした、鍾乳洞みたいになってるから」 

「鍾乳洞って……それにしちゃ、ちょっと眩しくないか……?」

「そりゃあ誰かさんが頑張りすぎて、上に風穴開けちゃいましたから」 

「風穴――」 

 

 その言葉を耳にした瞬間、今度こそ完全に目が覚めた。

 

「そうだ、あそこで俺、魔じゅ――ぶぎゅ!?」 

「だーかーらー。まだ寝てなさいってば。ちゃんと順を追って説明してあげるから」

「い、いやおま、そん、あた、おさえつけなくて、もぉ……!」

「だーめ。これぐらい、罰よ。なに言っても無茶して聞かない人への罰。お、し、お、き」

「うぐ……! わかった……俺が悪かったから、もうちょい、やさしくだな……!」

 

 結局なんだかんだで謝る羽目になってしまい、俺は抵抗を諦めた。

 仕方なく首を横に向けると、周囲の景色が目に飛び込んできた。

 

 青みがかった銀色に輝く、遠く遠く離れた天井。

 端から端まで、優に50mはありそうな洞壁。

 そして周囲に別れ伸びる、幾つもの水と岩の小道。


 青と銀とで出鱈目に塗り上げられた鍾乳洞とでも、呼べばよいのだろうか。

 そんな空間の中心に、天より降り注ぐ光の柱が立っている。


 その煌めきの中から、フェレシーラが語りかけてきた。

 

「どうやら上流への直撃は、逸れていたみたいね」 

「逸れていたって……ああ。そっか。川にぶち当たってたら、今頃俺たち水の中か……」

「流石にそこまではいかなかったでしょうけど。もっと騒々しいことになっていたのは確かね」


 耳の傍では、クスクスとした忍び笑い。 

 その掌は、ふたたびこちらの髪をやさしく撫でつけてきていた。 

 

「レゼノーヴァでもここら一帯は、『白銀喰いシルヴァリー・イーター』から溢れ出た霊銀の飛散量が、特に多かったとは聞いていたけれど。それにしてもここまでのものを見るのは、私も初めてよ」 


 それは言うまでもなく、この巨大な洞穴を指してのことだったのだろう。

 

「洞窟全域に広がった、霊銀の鉱床。異常なまでのアトマの源は、恐らくこれだったのね」 

「霊銀の鉱床……このキラキラしたの、全部がか……?」

「ええ、ほぼ確実にね。普通、霊銀がどれだけ地表に降り注いでも、そのまま地下深くまで浸透していくものなのだけど」

「あー……そっか。たしか霊銀ってヤツは、周囲から大量のアトマを取り込まないと、固体化しないんだっけか……」

「あら物知り。博識ね」

「茶化すなって。これぐらい、霊的物質学の、基礎中の基礎だろ……」


 言いながら、俺はその光景に目を細める。

 膨大な体積の岩盤を霊銀に浸食されて生まれ出た、巨大な地下水洞。

 その端々に在る薄闇に陽光が差し込み、それが銀の壁面により無数の光の屈折を織りなして、幾何学的な輝きを放っている。

 

 天と地の狭間が創り上げた、幻想の如き空間。

 ……その中に、一つだけ場違いに思えるものがあった。

 

 真っすぐに聳えた壁面の一角の、その数十mほど上に。

 ぽかんと開いた、直径3mほどの丸穴があったのだ。

 

「なあ、フェレシーラ。あれってなんだ? あの、壁の上にあるヤツ」

「ああ。あれね」

 

 思わず腕をあげて、俺はそれを指さす。

 するとフェレシーラが、すぐに反応を示してきた。

 

「あれは、この洞窟の出口に繋がる通り道よ」

「出口って……あの滝のあった、俺たちが影人と戦ってた場所のことか?」 

「ええ。まあ正確には、貴方が作った道なんだけど」

「……あー、なるほど」


 そのやり取りで、先程までの出来事を明確に思い返したからだろう。

 そこでようやく俺の意識は鮮明さを取り戻しきり、体の起床を促してきた。

 

 それを察して、フェレシーラが身を離す。

 自力で岩肌に腰を下ろすと、シンとした冷たさが衣服を突き抜け臀部へとやってきた。

 

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