23.森に響く声たち


「……この森の別名、知ってるだろ」 


 フェレシーラの問いかけに、俺はようやくのことでそれだけを口にしていた。


「別名――ああ、なるほど。迷いの森って、そういう意味だったのね」 

「ん」


 迷いの森。


 その言葉が示すとおりに、この森は時として余所者を拒む迷宮と化す。

 塔に設けられた大型術具が、それを可能としているのだ。


「そっか。妙に教団への報告に迷い人関連が多かったのは、そういうことだったのね。方向感覚と木々の認識辺りを狂わせるとしても……それを西から東で十㎞近くある森全域に仕掛けるなんて。流石はマルゼス様としか言い様がないわ」


 さすがに術具に関しても造詣が深いだけはあり……フェレシーラはその御業をすぐに理解したらしく、頻りに頷きを繰り返していた。


「ん? でもそれって、ちょっとおかしくない? 私みたいな外の人間が迷わずに移動出来てるわけだし。術法の効果に抵抗していたとしても、それなら術をかけられたことも感覚でわかるし……」

「別に、誰彼構わず迷子にさせてるわけじゃないからな」

「誰彼構わずって。どういうこと?」

「そのまんまの意味だけど……森に被害を出しそうな魔物の定住を防いだり、問題のありそうな人間が来たときだけ、回れ右させてる感じでさ」 

「……なにそれ。それって、逐一個別に術具の効果を及ぼしているってことじゃない。そんな細かな芸当まで可能なの?」 

「俺もたまに手伝わされていたし、間違いないよ。遠見の術と合わせてさ」


 そこまで言って、俺は足元に茂っていた草むらの上へと腰を下ろした。

 フェレシーラはといえば、先程と打って変わり、納得がいかないといった表情をしている。


 だがその反応も、決しておかしいわけでもないのだろう。

 幾ら師匠がこの森の奥で隠棲しているとはいえ……普通、そこまでする必要はない。


 師匠ほどの魔術士であれば、外敵の一人や二人侵入を許したところで、問題はないからだ。


 無言となった俺に付き合う形で、フェレシーラが隣へと座り込んできた。


「もしかしたら……俺のせいかもしれないんだ」


 横を見ずに、俺は続けた。


「師匠がこの森に初めて来たとき、俺、小さな赤ん坊だったらしくてさ。あの木を塔にして住み始めたのも、塔に色んな機能を持たせたのも……多分、俺が一緒にいたからなんだと思う」

「それって……マルゼス様から、直接聞かされたの?」 

「直にはないよ。でも、あの人そういうとこ不器用だからさ。何となく、わかるっていうか……」


 気付けば俺は、喋りながら膝を抱え込み、伸び放題となっていた雑草に手を伸ばして、指先に絡めていた。 


「俺が破門されたのだって……きっと何か、口にしづらい理由があることぐらい、わかってる。わかってるん、だけど……」

「フラム……」 


 トーンを落とし続ける俺に、フェレシーラが何事かを口にしかけてくる。

 

 ……いかん、ダメだ。

 

 折角これから彼女と一緒にやっていこうってときに、無駄に雰囲気を暗くしてしまった。

 これじゃよくない。

 こんな調子じゃ、上手くいくものも上手くいかない。


「ああ、もう……やめだやめだ! こんなうっとおしい話! 俺、とっくに破門されたんだもんな! いつまでも師匠師匠って、おかしいもんな!」


 沈んだ空気を吹き飛ばそうと、勢いよくその場から立ち上がる。


「ごめん、フェレシ――」

「ねえ」 


 だが、俺の発した呼びかけは、見上げる少女の声に掻き消されていた。


「な、なんだよ、いきなり……そんな心配そうな顔して。あ、俺があんまり暗い話ばっかするから、慰めてくれる気にでもなったとかか? それなら大丈夫だぞ。なんてったって、これから俺の偽物をとっ捕まえてシュクサ村の皆に喜んでもらうんだからな! だから今は」

「そういう話じゃなくて」 


 俺が口にした意気込みの台詞に、フェレシーラの首が横へと振られる。

 彼女はその場を立ち上がり膝の汚れを手で払うと、再び口を開いてきた。


「貴方、本当にこれでいいの? フラム」 


 まっすぐにこちらを見据えてのその問いに、俺は言葉を失い立ち尽くす。

 

 ……これでいいのとは、どういうことなのか。

 それを口にしようとするも、上手く言葉が出てこない。

 

 聞けば答えは、必ずやってくる。

 それが怖かった。


「え、ええと。取りあえず、さ」 


 だから俺はその選択肢以外の道を探しにかかる。


「取りあえず、俺のことはどうでもいいだろ? フェレシーラだって、まずは依頼の達成が先決だろうし。あんまり手間取ると、教団的にも不味いんじゃないか?」

「そこは別に、そう気にしなくてもいいんだけど」 

「気にしないでいいって……いや、依頼の期日とか、被害が広がるのを防いだりとかさ」

「んー。そもそも今回の討伐内容自体、事前情報が少なすぎてフワッとしているもの。経験上、闇雲に動き回ったところで効率的とは思えないのよね」

「そりゃまあ、そうかもしんないけどさ……」

「それに貴方の話を信じるなら、私が派手に動き回ったら迷走の術に対象になりかねないわけでしょう? なら、ここはじっくりと時間をかけるのも一つの手よ」

「う……」


 苦し紛れに行った話題逸らしの問いかけにも、フェレシーラに動じる様子を見せなかった。


「たしかに、あんたの言うとおりだけど……」


 森を荒らすものには、『煌炎の魔女』のもてなしが待ち受けている。

 それは件の魔物にしても、フェレシーラにしても、同じことだ。


 だが……なんとはなしに、違和感がある。

 聖伐教団に関して然したる知識のない俺でも、彼女の言動には引っかかるものがあった。


 ここレゼノーヴァ公国において、教団は多大な影響を持ち、信徒の数も多いと聞く。

 当然、組織としても相応に巨大であり、それを統括する為のルールや枠組みも存在するだろう。

 神殿従士に階級分けがなされている時点で、それは容易に想像がつく。

 そしてそのトップに近づくほど、公国内で活動する上での恩恵や、権限が付随するであろうことも。

 それ故の責務、縛りが課せられているであろうことも、容易に想像出来る。


 しかしフェレシーラは……この白羽根の称号を名乗る少女は、時折そうした組織に属する者特有のしがらみから逸脱した、一種独特の雰囲気を垣間見せることがある。


 勿論それは、彼女個人の境遇、性格に依るものかもしれない。

 いや……だとしても、少々不自然が過ぎる。

 まだ出会ったばかりではあるが、フェレシーラは高潔とまではいかなくとも、不真面目な人物でないことだけは確かだ。

 そんな人間が組織の上位に籍を置くならば、きっと他の皆の規範、手本足らんと振る舞うに違いない。


「なあ、フェレシーラ」


 ここまで世話になっておいて、余計なことを口にするな。


「なによ、さっきから。一言いいたそうな顔して」

「あー……えっとさ」


 だがしかし、一度抱いた違和感はそう簡単に消え去ってはくれずに。


「その、こんなこと聞くのも失礼だと思うけど――」


 俺が疑念の言葉を発しかけたときに、それはやってきた。



 ――ピイィィィィィィィィィ!!!



 突如、辺り一帯に甲高い鳴き声が木霊した。

 背高い木々の合間を縫って響き渡ったそれは……俺が初めてきく種類の叫び声だった。


「な、なんだ、この鳴き声……これって、まさか」 

「――当然だけど、人間じゃないわね。例の魔物の可能性はあるけど、それにしては……いえ、まずは声の発生源を突き止めるのが先か。こんな場所だと音が反響して、耳を頼りに探し当てるのは難しい……となれば」


 突然の事態に取り乱す俺とは異なり、フェレシーラの対応は手慣れたものだった。


「フラム! 貴方は高台から、辺りを警戒しておいて! 私は近くで何か騒ぎが起きてないか見て回ってくるから!」 

「あ、ああ……わ、わかった! 何かあったら、すぐに教える!」 

「ええ、頼むわ! それと、もし魔物を見つけても……絶対に一人で無茶はしないこと!」


 彼女は急ぎ戦槌と小盾を地面より拾い上げると、素早く駆けだしていた。


「よし……切り変えろ、俺! 今は、この声だけに集中だ……!」


 フェレシーラからの指示により、俺は何とか平静さを取り戻す。

 薬缶が沸く音を何倍にも、強く太くしたような叫び声……

 それは今も、途切れ途切れに周囲に響いている。

 

 まずは言われたように、視界を確保しなければならない。

 右から左に、ざっと辺りを見回す。

 辺りには立木が群生している。

 

 木に登って見下ろすには、覆い重なっている枝葉が邪魔すぎた。

 となれば、地面そのものが出来るだけ高い場所にいくしかないが……


「お! あそこ、丁度いい感じに岩が突き出てるな……!」 


 それは恐らく、樹木が育つには適さぬ地質をしていたのだろう。

 木々の群れより離れた岩地へと目をつけると、俺は急ぎそこに駆け上がった。

 幸いなことに、足元、岩肌共に脆くなってはいない。

 

 両腕で岩盤の出っ張りを交互にホールドしつつ、5mほどの高さにある最上段を目指す。

 革製の装備が動きを阻害しなかったこともあり、すぐにその小さな頂上へと辿り着いていた。


「声だ……声のするほう……!」 


 灰色の岩塊の上より眼下を見下ろすと、三方を広く見渡せる格好となっていた。

 

 正面は、先程も見ていた塔のある側。

 段差は非常に大きく、絶壁と言っても過言ではない。

 高さも数十mはあり、直に下へと向かうことは不可能に思えた。

 

 右手は非常に緩いスロープ。

 まばらに生えた木々の先に渓流が見て取れる。

 岩から降りてしまえば、そう苦労することなく進めるだろう。

 

 最後に左手の、傾斜のキツい坂道。

 一面緑の絨毯といった感があり、村とは正反対の方向に伸びている。

 予想のとおり、ここでならばかなりの範囲を見渡せるが――


「くっそ、肝心の声が……!」 


 あの振り絞るような甲高い鳴き声が、届いて来なくなっていた。

 

 フェレシーラが戻って来る気配はない。 

 何か魔物の捜索の手掛かりになるものを見つけなればと辺りを見回すが……

 気ばかりが焦り、絶好の位置取りにありながらも、視野はどんどんと狭まっていく。

 

 落ち着け……落ち着け、フラム。

 こういうときは、まずは息を大きく吸って、 


「君」

「おわっ!?」


 出し抜けにやってきた、太く厳かな、低音域バスの声。

 それに吸い込みかけた空気を全部持っていかれて、俺は慌ててその場を振り返る。

 

 見ればそこには、こちらを見下ろす影があった。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る