22.隠者の棲家は遠く

 

 高台の上より眼下を望むと、まばらな木々に囲まれたシュクサの村が一望出来た。


「こうして見ると、ほんと小さな村なんだな……」

「そうね」


 思わず衝いて出たその呟きに、背後から追いついてきたフェレシーラが相槌を打ってきた。


 村を出立してから、大凡三十分ほどは経過しただろうか。

 傾斜のキツい山道を歩き続けることで、俺たちは最初の目標である高台へと到着していた。

  

 予め地図による地形把握は済んでいたのだが、具体的な捜索ルートを決める為には一度高所に出て肉眼で確かめたほうがよい、との判断だ。


「それにしても……こうして見ると、貴方って本当に駆け出しの密偵スカウト盗賊シーフって言った方がしっくりくるわね」 


 高台からざっと周囲を見渡した後に、フェシーラがこちらへと視線を向けてきた。


「それを言うなら狩人だろ。この場合」 


 そんな彼女の言葉を正しつつ、俺は自分の装いをあらためて確認する。


 綿製のシャツを覆う、革製のベスト。

 厚手のズボンに膝当てとブーツ。

 それぞれ先程の手甲と共に、フェレシーラが用意してくれた品だ。


 それに自前のナップサックを背負い、行動しているわけだが……

 これが中々に悪くない。

 重量は相応に増えているが、守りが厚くなったという安心感が思ってた以上にあるのだ。


 ちなみに着替えや食料といった嵩張るものは、すべてフォリーに預かってもらった。

 村を拠点に出来る利点の一つ、というわけだ。


「それじゃあ訂正。村人ルックから、狩人ルックにめでたく昇進ね。おめでと」

「村人って、おま……いや、俺の見た目の話なんてこの際どうでもいいよ。それよりも、ここからどんな風に探していくつもりなんだ? やっぱ、魔物が棲家にしてそうな場所に当たりを付けていくとか、そんな感じか?」

「そうね。目立った動きがない以上、まずはその為にも標的の痕跡を探していかないとだから」

「了解。地道な調査が一番の近道、ってわけだな」 


 広葉樹が多く茂るここら一帯は、落ち葉が変じた腐葉土が積層している。

 それゆえ比較的、生物の足跡等の観測もしやすい。


 その分、歩き回る際には足元注意、といったところだが…… 

 旅慣れたフェレシーラに対しては、殊更そんな注意も必要ないだろう。 


「ところで。もし魔物と出くわして、なし崩し的に戦う羽目になった際の話なのだけど」


 昨日は急だったけど、と付け加えてから、フェレシーラが言ってきた。


「前衛を張って貰うといっても、くれぐれも無理はしないでね。魔物との実戦経験がない貴方がやり合うには、不安だらけの相手だから」

「わかった」


 真剣な表情となった少女に、俺は承諾の言葉で返す。


「どうせ俺の武器と言えば、こいつぐらいのもんだからな。無理のしようもないさ」 


 そして続けて、ベストのポケットから一振りの短剣を取り出してみせた。


「その短剣……見れば見るほど、普通の短剣ね。手入れの方はちゃんとしてるみたいだけど。どうせなら、武器もこっちで用意しておいたものにすればよかったのに。たしかショートソードとか手斧とか、色々あった筈よね?」

「うん、あった。でも……こういうのは、やっぱ日頃から扱い慣れたヤツがいいかなって」


 フェレシーラのもっともな指摘に、俺は短剣の鍔を指先で跳ね上げてクルクルと回してみせた。


「こう見えて、結構切れ味もいいんだぞ。林檎の皮だってするする剥けるし」

「……お願いだから、魔物相手に使った後にやらないで頂戴ね」 


 刃渡り30㎝ほどの刀身を持つそれを逆手に構え直すと、彼女は呆れたように溜息を吐いてきた。


「それにしても……昨日、お風呂のときも思ったのだけど。こうして見ると、結構鍛え込まれた体しているのね。フラムって」

「な、なんだよ突然。急に褒めたりして……怖いぞ」

「何でそこで怖がる必要があるのよ。……うん、やっぱり痩せ型の割には、必要な筋肉は十分って感じだし……こんなところで暮らしていれば当然かもしれないけど、山歩きも全然苦にしていないものね。こういうのってアレかしら」 

「な、なんだよ急に、アレって……」


 頭の天辺から爪先まで、といった感じで観察され始めたことに妙な気恥ずかしさをおぼえて、俺はフェレシーラから目を逸らしてしまう。

 そんなこちらの気を知ってか知らずか、彼女は続けてきた。


「うん。アレね。所謂ところの……精悍な体つき、ってヤツ?」 

「なんだよその形容は。やめてくれ、恥ずかしい」 

「ふふ。照れない照れない。身体を鍛えておくのは良いことよ。努力で得た結果には、ちゃんと自信を思っておきなさい。誇示しろ、という意味ではなくてね」 

「そんなこと、いきなり言われても……難しいって」 


 まっすぐに投げかけられたその言葉には、そんな風にしか返せない。

 こういうところは、如何にも年上って感じだ。


 まあ、今まで師匠以外にこんなに話したことのある相手はいなかったから、年上がどうとかいう以前に、女の人って皆こうなのかとも思うけど……


 そんなことを考えながらも、視線が半ば無意識に動いてゆく。

 やがてそれが、初夏の日差しに輝く緑の群れから離れて、木々と空の境界に接したところで……俺はその物体に気がついた。


「――」 

「? どうしたの? 急に黙って、ボケっとしちゃって」


 言いながら、フェレシーラもそこに目を向けてくる。

 高台より見やるも、そこより尚高きに聳える一本の巨木。

 緑深き森の中にあり、ただ一つ悠然と天を衝くそれは……魔女の塒だった。


「あー、なるほど。結構、近くにあったのね」 

「うん……そうだな。思ってたよりもずっと近くにあったんだな」


 その言葉に、俺は頷き目を細める。


 隠者の塔。

 樹齢八百年とも言われる古木の洞に隠れたそれは、起き抜けに離れの窓からみたものとはまったく違う代物に見えた。 


 妙に現実感のわかない、見慣れぬ光景。


「ここからだと、三時間くらい歩けばって感じか……ん?」


 それをぼんやりと眺めていると、ふと、違和感がやってきた。


「あれ……なんかちょっと、おかしいな……」 

「おかしいって、あの『隠者の塔』が?」

「ああ。でもなんだろ。おかしいのはわかるんだけど……うーん」

「そう言われても、私にはただの馬鹿でっかい木にしか見えないのだけど。これだけ距離があるんだし、気のせいじゃない?」

「いや……俺、目は結構いいからな。これくらいの距離なら、まだ細かいとこもぼんやりと――あ」


 違和感の正体は、会話の最中に見つかった。


「そっか。水晶灯だ。水晶灯がついてないんだ。最上階にある、師匠の部屋のヤツとか……いや、他のも全部か」

「ええ……」 


 俺が納得がいったとばかりに頷く横で、従士の少女が困惑の表情となる。


「幾らなんでも、そんなとこまでわかるものなの?」 

「葉っぱが水晶光で透けてないからな。いつもはもっと白っぽく見えるのに、今日は全体的に暗いから……間違いないと思う」

「うーん。そう言われても私には判別がつかないわね。でもどちらにせよ、この時間に灯りをつけてないのは当たり前じゃないかしら」

「普通はそうなんだろうけどさ。師匠が、いつも付けっぱなしにしておけって俺に言ってたんだよ。ガス抜きが必要とか何とか言ってさ。たぶん塔にある、大型術具の為だったんだろうけど」

「ふぅん……?」


 こちらの説明にも、フェレシーラはあまり納得がいっていない様子だった。


「ま、あの人も大概大雑把だからなぁ……大方自分で細かく管理するのが面倒になって、術具まとめて全停止させちゃったとか、大方そんなとこだと思うよ」 

「その大型術具だけど。具体的にどんな効果があるのかは、わかってるの?」

「う……」


 藪蛇というべきか、自業自得というべきか。

 フェレシーラの指摘に対して、俺は返答に窮してしまっていた。


 その様子があまりに露骨だったせいだろう。

 

「言いたくないことだったら、無理に言わなくてもいいけれど」  

 

 彼女は塔から視線を外して、話を打ち切る素振りを見せてきた。


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