15.銀の湯船に誘われて


 この世界には、霊銀と呼ばれる金属がある。


 別名、アトマ銀。

 正式な学名としてながったらしい名称がある筈だが、それは覚えていない。


「あちゃー……急に冷ましたから、脆くなっちゃったか……」


 胸元にまで湯で満たされた浴槽に浸かりながら、俺は自分の失敗に気づかされていた。


 揺れ動く温水の上に、平べったい乳白色の破片の様なものが浮いている。

 それを横目に、俺は浴槽の淵に出来ていた罅割れを爪で引っ掻く。

 すると今度は、新たな破片が剥がれ落ちてきた。


 急激な温度差に晒された結果、収縮を繰り返した塗装材が剥離してしまったのだ。


「ほんっと俺って、昔っから調子に乗ると碌なことしないな……」 


 小指の先ほどの地金を晒した内壁を眺めながら、独り呟く。


 塗膜の下から姿を現した銀色の金属は、まだ微かに熱を放っており、それが湯船の温度を適度に保つ役割を果たしていた。


 銀色の金属の正体は、鉄と霊銀を混ぜ合わせて鋳固めたもの。

 一般的に、霊銀盤と呼称されるものだ。

 魔法陣の機能を大きく向上させる為の、触媒としての特性を持つ霊銀だが……

 その稀少性と入手難度から、こうして純度の低い混ぜ物として加工されるケースが多い。


 そしてこの国で流通する術具の大半に、そうした霊銀盤が使用されている。

 何故なら術具用の魔法陣は、ただ何にでも刻み込めば良い、という代物ではないからだ。


 魔法陣には、アトマを効率よく伝播・増幅する機能が求められる。

 ゆえに、それに適さぬ土台――例えば、剥き出しの地面の上に陣を描いたところで、その効果はたかが知れたものとなってしまう。


 なので術具を作成する際には可能な限り、霊的に優れた物質を媒介として用いることが常識なのだ。


 そうした霊的物質は世に数あれど。

 その中でも霊銀は、他の物質と比して頭抜けた術具への適性を有している。 


 当然、それを利用した品は高性能であり、高価で取引される。

 なので世の術具製造者たちは、皆こぞって霊銀を掻き集めようとするわけだが……

 そもそも霊銀という金属は自然界には殆ど存在しておらず、数えるほどしか鉱床も発見されていない。

 その為、霊銀を求めるのであれば、過去に作られた術具を解体して抽出を行うか、古代迷宮といった危険域に踏み込み、戦利品として持ち帰るのが通例となっている。


 だがしかし、そんな常識もここレゼノーヴァ公国に限っては話は別となる。

 稀少である筈の霊銀が、比較的容易に手に入るからだ。

 それは何故か。


 答えは、十二年前にあった魔人将の侵攻と、その撃退にあった。


 当時ラグメレス王国を攻め落とした魔人将は、そこに魔人達の拠点を構え、人類種を根絶に追い込む為の準備を着々と進めていた。


 同胞たる魔人や、僕である魔獣の召集を容易にする為の、大規模転移陣テレポーター

 遠く離れた城の防壁をも微塵に打ち砕く、流星召喚門メテオゲート

 大小無数の、破滅を撒き散らす為の異形の術具群……

 

 そして、それら超常脅威の象徴を創造する為の基盤として設けられた、規格外の霊銀集積装置……『白銀喰いシルヴァリー・イーター』。


 王国侵攻の際に用いられたそれらの超大型術具は、その殆どが魔人聖伐行の折に完全破壊、もしくは厳重に封印されたと言われている。


 だが、その中でも際立って堅牢な守りで固められた『白銀喰いシルヴァリー・イーター』だけは、比較的小規模な破損に収まり、終戦時にはレゼノーヴァ公国により接収される形となっていた。


 強力極まりない魔人の遺産を、この国は期せずしてその手中に収める結果となったのだ。


 そのことに、当然の如く周辺諸国は難色を示した。

 示したが……彼らは既に公国に対して、大きな借りを作っていた。


 魔人将の撃退を完遂した、聖伐隊の存在。

 

 想定の上では捨て駒となる筈だった彼らが、それを成してしまった以上。

 相応の敬意と対価を支払わなければ、禍根を残すことは明白。

 最悪は、新たな勇者となった『煌炎の魔女』を敵に回す可能性すらあるやもしれぬ。

 

 そう考えた諸国は、公国の『白銀喰いシルヴァリー・イーター』接収に寛容な態度を示したという。


 そうしたところで、どうせ公国には大した益にもならない。

 人が用いるには難解にして高度過ぎる魔人の術具の一つや二つ……自由にさせたところで、当面の問題になりはしない。

 立て続けの戦火に晒され疲弊した国土を抱えたままでは、到底扱いきれる筈もない。


それどころか、復興支援をお題目に人員派遣でもしておけば公国に恩も売れるし、あわよくば他国に先んじて霊銀を独占する為の技術を持ち帰らせることも夢ではない。

 

 そんな諸国の甘すぎる目論見は、しかし即座に潰える事態となった。

 

 戦後、諸国の視察団が公国領より立ち去ったその直後、突如何者かの手により、『白銀喰いシルヴァリー・イーター』が破壊されたのだ。


 如何なる物理攻撃も、術法の干渉も跳ね除けたとされる『白銀喰いシルヴァリー・イーター』の防壁が、その頂点から真っ二つに断ち割られるという、誰もが予想しえなった結果を迎えて……そうしてレゼノーヴァ公国は、全大陸随一の霊銀産出国と相成ったのだ。


「集積装置から噴出した霊銀が飛散して、溶けて大地に染み込んだねえ……タイミングよく壊された防壁の話といい、なーんかすっげー眉唾なんだよなぁ」 


 師匠から聞かされていた霊銀に纏わるあれこれを思い返しながら、俺は湯船の中に口元ギリギリまで身を沈めていた。


 何度聞いても釈然としなかった話だが……

 とはいえ実際に公国では、大量の術具が出回っているのも確からしい。

 なので現在進行形でその恩恵を享受している身としては、納得するより他にない。


 先程の会話に出てきた術具工房も、そうした未曽有の霊銀特需にあやかり急成長した産業の一つだ。

 比較的安価に霊銀を利用できるとあって、終戦後は他国から腕利きの術具職人が押し寄せてきた時期もあったらしい。


 そこにレゼノーヴァの公王は、職人たちに対して公国への帰属を条件に、新設した術具工房に招き入れると宣言したのだ。


 公国民となれば、霊銀は更に安く仕入れることが出来る。

多少の制約こそあれ、専任の技師となれば自前の工房を構える必要もなく、生活も安定する。

その上、聖伐教団の保有する稀少性の高い術具を直接手に出来る可能性すらあるとなれば……

職人たちの殆どが、一も二もなくその提案に飛びついたという。


そうして公国は首尾よく高水準の術具産業を軸として、領土復興に邁進していったというのが、今日こんにちへの流れだ。

 立て続けの魔人の襲撃により荒れに荒れたこの国にとっては、これ以上ない僥倖と言えただろう。


「そういや、眉唾と言えば……あいつ、また妙なこと言ってやがったな」 


 術具というワードからの連想で不意に脳裏に浮かび上がってきた、亜麻色の髪をした一人の少女。

 フェレシーラ・シェットフレンの言葉を、俺は思い出していた。


「魔法陣を二つ同時に使えるなら、二つの術法だって同時に使える筈、か……」


 細かい部分まではいまいち覚えていないが……

 確かに彼女は、俺に向かってそんな内容の言葉を口走っていた。


 しかしそんな術法の使い方は、ついぞ師匠から聞いたこともない。

 塔に大量に保管されていた魔術の教本にだって、記されてはいなかった。

 正真正銘、眉唾中の眉唾というヤツだ。


「はは。差し詰め、デュアルマジックってとこか。単に立て続けに術を使うならともかく、同時発動だなんて……そんなの、師匠だってやってるとこ見たことねーぞ。ったく、フェレシーラのヤツ。こっちは単品すらまともに扱えずにいるってのに、言いたい放題、無責任なこと言ってくれやがって……」


 知らず知らず俺は、愚痴を洩らしてしまう。

 だが――


「ん? なんか今、私のこと呼んだ?」 

「ぬっおぁ!? お、おま――あっ、いでっ!?」 


 不意に頭上からやってきたその声に俺は盛大に足を滑らせると、水しぶきと共に浴槽の淵へと後頭部を強かに打ちつけていた。


「……なに遊んでるのよ、貴方」 

「べ、別に遊んでるわけじゃ……! あ、つつ……ぅ」 


 狭い浴室に響き渡る中高音アルトの美声に、俺は頭を擦りながら抗議する。


 声の主は、他でもないフェレシーラだ。

 彼女は浴槽の真上にあった小窓を断りもなく開くと、そこから呆れ顔を覗かせていた。


「言っとくけど、私もこれから入るんだからね。変に汚したりでもしたら今度こそ本気で怒るわよ」

「んなことしてねーよ! ちゃんと風呂に入る前に、身体も洗ったし! てかそんなの気にするなら、そもそも言い出しっぺのお前のほうから先に入ればよかったんだろ!」

「……ふっうーん」 


 俺の至極真っ当といえる正論に、しかしフェレシーラが冷たい眼差し返してきた。


「べっつにー。私としては、そうするつもりだったんだけどー」 

「……な、なんだよその、妙に含みのある前振りは……」 

「いえいえ。なーんかさっき、人の目の前でびぃびぃ泣き出しちゃった男の子がいたのでー」

「ぐぶっ!?」 


 そいつは人が気にしていたことを、矢雨の如く頭上から浴びせてきた。


 ……いやほんと忘れたい。

 可能なら術具でも何でも使って、今すぐ自分の記憶を消し去りたい。

 なんだって俺はこんな無神経なヤツに、あんな情けないところを見せてしまったのか。


 そんな風に己を責めていると、声が更に降ってきた。


「ほんと、いきなりなんなのかしらねぇ。貴方こそ、人が背中の一つも流してあげようかって優しく言ってあげてたんだから、素直に首を縦に振ればよかったのに」 

「いやいや……それぐらい自分で出来るし。こんな狭いとこでそんな真似されても嬉しくねーし」 

「ふむ。確かに言われてみれば、敷地の割に妙に手狭ね。寝室には二人で楽に寝れるだけのベッドを置いてあるのに……設計者が、部屋の人とは別なのかしら」 

「そんなの、俺が知るかよ。気になるなら屋敷の人に聞けばいいだろ」 

「んー……さすがにそんな細かいことまではねえ」

 

 そう言うと、フェレシーラは窓から引っ込んでいってしまった。


 マジで本当に言いたいことだけ言っていきやがった。

 というか、今すぐ追い炊きが必要なわけでもないのに、何でそんなところにいたんだか。


「ったく……白羽根従士だかなんだか知らないけどな。常識がないにもほどがあるだろ。術法に関する知識だけはご立派なくせしてさ」 


 だが、そんな彼女に助けられているのも確かだ。

 そのことに、心の中では感謝をしながらも俺は湯船から立ち上がり、フェレシーラの為に浴室を明け渡してやることにした。

 

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