やみにまつろう
根ヶ地部 皆人
本編
うつらうつらと舟を漕いでいた。
淳也は人のいない電車のシートに腰掛けて、時折がくりと首を傾けては、慌てて飛び起きていた。
来年の中学受験の準備だと母に言われて通っている少し離れた学習塾から帰宅の途中だ。
サラリーマンたちの帰宅ラッシュには遅い。
酔っ払いたちが家路につくよりは早い。
そんな時間に、人のいない電車のシートに腰掛けて、時折飛び起きては、ゆっくりと首を傾けては飛び起きていた。
それにしてもまったく人のいない電車のなかで
うつらうつらと舟を漕いでいた。
チン!と澄んだ音がした。
トン!と軽快な音がした。
淳也が慌てて飛び起きると、薄暗い石段に座っているのであった。
チン!トン!と石の階段の上のほうから音がした。
鈴が鳴る音。
太鼓が鳴る音。
石段の下は真っ暗で
石段の上では鈴と太鼓が鳴る音、明るい光と、そして楽しそうな笑い声が聞こえて
なんだこれはと
いったいなにがと
そんな疑念も頭の隅に追いやられて、一歩石段を上る。
鼻をくすぐる香ばしい匂い。醤油とソースの焼ける匂い。
唾を飲みこむ甘い香り。煮詰めた飴の、砂糖の焦げる匂い。
不意に横から声がかかった。
「腹減ってるのか? イカ焼き食うか?」
淳也の顔を覗き込むように、同じ年ごろの少年……と思わしきモノが立っていた。
浴衣、ではない。和服、でもなかった。そうだ、作務衣と呼ぶのだったっけ。そういう服を着て草履を履いた、狐の面をかぶった子供が語りかけてきたのだ。
「焼きそばがいいか? 綿菓子は腹が膨れないからおすすめしないが、りんご飴はいいぞ」
よくわからなかった。さっきまで電車の中にいたのに、なんでこんな所にいるんだろう。
でもすぐにわかった。これはお祭りの最中で、石段の先には夜店が並んでいるのだ。
それは
でも
やっぱりよくわからない
戸惑っている淳也の手を、狐面の少年が掴んで引っ張る。
「ほら、なんでもあるぞ! 食べるものも遊ぶものも、なんでもだ!」
つんのめるようにして石段を上る。
断る。拒否する。それはダメだと胸のうちのなにかが叫ぶ声を、自分の理解できるかたちで声にする。
「ぼ、ボク、お金がなくて!」
それは嘘だ。
何かあった時のために、と千円札は持たされている。
でも、それは何かあった時のため。こんな時のためではない。
しかし、狐面の少年は言った。
「いらないぞ」
「え?」
狐面がにやりと笑う。
狐のお面がにやりと笑う!
「ここでは『時間払い』がきくぞ。おまえがここにいる時間、それを長くすれば何でも買える。ほら!」
狐面の少年が指さした先で、白熱灯に照らされた無数の夜店が出迎えた。
「あのくじ引きは、滞在時間五分で一回引ける。ただまあ、お祭りのくじ引きだからな! 景品はほら、光線銃とかあるけど、当たったところはみた事がない」
他にもあるぞ。
「腹減ってたな? とりあえず焼きそばはどうだ。安いもんさ、三十分で一皿食える。うん、肉も野菜も入ってないけど。肉入りなら三十分追加。青のりはサービス、三十秒。紅生姜だけで十五分は少しぼったくりじゃないかな?」
ほらまだあるぞ。
「イカ焼き! ヨーヨー釣り! 金魚掬いもあるけども、ははは、おすすめはアレだ龍掬い!
目が回る
くるくるまわる
それはとってもきれいで
手をのばしたくなる
てをのばすと
てにはいる
「ちょっとここに長くいるだけで、全部遊べる、なんでも食べられる!」
ほら
それはとっても
「でも」
そう、それでも
「ボク、帰らないと」
チン!トン!と喧騒と闇を切り裂いて、鈴と太鼓の音が鳴りました。
白熱灯が消える。
喧騒が消える。
夜店が、人々が、鈴と太鼓の音が消えてしまう。
狐面の少年が、くやしそうに、さびしそうに、狐のお面の唇を曲げて言いました。
「なんでだよ」
「みんな、心配するもの」
帰らないといけないよ、と口にすると、狐面の少年が手を伸ばし、
そして夜店の番をする人、そこをめぐっていた人たちが言いました。
「それはおやめ」
「望んだものは与えられるが」
「望んだものは、与えられるが、ねえ」
「望んだものを与えなければね」
ゆっくりと全てが闇に沈んでゆく。
音は消えた。
光も消えた。
それでもまだ狐面の少年だけが残っていたので、淳也は声をかけた。
「またね」
狐面の少年は無言で、視線を真っ暗な地面に落として、それでもまだ消えない。
淳也はもう一度声をかけた。
「また、会いたいね」
「そうだな」
狐面の少年がやっと淳也の方を向いて、ちょっと笑って言った。
「また、会えるといいなあ」
淳也は電車のシートに腰掛けて、がくりと首を傾けて、慌てて飛び起きた。
うつらうつらと舟を漕いでいた。
他に誰もいない電車の中で、なぜか隣に狐のお面をかぶった男の人が座っていた。
浴衣、ではない。和服、でもなかった。そうだ、作務衣と呼ぶのだったっけ。そういう服を着て草履を履いた、狐の面をかぶった男性が、他に誰もいない電車の中で、淳也の横に腰掛けていた。
驚きよりも、恐怖よりも、なにより先に淳也にはすべきことがあった。
狐面の男性に声をかける。
「あの」
「はい?」
淳也の方を向いた狐面の男性に、そうしなければと胸のうちのなにかが叫ぶ声を、自分の理解できるかたちで声にする。
「さっきまで、お祭りにいたんです!」
「そう」
狐面の男性は少し笑った口調で、もちろん狐のお面が笑ったりはせず、うなずいて言った。
「それは素敵だけれど、誰かに言ってはいけないことなんだろうね」
寝ぼけて口走った言葉を恥じらい赤面する淳也に、狐面の男性は優しく言った。
「でも、ずっと覚えておいてくれると、嬉しいことだねえ」
■プロット
1 日常
【淳也】は、【列車の中】にいる。
【寝ているうちに異界に紛れ込む】が起きて、【淳也】は【帰還】を目標にして【異界の夜店巡り】を始める。
2 旅路
【淳也】は、【異界への誘惑】に出会う。
【淳也】は、【望郷の念】によって【異界への誘惑】を乗り越え、【帰還】【を成しとげる】。
3 帰還
【淳也】は、【異界の夜店巡り】から【列車の中】に戻る。
この【異界の夜店巡り】によって、【淳也】は【思い出】を手に入れた。
よく見るとわかるんですが、実は企画のプロットから少しずれています。
帰還を目的としているため、ですね。
巻き込まれ、帰還そのものを目的としているために、少しだけズレるのです。
が、おそらく大意は満たしている物かと思います。
やみにまつろう 根ヶ地部 皆人 @Kikyo_Futaba
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます